人権インタビュー

いじめは、絶望している子どもたちからのメッセージです
辛淑玉(しん すご)さん
 バックナンバーはこちら
いじめは、楽しいからやめられない
 辛淑玉(しん すご)さんの写真

いじめは、楽しいのです。簡単に自分の力を確かめられて、快感も得られる、そして楽しいものは習慣性がつくのでやめられません。だから、いじめはなくならないのです。
では、なぜ自分の力を確かめなければならないのか。それは、誰かに自分の力を奪われたり蝕まれたりしたからです。"弱い人"の敵は、"強い人"ではありません。力を奪われた"弱い人"は、自分より弱い人の力を奪うことでバランスをとろうとします。そうして自分のポジションをキープしようとするのです。
DV(ドメスティックバイオレンス)は、まさにこの構図です。外で抑圧された男たちは、家に帰って“女房”を叩きますよ。「男は一番にならなくちゃいけない」と思いこんでいるのになれなかったという挫折感を埋めるために、「自分には力があるんだ」ということを確認するために、女を抑圧するのです。「お茶が飲みたい」と言えば出てくるし、気に入らないからと怒鳴ることも殴ることもできる。理由は自分で作ればいい。すると、次からは少し威圧するだけで相手が自分の思い通りになるのです。

「いじめはいけない」と言いながら見逃す“ダブルスタンダード”

以前、ある自治体で行われた人権講演会に講師として呼ばれた時のことです。講演の前に「人権作文コンクール」の表彰式がありました。その後の講演で、壇上から子どもたちに「ねえ、もし友だちがいじめられたらどうする?」と訊いてみました。すると、表彰という儀式が終わって"素"に戻った 20人ほどの子どもたちは、全員「助けない。助けようとしたら自分もやられるから助けない」と答えたのです。 会場にいた役所や教育委員会の人たちの顔を見たら「これはまずいなぁ」という表情をしていました。その顔の後ろには、これは儀式なんだから本音なんか言うんじゃないよ、という気持ちが隠されていたように感じました。中には、子どもたちを傷つける質問だと言う人もいましたが、私には、子どもたちの声が「助けて」という叫びのように聞こえました。
これを言葉にできた子どもたちを褒めてあげるべきなのです。問われているのは、大人たちのダブルスタンダード(二重基準)なのです。「いじめはいけない」とか「一人ひとりの人権を大切」などと言いながら、実際にはいじめをなくすために本気で向き合ってきたかということです。
子どもの世界のいじめではなく、大人の世界、自分の周囲のいじめにきちんと向き合っているか、ということを問われているのです。
その夜に行われた教育者の会合で、「もし、あなたのクラスで子どもたちが同じことを言ったらどうしますか?」と尋ねました。すると、一番多かったのが「いじめについて考えよう」「自分がいじめられたらどうする?」と子どもたちに投げかけるという答えでした。
あーあ、と思いました。
他人事なのです。
問われているのは、おとなの「不正義」や「卑怯」なのだから、恥ずかしくて身が縮む思いこそすれ、高い視点から語れるようなものではないのですよ。

「逆らうやつは助けない」という、大人社会のメッセージ

何度でも言います。子どもたちの世界で起きているいじめは、大人に対する絶望の現れであり、同時に「助けて」というメッセージなのです。いじめられている子だけではなく、いじめている子も実は助けを求めているのです。
では、大人は何をすべきなのでしょうか。「学校が悪い」「教師が悪い」「親が悪い」と犯人捜しをするのではなく、まずは謝るべきでしょう。私も謝りました。「ごめんね。腐った大人ばかりで、本当に申し訳ない」と。
実際、大人の社会ではいじめが横行しています。イラク戦争が始まった当時、一人の日本人の若者がイラク国内で誘拐され、釈放の条件として「自衛隊の撤退」を要求されました。けれど日本政府は「撤退はしない」と即座に要求を突っぱね、彼は殺されました。
誘拐事件における対応の鉄則は、とにかく相手の要求を呑むようなふりをして、時間稼ぎをしながらねばり強く交渉することです。でも政府は最初からきっぱりと拒否しました。あれは彼に対する“死刑宣告”だったと私はとらえています。
報道もひどいものでした。「100ドルしか持っていなかった」「短パン姿だった」と、彼がいかに無防備で軽はずみだったかを言い続けました。“助けない理由”を並べ立て、「こんな時期に行ったほうが悪い」「だから殺されても仕方ない」という空気を作りあげていったのです。
あの時、繰り返し繰り返し流された報道は、要するに「オヤジ(政府)が暴力で事を解決しようとしているところに、ガキがちょろちょろ出てくるんじゃない」「オヤジのやることに逆らうやつは助けてもらえないんだぞ」というメッセージでした。
強いものに従わないやつはこういう目に遭うんだぞ、という見せしめでした。

「いじめてもいい理由」なんて絶対にない

子どもはこういう社会の中で、「弱い側についたらダメだ」と学ぶのです。つまり、大人に絶望した結果の「助けない」であって、その子どもたちがおかしいのではなく、そう言わせてしまう大人に問題があるのです。誰か一人でも自分に味方してくれる人がいれば、子どもたちはいじめられている子を助けますよ。
いじめられている子に「がんばれ」「いじめに負けるな」という人がいますが、これはとても残酷な言葉です。その子はもう十分にがんばっているのです。がんばってがんばって、我慢して我慢して、だけどもうどうしようもないから苦しくてたまらないのです。それ以上、どうがんばれというのでしょう。
これは、加害者を野放しにしておいて、「私は何もしてあげないけど、あなたのことを(口だけで)応援するから、私を責めないでね。責任を取りたくないから」と言っているのと同じです。
いじめは、常にいじめる側の問題です。「いじめてもいい理由」なんて絶対にありません。いじめられている子を叱咤激励するのではなく、いじめている子に「やめなさい!」と言うべきなのです。

広い世界に仲間はきっといると子どもたちに伝えたい

「うちの子がいじめられたらどうしよう」と心配し、「いじめられないように、みんなと同じものにしておきなさい」などと子どもに言う人がいます。けれど大切なのは、いじめられないために自分らしさを自ら押し殺すことを教えるのではなく、親がいじめを許さず、闘っている姿を見せることではないでしょうか。親自身が社会でのいじめに加担していないか、多数派の意見に流されて少数派を無視してはいないかを振り返るべきではないでしょうか。子どもはそうした親の姿を見て学ぶのだと思います。
広い世界には、「人をいじめるなんて許せない」と思っている人も、「つらかったね」と共感してくれる人もたくさんいます。私も、そういう仲間と出会う中で自分の力を取り戻してきました。
本当の自立とは、「私を助けて!」と人に言えることだよ、と子どもたちに伝えたい。そして私たちおとなは、子どもたちからのSOSを受け止め、応えていく覚悟と責任をもつことです。それは同時に、おとな社会でのいじめに対して「ノー」と言うことでもあります。

辛淑玉(しん すご) さん
人材育成コンサルタント

1959年東京生まれ。人材育成会社「香科舎」、「人材育成技術研究所」代表。人権に関わる講習・講演会を多数行っている。UCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)の客員研究員として人権問題に取り組む。「怒りの方法」など著書多数。
 バックナンバーはこちら

辛淑玉(しん すご)さんのプロフィール