人権インタビュー

伝統に根ざし、地域に密着した「人権文化」の構築を
上田 正昭さん
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「人権デー」、そして「人権週間」を迎えるにあたって、21世紀を「人権の世紀」とするため、何が必要かを考えたいと思います。
そこで今回は、日本・東アジア古代史研究の第一人者であり、大阪府人権施策推進審議会会長でもある上田正昭さんに、「人権」について、歴史と伝統という観点からお話をうかがいました。


-人権の視点からみて、20世紀とは、どのような時代だったのでしょうか。 「戦争の世紀」から「人権の世紀」へ
  そうですね、20世紀という時代については、少なくとも次の3つをしっかり整理して考えておかなければならないと思っています。
その1つは、地球全体に戦争が拡大した時代だったこと。それ以前にも世界の各地で戦争は起きましたが、地球全体に戦争の広がったのが20世紀でした。残念ですが、やはり20世紀は「戦争の世紀」であったと言わざるを得ないでしょう。
その2つは、民族の紛争や宗教の対立がこれほど深刻化した時代はかつてなかったということです。難民が続出し、その数は2,500万を超えると言われています。そして、それだけではなく、自然が破壊され、環境がいちじるしく汚染されてきました。今や環境問題は、人類だけでなく地球のすべてにとっても非常に大きな問題になっています。20世紀は「人権受難の世紀」であったとも言えるわけです。
その3つは、20世紀の政治や経済、あるいは文化をリードしたのは、アメリカやヨーロッパであったこと。つまり、欧米中心の世紀であったということです。もちろん欧米の発展が人類の発展にとってマイナスなのではないけれども、アジアとかアフリカの独自の輝きがあまり評価されなかった時代であったわけですね。
20世紀を振り返り、その課題を明確にすることは、21世紀の展望につながるはずですが、21世紀は平和で人権の文化が豊かに創造される「人権の世紀」であってほしい、「アジアが輝く世紀」であってほしいと強く願っています。

-それでは、21世紀を「人権の世紀」にするためには、何が必要でしょうか。 集まりの中で支え合うことが大事
 「人」という象形文字を見てみますと、一本では立っていません。もう一本に支えられて、はじめて「人」という字になります。すべての人は個人として尊重されるわけですが、一つの個ではなく、その集まりのなかで生きている。支え合うことが大事です。人間のあるべき姿は、この「人」という文字にも象徴されているように思います。
今は、人権というと、個人(自分)の権利ばかりを主張して、ややもすると他人の権利をないがしろにしがちです。もちろん個人の権利は大事ですが、人権問題という場合は、個人だけを視野にいれていてはだめで、「我もよし、彼もよし」という視点がより重要になってきます。「人権教育のための国連10年」(用語解説参照)では、他者の尊厳の大切さも強調されていますが、同感です。人間というのは一人で生きているわけではなく、多くの人間と共に自然のなかで生きているわけですね。
最近、「心の教育」が大切といわれていますが、私は、「命の教育」というのが人権教育のベースにあるべきだと思っています。人間だけでなく、植物にも動物にも命があります。ところが、教科書などを見ても「命の尊さ」があまり取りあげられていないんですね。
環境問題に取り組んでいる人たちは自然の保護ばかり、人権問題に取り組んでいる人たちは人間の権利ばかりに、目をうばわれているような気がするんですが・・・。21世紀の人権問題を考える重要なキーワードとして、「人権の問題」と「環境の問題」をどのように統一的にとらえていくのかということが、現在の大きな課題になっていると思います。
アジアや日本には、もともと自然と人間の共生を大事にしてきた伝統があります。自然と調和し、自然と共生する人間の道の探究は、基本的にアジアの哲学や宗教のベースにありました。このような自然と人間のありようを再発見することは、21世紀の人権文化の構築に寄与するはずです。欧米の人権思想や哲学だけでは不十分ではないかと思っています。
さらにいえば、「命の尊厳」を自覚し、自然とともに、人間が人間の幸せを構築していく、そのための行動と成果(実り)が、人権文化の創造につながるのではないかと考えています。


-今お話に出た「人権文化の創造」のために、大切なことはなんでしょうか。 過去にも学び、新しい世紀の創造を
 私は常々、関西には関西らしい「人権文化」の創造をめざすことが重要だと考えてきました。大阪は、いわゆる商工業の都市というイメージが強いのですが、懐徳堂や適塾があり、優れた町民を輩出しています。京都でも、石田梅岩が後に「心学」(しんがく)とよばれる町民の学問を育てました。「心学」とは、まさに「心とは」「心を知るとはなんぞや」を問うた学問です。そして、「人の人たる道」をみきわめていきました。梅岩が45歳の時、1729年に京都で開いた塾にはじまります。「お望みの方は遠慮なくお通りお聞きくだされたく候」と呼びかけ、当時では珍しく、女性にも開放しているんですね。
「心学」というと、何か封建的な学問みたいに思っている人がおられますが、「商人」に自信を与え「商人の道」を説いて、「人間が人間らしく生きる」ということを絶えず追求した学問です。「心学」の言葉では、「人の人たる道」と表現していますが、いわゆる「人道」ということです。
最近、「人道主義」という言葉が盛んに使われるようになりました。日本では「ヒューマンライツ」を人権と訳していますが、東アジアでは、「人道」と言ってきたんですね。人権の思想というとヨーロッパの人権の歴史から説く人が多いのですが、東アジアには「人道」という言葉で、「人の人たる道」を説いてきた歴史もあるわけです。そのひとつが、日本の町民の学問として、花開いた「心学」です。「心学」は京都だけでなく、大阪をはじめとして各地にひろがりました。
封建社会のなかで誕生した学問ですから、「心学」のなかにも、批判すべきところはもちろんあります。しかし、学ぶべきところもたくさんあるのです。過去と断絶するのではなく、過去にも学んで現実を直視して、21世紀の創造をめざしていくことが大事なのではないでしょうか。それこそが単なる「伝承」ではなく、「伝統」なのだと思っています。
「伝統」と「伝承」は違います。「伝統」というのは、古いものを受け継いで、新しく創造していくということです。クリエイティブな要素がなかったら、伝統にならないんですね。
これからは、「アジアの人権」、「関西の人権」、つまり、地域に密着した人権文化の構築も考えなくてはいけないのではないか。大阪には大阪という地域の歴史とか伝統に根ざした人権文化の構築を、具体的に考えるべきだと思っています。
地域のなかで人権の具体化を
 昨今は、個人の尊重が強調され、他方では、人権の普遍性が強調されています。そして、その「個の尊重」と「普遍性」が両極に分化して、中間が抜けがちですね。その中間は何かといいますと、「地域」です。もっと具体的にいえば、社会であり、学校であり、職場であり、家庭です。地域のなかに人権をどう具体化していくのかが重要ではないでしょうか。
このため、大阪府人権施策推進審議会でも、府民の主体的な人権に関する活動をどう行政が支援していくのか、また、地域における人権教育の具体化、あるいは、地域に即した人権文化の輝き、といったことを中心に議論してまいりました。
これらを盛り込んだ「大阪府人権施策推進基本方針」をどのように具体化していくのかということが、大きな課題です。

-どうも、ありがとうございました。

  (2002年12月発行 そうぞう)
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