残された家族4人で集まっていても、ごはんも食べたくない気持ちだったんです。「亡くなった息子が食べられないのに、なんで私が食べないかんねん。」って思って。残された2人の子たちの面倒をみてあげなければあかんと、分かっていても、何もできないんです。
家事もほとんどできない状態でした。息子を失っただけでなく、家族まで崩壊しそうになりました。
でも、そんなひどい状態の家族なのに、近所の誰かが毎日ウチに来てくれたのです。
「おはよう」「何してるん?」「ご飯は食べたん?」とか声をかけてくれるんです。
ある人はご飯を作ってくれたり。部屋の片付けをしてくれたり。お花の手入れだけしてくれていたり。ボーッとしている私のそばで、いろんな身近なことで接してくれたんです。とにかくウチに人がやってきてくれるんです。
亡くなった息子の中学時代の友達が、学校帰りに、毎日、にぎやかにやって来るんです。その子たちがウチの下の子2人と一緒に遊んでくれてたんです。家族4人だけになると大変だったのに、2人の子どもたちは、息子の友達と遊んでいる時は笑っていたんです。
ごく自然にウチにやってきて、家のことをやってくれたり、子ども達と遊んでくれたり、私はそれがあったからよかったなあと、後々になってわかってきたんです。いろんな人に助けてもらったなぁ、と。私たちが、少しずつ日常のリズムを取り戻せたのは、周りの人たちの温かさと2人の子どもたちのおかげです。
主人が警察へ事情を聞きに行くときも、その近所の人たちの誰かが付きそってくれたんです、必ず誰かが。
家庭裁判所に書類を提出しなければならないことがあったのですが、でも私らじゃあ何もわからへんなぁ、って言ったら近所の4家族が集まって夜中まで知恵を出し合ってワープロ打ちまでずっと助けてくれたこともありました。
そういうことをしながら生活も支えてくれたのは、本当に自然な感じでした。
もうひとつ良かったのが、ウチに来てくれた人たちが、私たちを特別扱いしなかったんです。
被害者は、事件後すごく何でも悪く考えてしまうんです。とにかく何でも悪く思いました。
ふっきれるきっかけを作ってくれたのも地域の方なんです。
とにかく人間不信になってしまうし、社会から見放されてるし。いつも来る人たちはいいんですけど、一歩外にでるとパーッと散っていく人もいるんですよ。で、ある時、その人たちの事を、ウチに来てくれる人にぐちったんです。そしたらこう言われたんです。
「アンタねえ、外歩いている時、どんな顔して歩いているのかわかってるか?そんな顔して歩いている人に、なんて声かけたらいいん?
心配しているひとはたくさんおるんやで。世の中には悪い人ばっかりとちゃうんやで。」
って言われたんですよ。
それを言われなければ私はずっと気がつかなかったと思います。
そういえばワタシ、外歩くたびに怒っていたんですよ。社会に対してはもちろん、自然にまで。木は同じところに変わらず生えているし、枯れてもまた春には新しい芽が出てくる。それに腹を立てていたぐらいですから。だからものすごい顔をして歩いていたのだなぁ、と。心配してくれていた人まで悪く見ていたでしょうね。ホントに影で言ってる人もあったでしょうけれど。そんな人ばかりじゃないと。
その一言がずっと残っていて、すぐには変われなかったんですけれど、それがなければ気がつかなかった。以前のように自分を閉ざしていたなら入ってはきにくかったかもしれません。
だから家に誰かが必ず居たことが大きかった。ホントに真剣に私たちのことを心配してくれたのだと思いますよ。