1996年1月22日。私の息子、秀猛は15歳で自ら命を絶ちました。いつもニコニコして、3人の兄たちにかわいがられ、母親の手伝いもよくしていた、やさしい息子でした。自殺をするなど、思いもよりませんでした。遺書を読み、初めて息子がいじめられていたのを知ったのです。「お父さん、お母さん、ごめんなさい」で始まる遺書には、中学校の入学式の日から始まったいじめについて書かれていました。殴られ続け、大切にしていたファミコンを脅し取られ、総額30万円ものお金も脅し取られていたのです。私は怒りで全身が震えました。
遺書には5人の加害者の名前が書かれていました。葬式には大勢の同級生が来てくれましたが、その5人は現れませんでした。私は弔問に来た校長に彼らの名前を伝え、「焼香して詫び、いじめの事実を話してもらえればすべてを許します」と言いました。ところが返事ははかばかしくありません。思い余って直接電話をすると、学校が「大澤さんのところへ行くなら、ちゃんと(学校へ)報告しなければ駄目だよ」と言っていたことがわかりました。また、いじめではなく「ケンカだと言え」とも言っていました。私たち家族には見えないところで、学校は責任回避を図っていたのです。