人権インタビュー

豊かな人権文化の創造をめざして
太田房江vs中坊公平
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太田大阪府知事と中坊大阪府人権協会会長 大阪府では、人権に関するさまざまな情報を発信することにより、府内の人権活動の活性化や活動団体間のネットワークづくりに役立てるため、人権情報誌を発行することとなりました。
そこで、創刊記念特別対談として、太田房江大阪府知事と本年4月に(財)大阪府人権協会会長に就任された弁護士で元日本弁護士連合会会長の中坊公平さんに登場いただきました。


人権の尊重が平和につながる
知事: 中坊先生には、大阪府のアドバイザリー・スタッフとしてお世話になっていますが、このたびは、(財)大阪府人権協会の会長にもご就任いただき、本当にありがとうございます。
中坊: いやいや、一弁護士として40数年やってきた私の経験や考えが、少しでもお役に立てばと思てます。  私は、よく色んなところで「人権を重んじていけば平和になる」と言うておりますが、これは、どういうことかというと、第一次世界大戦の後、世界の人々は、つくづく戦争ほど悲惨なものはない、戦争をなくすにはどうしたらいいのかと考えたわけです。その結果、バランスオブパワー、つまり国どうしの力の均衡さえとれれば、戦争は防げるということが世界の共通認識となっておったんですが、なんとまた、第二次世界大戦が起こってしまった。  そこで、各国が今度こそはと集まって、なぜ、戦争が起きるのか、どうしたら戦争をなくすことができるのかと考えて、出した結論が、国際連合の1948年の「世界人権宣言」で、つまり、それぞれの国の中で人権が尊重されないと世界の平和を維持することができないということにやっと気がついたわけです。
知事: 確かに、国連以前は、誰にどのような人権を認めるかといった問題は、各国がどこからも干渉を受けずに自由に決められる、いわば国内問題にすぎなかったのでしょうが、それではいけないということですね。
中坊: そうです。世界の平和は人類共通の願い、お互いの人権を認め合い、いたわりあってそういう活動をずうっと永く続けていくと、結果的に平和になるんですな、これが。
知事: わたしも同感です。しかし、残念なことに現代に至っても人権問題はなくなっていない。  そのひとつの例がハンセン病の問題で、私も昨年、岡山にあるハンセン病療養所を訪問しまして、そのときに元患者の皆様とお会いして、いわれなき差別や偏見がいかに人を傷つけるかということを実感しました。
中坊: そういう不条理に泣く人をたくさん見てきて、およばずながら力を貸したいと、そう思ってやってきたわけですが、人権を守るということは、たやすくないというのが実感です。  時には身に危険が及ぶ場合もある。オウムの事件の坂本弁護士なんかもそう。不幸な事件やったけど、みんな多かれ少なかれ、そういったことを乗り越えてやってきている。  20世紀は国連や国や自治体がこぞって、さまざまな人権に関する条約や規約、条例をつくったわけですが、相変わらず差別や偏見はある。つまり中身、人の気持ちがついていってない。人権の意識が根付いていないということで、これは、条例ができたから、はい明日から変わりますよというようなわけにはいかない。
知事: 人権というとどうしても難しいものとか、私は関係ないとか思いがちなんですが、そうじゃないと…。いかにして人権が一人ひとりの身近にあって大切なものかということを浸透させるか。そこが難しいですね。
権利の利は「道理」の理
中坊: それと、一般的に日本人が権利というときには、権利=利益というように権利を利益の代表のように使こうておりますが、「権利」という言葉の英語の本来の意味はライト「RIGHT」=正義という意味でして、明治の初めに「ライト」を日本語にどう訳すかということが問題になって、そのときに「利益」の「利」と「道理」の「理」のふたつの説があったそうです。  「理」という字は王へんに里と書きますが、「王」は玉、「里」は離れるという意味をもっていまして、つまり、玉(石)が離れる(割れる)ということです。  だいたい石というものは、硬いものであるけれど、石屋さんのような玄人からみれば筋というものがあって、そこに刃金をあてれば簡単に割れるそうです。そういうことから「理」という字はものの道理、世間が認める行いのすじみち、善悪を決めるときの判断基準であると。 そういう意味合いからも本来は「権理」と書くべきじゃないかと思っています。
知事: なるほど…たぶん、明治の時代には「RIGHT」にあたる言葉がなかったのでしょう。その時代の方々は、日本語に訳すために、かなり苦心されたのでしょうね。  21世紀になって、世界はますますグローバル化が進むと思いますが、そんな中にあって、私たちは一人ひとりが、権利とは何かとか、人権、自由、についての考えをはっきりと持っておかないといけないですね。
豊かな人権文化を大阪に花開かせるために

中坊: 人権とは案外、気がついていないけど、日常生活の中のそこかしこにあるものなんです。  誰もがもっているひとりの人間としての尊厳をお互いに大切にすることから始めて、それぞれの個性を認め、尊重してその違いを楽しめるような世の中にならなくては…。
知事: そうですね。国連が戦後50年間の活動の集大成として決議した「人権教育のための国連10年」(用語解説参照)の行動計画の中で、人権教育とは、人権という普遍的な文化を構築するために行う研修普及と定義されています。府としても全国に先駆けて大阪府の行動計画を1997年に策定しまして、昨年3月には、より実践的なものにするために後期行動計画も策定しました。  ただ、先ほど中坊先生がおっしゃったように法整備だけでは、本当の意味での人権文化は根付かない。人権を単なる知識として学ぶのではなく、府民一人ひとりが自らの問題として受け止め「他人に対する思いやり、やさしさ」をはぐくむことのできる環境を創ることが必要だと思います。  大阪は、難波津の昔から内外の人々が集い、互いの違いを認め、助け合いながら発展してきたまちなんです。つまり、もともと柔軟に受け入れる下地がある。  その特性を活かして、地域団体、NPO、企業、市町村などと手を携えて、地域コミュニティやまちづくりの観点から豊かな人権文化の創造に取り組んでいきたいと考えています。
中坊: 大阪には、幸いなことにたくさんのすばらしい人材があります。そういう人たちと一緒に是非、大阪に人権文化の花を咲かせていただきたいと思います。
  (2002年6月発行 そうぞう)
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