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「今」だから、考えたい。
笑ったり、ベソかいたり、そんな姿が元気の源でした。
秋雪が生まれたのは、1992年の10月。
生まれた季節が秋だったのと、夫が大好きな「雪」から名前をとりました。
「ダウン症の疑いがあるので、一度検査を受けたほうがいい」と言われたのは、生後一週間目のこと。
病院で検査した結果、ダウン症であることが判明。さらにダウン症の合併症として重い心臓障害をかかえていることもわかりました。
医師からは「生後半年のあいだに絶対に風邪をひかせてはいけない、ひいたらそれで終わりです。
生きられたとしても一歳の誕生日を迎えるのは難しいでしょう」と宣告されました。
頭の中が真っ白になるほどの衝撃でした。
たったの一年。まだ生まれて一カ月だというのに、なぜ、命の長さを宣告されなければならないの。
なぜ、そんな運命を背負って生まれてきたの……。あまりのショックで、何も感じることができませんでした。
秋雪を守ろう、そう決意しても、残酷な現実に、何度も心が壊れそうになりました。
そんな私を、ぎりぎりのところで支えてくれたのは、秋雪の存在そのものでした。
あたたかなぬくもりのある体。笑ったり、ベソかいたり、楽しそうに手足を動かしたり。
そんな秋雪の姿が、私の元気の源になりました。

ともに過ごす一分一秒を愛おしみつつ撮り続けた6年2ヵ月。
死を覚悟してからは、「生きていられるだけでごほうび」という気持ちに。
そんなふうに切り替えてからは、秋雪といられる一日、一分、一秒を愛おしく感じつつ、
一瞬も逃さずに大切にしたいと思いました。
思い出を少しでも多く残したくて、どんな所へもカメラを持っていき、
6年2カ月の間、本当にたくさんの写真を撮りました。
朝、目覚めたとき、秋雪のおだやかな寝息に、上下する胸の動きにほっとする。
今日も秋雪に会えた……ごはんを食べる、トイレに行く、おこる、泣く、笑う、眠る──
その、砂の数、星の数ほどの幸せのかけらを、秋雪がいつも握っていました。
この写真を撮ったのは、98年の8月。秋雪にとって生涯最後の海です。
帰る間際の駐車場で、今まであまり見せたことのない、
おだやかな表情を浮かべていた秋雪を、お父さんが抱きしめた瞬間でした。
秋雪を亡くして1年後、偶然知ったコンテストに応募するとき「たったひとつのたからもの」と題名をつけました。
秋雪は私たちに、抱えきれないくらいのたくさんの幸せを残してくれました。
それは、私たちのこれからの人生を支えてくれるほどの、大きな大きな幸せでした。
「ぼくは生きているよ」と、全身で表現していた秋雪。いつも全力疾走していた秋雪の命が、
私たちに精一杯生きることを教えてくれました。



「自分の写真が、少しでも役に立てれば─
今はそう思って、子どもたちの姿を追いかけています。」

加藤浩美(かとう ひろみ)さん
埼玉県生まれ。高校時代から写真に魅せられる。99年、長男秋雪くんが死去。享年6歳2ヶ月。翌年、写真雑誌で偶然知ったフォトコンテストに応募。入賞作品「たったひとつのたからもの」はCMで放映され、大きな話題を呼んだ。6年前から、秋雪くんも3年間通った知的障害児通園施設「桶川市いずみの学園」で、ボランティアとして園児たちの日常を撮り続けている。「秋雪が逝ったあと、実は、もうこれで写真はやめようと思ったんです。でも、学園のみなさんから『ぜひに』と言われ、もう一度撮ってみようか、と。あのときカメラを捨てていたら、たぶんコンテストへの応募もなかったでしょうね」と振り返る。「移り変わっていくものを、ずっと覚えていてあげること。自分の写真が、少しでもそのお役に立てればいいな、と思います」。
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