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ハンセン病政策について |
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諸外国は、先進国は‘55年から‘60年にかけて解放政策ってあったんやね。日本は解放政策をとらなかった。
あんまりにも病気のこととはかけ離れた、人間の権利を無視するとか人権を損なうとか、「人間の尊厳」を傷つけるようなことをあまりにもやり過ぎたがね。
それだからやね、無らい県運動とか怖い病気やというふうなことを言い過ぎたがために、諸外国は解放政策をとっている時に、日本はそういうことをよう言わなかったんじゃないか。これはまあ、わたしの1人の見解ではあるけどなあ。
だからあの時にほんとは、日本も外国にならって解放政策していったら、こんな裁判ていうのも起こらなかったけど、なぜそういうことができなかったか。あまりにも患者を人間として扱わなかったというようなことを世間の前に言わなあかんわね、廃止するためには。
あんまり命を、人間としての尊厳を傷つけるようなことをやりすぎたがね。
ほんでこの、断種とかね、ああいうことだって、ちぐはぐなんですわ。最初はそんなこと規定もないのにやっとったでしょ。それから‘48年からは制度と国の法律の中に断種をしてよろしい、という風になっとんやで。感染症なのに、それはおかしいやね。
ほんで‘96年にそういうようなことがなくなるわけやけどねえ。我々人間を人間として扱わないような制度が、長く存続しすぎたし、わたしは人間としてわたしは非常に傷つけられたと思っとるんですわ。
そんなことを、なぜ、しなきゃならなかったかな。それは不思議なくらいほんま腹のたつことなんですけれども。
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