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リレーエッセイ

菰渕さん 第8回
「関係」というキーワードで人権問題を見直す



近畿大学教授
奥田 均(おくだ ひとし)さん


同化や排除で差別を「消そう」とした歴史

 差別をなくすために、私たちの社会はこれまでさまざまな試行錯誤を繰り返してきました。たとえば長い間、差別は部落出身者や在日コリアン、障害者など「差別の対象となる人の問題」だとされてきました。そして差別問題を解決するには「対象となる人がいなくなればいい」と考えられたわけです。最も極端なのが、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺です。日本でも、戦時中に強制連行した朝鮮人の人たちを帰国させたり、ハンセン病の人たちを強制隔離したりしました。
 一方で、こうした「差別の対象となる人」が、そうでない人と同じになれば差別の「境界」がなくなるという考えもありました。在日コリアンの人々に対して「国籍による差別がイヤなら、帰化すればいい」と言ったりするものです。
 同化と排除。ベクトルは正反対ですが、「差別は、対象となる人の存在が見えなくなればいい」という考えは共通しています。

「状態」が差別を生み出すという考え方

 けれども、言うまでもなく同化や排除はそれ自体が非常に差別的な発想であり、差別をなくすことなどできません。やがて被差別の立場に置かれた人たちが怒りの声を上げ始め、運動や取り組みが始まります。そしてたとえば部落問題の取り組みにおいては、被差別の人たちの「存在」ではなく、「状態」が問題なのだとされました。つまり、部落があることが差別の原因ではなく、部落が貧しく、環境が劣悪であることが差別を生んでいるという考えです。意識面でいえば、「教えない・知らせない」ではなく、正しく知らせよう、間違いを正していこうという取り組みが始まりました。これらが同和対策事業であり、同和教育や市民啓発でした。

マイノリティには社会全体の人権問題が集中する

 同和対策事業によって部落の環境は改善され、同和教育や市民啓発によって部落に偏見や差別意識をもつ人は減ってきました。しかし、なくなったわけではありません。大阪府が2000年に行った同和問題の解決に向けた実態調査では、部落に対する根強い偏見や差別が今もなお残っていることが明らかになりました。こうした同和対策事業や教育・啓発ではうち消すことのできなかった偏見や差別は、どうすればいいのでしょうか。私は、「関係」をキーワードにして差別の問題をもう一度考え直してみることが必要ではないかと考えます。
 部落の課題である失業、劣悪な住環境、子どもを大学へ行かせられない経済状況……。これらは部落外の世界でもいくらでもあります。逆にドメスティックバイオレンスやセクシュアル・ハラスメントなど社会的に問題になっていることは部落でも必ず起こっています。つまり、部落で起きる人権問題は、社会でも必ず起きている。逆に社会で問題になる人権問題は部落でも必ず起きている。ただ、部落はもともと差別を受けていますから、よりひどい状態で問題が起きます。いわば、社会が抱える問題が部落に集中する形で反映しているといえます。部落問題だけでなく、障害者や在日コリアンなど他の社会的に弱い立場(マイノリティ)に置かれている人たちの世界にも同じことがいえるでしょう。

「向き合う」から「一緒に取り組む」へ

 差別を受けている人たちが上げる声に対して、社会はこれまで「対策」や「対応」といった形で応えてきました。あるいは「障害のある人とどう向き合うのか」「在日外国人の人たちとどうつながっていくのか」といったように「向き合い方」が問われてきました。すると「差別してはいけない」というような道徳や倫理的な話になるし、当事者に対しては救済や補償という発想が出てきます。間違いではありませんが、そこに止まってしまっては大事なものが見えません。「自分の人権の問題が被差別の人たちを通じて社会に再提起されている」と受け止め、被差別の人たちと自分との「関係」が見えた時、一緒に取り組んでいくテーマがたくさん出てくるはずです。


部落と部落外の「協働」の時代がきた

 長年携わっている部落問題について付け加えます。部落差別を支えている多くは「忌避意識」だといえます。「部落だとされている地域に住みたくない」「同じ校区だということもイヤだ」「自分の子どもは部落の人と結婚させたくない」などと考える人たちは、一方で「部落の人を差別する気はない」と言います。つまり「自分や家族が部落の人間だと周囲に思われるのが嫌だ」というわけです。「部落を差別している」のではなくて、「部落だと見なされることを避けたい」のですから、差別意識は部落と市民の間で再生産されるのではなく、市民と市民の間で再生産されます。部落出身者の登場しない部落差別が起こっているのです。
自分の幸せや家族の安泰を願う、ごく素直な幸せへの希求が、部落を避けるという忌避意識に転化するにはそれほど複雑な思考回路は必要ありません。そして「部落を差別する」という認識がない以上、部落に対する「正しい知識」では太刀打ちできません。差別の構造やからくりに組み込まれている自分を客観的にとらえられるかどうかなのです。歴史的経過の真実を知るのもいいし、部落と部落外を仕事や教育といった生活レベルのテーマでつなげることも有効でしょう。「対策」や「啓発」を経て、部落と部落外の「協働」の時代がきたのです。


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