主な人権侵害事象(差別事象を含む)状況

最近の差別事件の動向・特徴とその背景

近畿大学教授 北口 末広

(2)最近の差別事件の背景

①根強い差別意識と後退する人権意識

 以上のような特徴を持つ差別事件の背景として、第一に根強い差別意識が依然として存続している点を上げることができる。これらの偏見に基づく差別意識は、社会システムと密接に関わっており、今日のような市場原理至上主義を助長するような社会システムでは差別意識の再生産は容易になされる。
 また、人と人との関係も社会の種々のシステムと連動している。差別・被差別の関係を改善し平等な関係にするためにも社会システムの改革が重要である。今日の社会的動向は人と人との関係を平等な関係にする社会システムとは逆行した方向にあり、差別意識が助長されやすい方向になっている。2005年8月から10月にかけて行われた人権問題に関する大阪府民意識調査はそのことを端的に示している。差別解消に向けた意識については、「人間として恥ずべき行為」「差別される人の言葉を聞く必要がある」との考え方がいずれも80%で、前回(2000年調査)より各6%減少している。また「同和地区が低くみられる状態をなくせると思うか」と聞いたところ「なくせる」との回答は前回より8%減少し、逆に「難しい」は7%増加しており、特に20,30歳代でその傾向が強く出ている。


②格差拡大社会が大きな背景に

第二に格差拡大の経済状況が大きな背景を形成している。  2006年7月20日、OECD(経済協力開発機構)が日本経済の状況を分析した「対日経済審査報告書」を公表し、その中で日本の「相対的貧困層」の割合がOECD加盟国の中で米国に次いで第二位になったと指摘された。年間可処分所得の中央値の半分未満の「相対的貧困層」が13.5%となり、第一位である米国の13.7%とほとんど変わらない状況になった。しかもこのOECD報告の前提となる数字は2000年のものであり、その後の格差の拡大をふまえれば「相対的貧困層」の割合はさらに増加しているといえる。
 今日のような格差拡大社会は底辺層の不満が拡大する社会でもある。その不満の矛先は底辺層の反対の極である「勝ち組」に向くよりも多くの場合、近親憎悪的に自身の立場に近く自身の置かれた状態よりも少し待遇がよい人々に向きやすい。また、既存の差別意識が不満のはけ口として利用されることも珍しくない。


③経済状況の悪化が人権状況の悪化に

 バブル経済の崩壊以降、貧富の格差は拡大傾向にある。また財政危機が続いており、借金を返すために借金を重ねるという状態になっている。国と地方自治体を合わせ、約830兆円を超える累積赤字が存在している。
 財政が縮小することは、全体として福祉・人権・教育・雇用の政策にも悪影響を与え「フリーター」や「ニート(NEET)」、「引きこもり」問題などはますます深刻化している。
 例えば1929年に米国に端を発した世界大恐慌の場合も、株価の大暴落が原因であると指摘されたが、所得の格差が大きく開いていたことが、恐慌の大きな要因でもあったといわれている。当時、米国では高額所得者の上位5%の人に個人資産の絶対量の3分の1が集中していた。日本の経済状況も富める者がますます富み、貧しい者がますます貧しくなるという状況になってきている。これらの状況はファッショ的な意識と差別主義的な意識を増幅させる。一般に「勝ち組」と「負け組」が明確になる社会や恐慌のように経済が破綻状態になり生活困窮が続く社会では、その不満の捌け口は被差別者に向かう。(日本の現況はその捌け口が公務員と被差別者に向かっている。)特にナチス時代のドイツが示しているように優越意識と被害者意識が重なると差別意識はより攻撃的になっている。
 このような意味で、経済状況の悪化は人権状況の悪化と密接にかかわっている。今日の差別事件の背景にこのような経済状況やそれらを基盤とした社会の閉塞感が存在しているといえる。


④反人権主義的な社会傾向

 第三に以上のような社会情勢のもと平等思想とは逆に差別の強化につながるような思想が社会的に跋扈し始めている。これらの状況にプラスして2002年3月の同和対策事業に関わる特別法が失効したという状況が重なって、一部に部落差別を助長する発言が横行している。部落差別撤廃行政のあり方に関する批判・評論は自由であるが、部落差別を助長する「同和バッシング」的内容と社会的風潮が今日の特徴的な差別事件の背景になっている。


⑤差別を放置する社会システムの存在

 第四に差別を温存・放置するような社会システムの存在を上げることができる。戸籍等不正入手事件に代表されるように現在の戸籍制度の個人情報保護の視点に立った自己情報コントロール権の未整備をはじめとする多くの制度的な問題が背景になっている。端的にいえば「部落地名総鑑」から32年が経た今日においても「大阪府部落差別調査等規制等条例」のような法制度がない都道府県では「部落地名総鑑」の作成・販売ですら法令違反にならない現実が存在しているのである。このような社会制度上の問題が今日においも差別事件の大きなバックボーンを形成している。


⑥差別や人権侵害が放置状態の電子空間

  第五に人、モノ、金、情報が現実空間で動く時代から電子空間上を動く時代になり、電子空間と現実空間を行き来する時代になっているにもかかわらず、電子空間を十分に制御できていないという現実が今日の差別事件の背景を形成している。
 電子版「部落地名総鑑」に代表されるように電子空間は差別や人権侵害が放置状態であるといっても過言ではない。人間の差別意識が極大値に達しているのではないかと思われるような記述も稀ではない。それが電子空間というグローバルな世界で進行しているのである。これらは差別事件に大きな陰を落としている。
以上、多くの特徴や背景を指摘したが、地域や職域、教育現場等でさらに多様な差別事件が続発しており、それらの差別事件の傾向・背景もふまえた取り組みが関係各機関に求められているといえる。



「2006年度版 大阪府内における人権相談及び人権侵害事例・分析報告書」(2008年3月発行)より