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リレーエッセイ
中井 和真(なかい・かずま)さん 第38回
ひととひとがつながるまちづくりを


中井 和真(なかい・かずま)さん

大東市人権北条地域協議会 総合生活相談員

地区外からの相談も半数を占める

 大東市人権北条地域協議会に所属し、総合生活相談員として働き始めて3年が過ぎました。人権文化センターに設けている相談窓口にこられた方にお話をうかがい、必要な情報を提供するなどして問題解決のお手伝いをするのが仕事です。
 相談内容は、さまざまな手続きのしかたから人間関係のトラブルまで多岐にわたります。また、人権文化センターは同和地区内にありますが、地区外からの相談も多く、地区内外の割合は半々です。「人権文化センターや相談窓口は同和地区に住む人たちのためのもの」と思われがちですが、決してそうではありません。もちろん、対応もまったく同じです。
 最近は特に同和地区におけるさまざまな事業に対して批判が高まっていますが、「同和地区だけがよくなればいい」という視点で行われている事業はありません。たとえば私たちの地区でも統廃合で空いた施設や公園を「中学校区」で共有し、住民全体にとってよりよいものにしていきたいと「まちづくり」に取り組んでいます。「同和地区内にあるものは、うちとは関係ない」という声が聞こえてくることもありますが、ねばり強く働きかけていくつもりです。  

地区外に住んで初めて見えた地区の姿

 私自身も同和地区で生まれ育ちました。うちの地区はだんじり祭りが盛んで、太鼓も何世代にもわたって受け継がれています。私も子どもの頃から太鼓と祭りが大好きでした。小学校から子ども会活動に参加し、これも盛んだったソフトボールに熱中しました。中学時代も子どもどうしのネットワークである「中学友の会」に参加しましたが、「高校友の会」はなかったので、子ども会を手伝ったり、地元の友達とバンド活動をしたりしていました。
 高校卒業後は、アルバイト先の居酒屋に就職しました。帰宅が深夜になるため、店の近くにアパートを借りました。生まれて初めて地域を出て、いろいろなことを考えさせられました。市営住宅や共同浴場の安さといった同和対策事業は、地域を出て初めて実感したことです。民間で部屋を借りれば、どんなアパートでも5万円6万円は当たり前です。差別による劣悪な生活環境という実態を改善するための同和対策事業ですが、長く続くことによって依存してしまっている部分もあるのではないかと考えるようになりました。1年だけでしたが、外から地域の姿を見ることができたのはいい経験でした。  

差別と闘ってきた太鼓を引き継いで

 1999年、大阪府内の同和地区で太鼓の演奏活動をしているグループが集まり、「皷色祭響」と銘打たれた太鼓のイベントが開かれました。これに参加することになったのが、私の大きな転機となりました。もともと好きだった太鼓にすっかりはまってしまい、チームをつくって本格的に取り組みたいと考えるようになったのです。呼びかけに集まった20人ほどの仲間と、毎日2時間は練習しました。
 もともとは差別との闘いのなかで育まれてきた太鼓であり、年長の人たちにはそのリズムに特別な思い入れがあります。思うがままに太鼓を叩いていると、「おまえらはどこのリズムを叩いてるねん」「わけのわからん太鼓を叩くな」と叱られたこともあります。楽しいばかりではなく、世代を超えて語り合う機会でもありました。
 仕事はずっと地域とは無関係でしたが、大東市人権北条地域協議会が立ち上げられたのをきっかけに「総合生活相談員に」と声がかかりました。「家も仕事も地域のなかでは視野も世界も狭くなる」と悩みました。地域の人間関係の濃密さをよく知っているので、公私の区別がつけられなくなることへの不安もありました。一方で「太鼓の活動をしっかりやりたい」「地域の活動や地域の問題を解決したい」「部落差別をなくしたい」という思いもあり、地域で働くことを決めました。

一歩でも地区へ足を踏み入れてほしい

 地域の事情を知っているため、悩みや不安の背景が理解できるという面はありますが、顔見知りの相談者にとってはかえって相談しにくい部分があるようです。ですからむしろ仕事として割り切り、相談者に心理的負担をかけないことを心がけています。
 相談やまちづくりを通じて、地域の人たちがよく見えるようになりました。部落出身者であることで、いつ差別され、傷つけられるかわからない人間関係の中で生きてきたために、人間関係を築くのが乗ずではない人もいます。中には声を張り上げて自分の主張を通そうとする人もいます。しかし、これはよい傾向ではありません。頭ごなしに差別への怒りをぶちまけるだけではなく、人間関係をつくっていく中で、差別について語り合えるようになるのがよいと思います。だからこそ、これからは協調性をもち、周囲の地区やさまざまな団体といい関係を築いていきたいと思っています。そのためにも、祭などの行事の段取りや連携がうまいなど自分たちが得意なものやもっている力を外に伝えていけたらと思うのです。
 同和地区に対する差別意識はまだまだあると感じています。知らないことが差別につながっているのではないでしょうか。同和地区外に住む人には、一歩でも同和地区に足を踏み入れてほしいと思います。通り道としてでもいいのです。それが同和地区と地区外とを結ぶ第一歩になるはずです。

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