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リレーエッセイ
森田 洋司(もりた・ようじ)さん 第44回
市民意識の育成で、いじめ問題の解決を


森田 洋司(もりた・ようじ)さん

大阪樟蔭女子大学 学長

繰り返し社会問題化してきたいじめ

 日本社会において、いじめ問題はほぼ10年おきに社会問題としてクローズアップされます。1980年代初めに第一波があり、94年に愛知県の中学生がいじめを苦にして自殺した事件をきっかけに第二波が起こりました。そして2006年、またしてもいじめが原因の自殺が相次ぎ、社会の関心がぐっと高まりました。
 こうして何度も大きな社会問題として認識されながら、根本的な改革がなされないまま今に至ります。それは何も手を打てなかったというのではなく、いじめが起きる構造そのものに目を向けてこなかったということです。
 子どもたちの世界で起きているいじめは、何も子どもたちだけの問題ではありません。人が二人寄れば、力関係が生まれます。どちらかが何らかの基準において優位に立つわけです。しかし同じ人間同士でも、少し場面が変われば力関係が逆転することもあります。そして力関係の裏側には必ず社会的地位、腕力、知識や経験、人気があるなどといった“資源”が存在しています。この“資源”を濫用するところにいじめ(ハラスメント)が入り込んでくるのです。  

対応の仕方によって表れ方や被害のありようが変わる

 たとえば男性と女性の力関係のなかで起きればセクシャルハラスメントになりますし、学校のような教える側と教えられる側という力関係のなかで起きればアカデミックハラスメントとなります。上司と部下の関係であればパワーハラスメントです。子どもたちの間でのいじめもそのうちのひとつです。いじめとは私たちが社会を構成し、人と関係を結んでいく時、基本的なところに忍び込んでくる問題なのです。まず、そのことをしっかりと認識する必要があります。
 しかし、これを人間の業や宿命としてとらまえるべきではありません。私はいじめの国際比較研究をおこなっていますが、同じようにいじめが起きる構造をもちながら、被害を軽く抑えたり問題を解決したりしている国はいくらでもあります。対応の仕方によって、いじめの表れ方や被害の及ぼし方が違ってくるのです。つまり、起きたいじめに対してどういった取り組みをするのか、あるいは子どもたちにどのような働きかけや教育をするのかによって大きく変わってくるということです。  

いじめで受けた傷は見えない、消えない

 いじめへの対応を考えるにあたっては、いくつかの問題点があります。まず、被害が見えにくいことです。いじめる側があからさまにいじめることはありません。また、いじめられた子どもが反撃するとますますいじめられ、かといって何か反応すると面白がられて攻撃が増幅します。結局、いじめられた子どもの最大の防御法は黙って嵐が通り過ぎるのを待つか、ニタッと笑って何でもないふりをするかになります。すると周りにはいじめられた子どもの痛みが伝わりません。
 大人たちの受け止め方も問題です。いじめの被害は軽く思われがちで、「自分も乗り越えてきた」「傷ついたの何のと、近頃の子どもは弱くなった」などと言う大人が少なくありません。また、時には善意が結果的にいじめとなる場合があります。よかれと思って鍛えたり叱咤激励したりすることが、本人にとってはいたたまれない、あるいは大きな苦痛となるのです。
 いじめの傷は目に見えないというのも難しいところです。けんかで殴り合ってできたアザは消えますが、いじめで蹴られたり殴られたりすると、体だけでなく心にも傷を負います。そして内面にできた傷は場合によっては何十年もひきずり、精神的な障害を引き起こすケースもあります。最も深刻なのは自己観念が著しく低下し、「自分はダメだ、情けない人間だ」と自責感にさいなまれることです。これはその人自身の生きる力を失わせる、大変な被害です。

共同体の問題としていじめをとらえる

 いじめが起きる構造や被害を受けた子どもの状況を述べてきました。これらを踏まえて考えると、悪口を言ったり殴ったりしたという現象だけをとらえていては解決にならないことがわかると思います。もちろん、いじめられている子どもを救い出すことは必要ですが、同時に回復に向けての支援が必要なのです。回復とは、人間関係の回復だけでなく低下した自己観念の回復も含まれます。ここにウェイトを置かなければ、本当の意味での被害からの救済やサポートは成り立ちません。これまでのいじめ対策にはこの視点が決定的に欠けており、だからこそ繰り返し社会問題化してきたのです。
 また、いじめを個人の問題ではなく、共同体の問題としてとらえることが大事です。人が集まる共同体は、支えあう場であると同時にそれぞれの個性や欲求がぶつかり合う場でもあります。そこにいじめも生まれます。その時、一人ひとりの構成員がいじめにどれだけブレーキをかけることができるか。教育でいうところの“自浄作用”が重要なポイントになります。
 こうした力は自然に備わるものではありません。幼児期から、家庭や地域、学校などそれぞれの場においてメンバーとしての自覚をもち、共同体を営む一員としてどのようなふるまいや態度をとるべきなのかを考え、行動する経験を積み重ねるなかで備わるものです。急速に個人化が進む日本社会では、子どもたちがこうした経験をする機会がどんどん失われています。結果として、目の前でいじめが起きても見て見ぬふりをする、自分さえ安全な場所にいればいいという子どもたちが増えています。いじめをしていないという点では問題ありませんが、いじめを促しているという点においては非常に問題です。これは私たち大人にも通じることです。
 いじめの解決のためにも、共同体の一員としての意識と責任―市民意識―を育てる教育が今最も求められています。

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