財団法人 大阪府人権協会
人権相談 人権に関するQ&A リレーエッセイ 人権インタビュー
home
 新着情報
 人権トピックス
 講座・イベント案内
 刊行物・書籍

人権協会からの発信

 メールマガジン発行
 愛ネットニュース
 人権情報誌 そうぞう
 大阪府人権協会ニュース
 大阪まちづくり
プラットホーム
 リンク集
 組織・事業の概要
 大阪人権センター
 個人情報保護方針
 お問い合わせ


リレーエッセイ
大井 真基子(おおい・まきこ)さん 第36回
仲間と支えあいながら取り組む同和教育


大井 真基子(おおい・まきこ)さん

大阪部落出身教師の会「水交会」

「生まれたところを言うたらあかん」と母に言われて

 わたしが、両親に連れられて生まれたムラを出たのは、まだ赤ん坊のころでした。茨木市や堺市と大阪府内を転々としてきました。
 生まれ故郷が部落だとは知らされずに育ちましたが、母から「生まれたところを言うたらあかん」と言われたことがあります。まだ物心もついていないような子どもでしたが、「自分の生まれたところは恥ずかしいところなんや。絶対に言ってはならない」と思い込んでしまいました。
 ですから学校で「田舎はどこ?」というような話題になりかけるとさり気なく席を立って逃げました。逃げ損ねて「あなたの田舎はどこ?」と訊かれると、「田舎の方やねん」とごまかします。おとなになってもずっとそうして隠し、逃げ続けました。
  わたしは大阪の浅香という被差別部落に生まれています。育ったのは部落外でしたが、大好きな盆踊りをはじめ、年に何度か浅香の祖父母の家を訪れていたので、当時のムラの様子はよく覚えています。幼心に「よそとは何か雰囲気が違う」と感じていました。堤防の斜面に家が建ち並び、その下は畑。そして畑のすぐ横に大和川が流れているのです。教師になって『にんげん』を読んだ時、初めてふるさとが堤防の上にあり、畑は河原だったことを知りました。

自分が「差別される側」だと知る

 部落との“出会い”は短大時代です。親しい友人が部落解放研究会で活動していたので、わたしも籍を置きました。自分が部落出身者とは知らないまま同和問題を学び、「こんなひどいことがあるのか」と驚くとともに憤りを感じました。
 教師になってからのある日、熱心に活動する友人がわたしの下宿を訪れ、「今日は浅香部落でビラをまいてきた」と言いました。「どこ?」とくわしく聞いてみると、まさに自分の祖母が住むところです。思わず「そこ、わたしの生まれたところや!」と口にしていました。
誰かが結婚するたびに飛び交っていた「ムラの人」という言葉。熱心な仏教徒でもないのにしょっちゅうお寺に人が集まっていたこと。共同で使う水道・・・。生まれ故郷は、ほかの地域と比べて何かと様子が違っていました。子どもの頃から「変だ」と感じていたことが、すべてひとつにつながってハッキリと見えた気がしました。
  けれどもその時に自分のことを話せたのは、友人が部落問題をよく理解していたからこそ。自分が「差別される側」の人間だと知ったことで精神的につらくなりました。「堂々と浅香で生まれたと語れない自分は、部落を差別しているんじゃないか」という自分への問いかけや葛藤を抱きながら、やっぱり「うかつに人には言えば、どんな目で見られるかわからない」と恐れ続けていました。  

子どもからの問いかけに、自分の差別体験を話す

 自分の出自を子どもたちに教えることから逃げ続けていました。ところが教え子の自殺未遂という事件が起こります。クラス全体が大きく揺れるなか、一人ひとりの子どもと向き合いました。するとそれぞれの背景が浮かび上がってきたのです。この頃から、相手を選びながら出自を語るようになっていきました。そして「部落出身者であることを語ったうえで、子どもとの関係を築きたい」と自ら希望し同和校へ転勤し、9年間勤めました。
 その後、一般校へ転勤。人権教育担当となり、堺市人権教育研究会(当時は同和教育研究会)主催の「『にんげん』学習交流会」の司会を務めることになりました。最初の年のことです。参加した子どもから「結婚差別は今もあるのですか?」と質問を投げかけられました。司会のまとめの時、討議の中で誰もその事に触れなかったので、自分が結婚したばかりの頃に、相手の父親から差別発言を受けたことを話したのです。体が震え、涙もにじみました。話し合いを終えてザワザワしていた会場が静まり、子どもたちはじっと耳を傾けてくれました。
  『水交会(大阪部落出身教職員の会)』との出会いも大きな喜びと力を与えてくれました。送られてきた結成趣意書を何度読み返したことでしょう。「ここに温かい仲間がいる」と、読み返すたびに涙で字がぼやけました。和泉市内に勤務する九州出身の教師が結婚差別を受け、入水自殺をした痛ましい事件をきっかけに、部落出身教職員をつなげ、支え合おうとつくられた会です。昨年の秋、水交会で『源流』という本を出版しました。

豊かな生き方として

 被差別部落を校区に含む小学校で、部落差別が子どもたちに暗い影を落としていると気づかされました。小学校4年生の子どもが「わたしら、部落やからあかんねん」と言うのです。わたしは「それはおかしいよ。先生も部落やけど、自分があかんとは思わないよ」というところから話していきました。部落出身者であることを話したのがきっかけで、本音で話してくれた親も何人かいました。
 子どもたちには、部落差別は江戸時代ではなく今の話であることや、差別される側ではなく差別する側の問題だということを実感してほしい。そして差別されるつらさや悲しみを伝えることで、差別をしない・させない人間になることこそが豊かな生き方であることを示していきたい。「学ぶほどに勇気や元気が湧いてくる」、そんな同和教育が今こそ必要だと感じています。

このページの上に戻る
大阪府人権協会トップページ