主な人権侵害事象(差別事象を含む)状況

最近の差別事件の動向・特徴とその背景

近畿大学教授 北口 末広

(1)最近の差別事件の動向・特徴

⑦加害者と被害者の関係分析も重要

 一方、被害者は特定の個人である場合と不特定多数の場合が存在する。不特定多数の場合は加害者を特定するのが困難なことが多く、加害者と被害者の直接の関係性も希薄である。加害者が被差別部落一般に根強い偏見を持ち、被差別部落出身者である特定の個人に対する怨恨等ではなく、強力な差別思想が差別意識を表出するエネルギーになっている。
 被害者が特定の個人やグループである場合、加害者と被害者の関係が明確であることが多く、加害者と被害者の関係分析も非常に重要な意味をもつ。
 さらに加害者が複数存在するという事件もある。例えば戸籍等不正入手事件に関わって差別身元調査が行われた場合、依頼者も加害者であるが、調査業者や調査業者から依頼を受けて戸籍等を不正に入手した荷担者も加害者である。また被害者も「自覚なき被害者」である場合がほとんどである。
 最近の傾向としては犯人不明の事件が多く、被害者も不特定多数の事件が多い。ただし結婚差別事件のような加害者と被害者の関係が密接な事件も減少しておらず、戸籍等不正入手事件のように結婚差別事件に発展する前段階の事件の発覚は増加している。


⑧電子空間が差別事件の態様を変える

 次に差別行為や差別事件の発生・発覚場所に関する特徴では、先に指摘してきたようにネット上の事件の増加をあげることができる。ネット上の事件もこれまでの差別事件と同様にネットに書き込んでいる現実空間の差別行為者が存在しており、紛れもなく現実空間の事件でもある。差別行為者の視点から見れば差別落書きの行為をする場所が変化しただけである。しかし現実空間にいる差別行為者が現実空間のトイレや壁、ビラ等に落書きをする行為と、電子空間での同様の行為とではその悪影響は後者の方が遙かに大きい。ネットを通じて世界中の人々が差別表現を自由に閲覧できるようになるのである。行為者にとっては差別行為自体は旧来と大差なく、変わったのは手書きからキーボードに変わったことぐらいであるが、その社会的影響は大きく異なる。
 ネット上の差別事件は、情報環境が世界を変えたように電子空間上の差別事件が差別事件の態様を変えるような状況になりつつある。


⑨より高度で複雑で重大な問題に

 人権問題は社会の進歩、科学技術の進歩とともに、より高度で複雑で重大な問題になっていくといわれる。それらのより高度で複雑で重大な人権問題や差別事件に対応していく必要性が今日の差別事件の特徴からも指摘できる。今日、ネット上で多種・多様な差別事件が発生しているが、15年前には考えられなかった問題であり、このような問題にも的確に対応するシステムが必要だといえる。
 例えばインターネットの特色は、時間的・地理的制約がないこと、不特定多数の人が対象であること、匿名で証跡が残りにくいことである。また、情報発信や複製・再利用が容易であり、場所が不要であること等である。こうした特性を縦横に利用したネット環境下の差別事件に対しては、現実空間を前提としたこれまでの取り組み方では不十分であり、これらの特性をふまえた新たな取り組み方が求められている。


⑩時代に対応した社会システムを

 情報化の進展とともに、時代のスピードが速くなればなるほどそれに対応した差別事件を克服するシステムが求められているのである。つまり情報化時代の差別事件に対応した社会システムが求められているのである。
 また、一方で旧来からの発生現場であるトイレ等の密室からメデイア、公的施設内、教育現場、地域、職域等の多くの現実空間で差別事件が発生・発覚している。発生・発覚の場所的な特徴を一言でいえば、これまでの傾向にプラスして電子空間上の差別事件が飛躍的に増加している点である。それらの電子空間上の差別事件で把握されているものは氷山の一角であると推測される。


⑪発生と発覚のギャップが拡大

 動機・目的に関する特徴では、例えば結婚差別事件のように忌避・排除といった動機・目的の差別事件が後を絶たない。結婚差別事件と差別身元調査事件が合体したような事件の場合、事件加害者の立場によって忌避・排除だけではなく、調査業者やそれに荷担した人々の経済的利益のためになされていることも明確になっている。このような動機・目的の事件は発覚する例が減少しているが、戸籍等不正入手事件の取り組みの中で明らかになったことからいえることは、発生は必ずしも減少しておらず、差別行為が巧妙になったことによって発生と発覚のギャップが大きくなっていると指摘できる。


⑫時代の思想的傾向が事件に反映

  また、近年の特徴は市場原理至上主義やそこから生じる経済的格差が基盤となって、時代の思想的傾向が差別を助長する傾向になってきており、それらの思想的な背景を持った確信犯や愉快犯、攻撃、挑発、煽動等の動機・目的でなされている差別事件が続発している。
 また、手法・形態に関する特徴では、ますます巧妙化しているといえる。特に電子空間を巧みに利用した差別事件等が増加している。


 以上、最近の差別事件の動向・特徴を紹介してきたが、総じていえることは、これまでと同様の差別事件が続発しているとともに、ネット上の差別事件がますます悪質化するとともに、確信犯や愉快犯による攻撃、挑発、煽動を目的とする事件が差別事件全体に大きな位置を占めるようになってきている。