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リレーエッセイ
脇本 ちよみ(わきもと・ちよみ)さん 第33回
男女ともに尊厳ある働き方・生き方ができる社会を


脇本 ちよみ(わきもと・ちよみ)さん

日本労働組合総連合会大阪府連合会 事務局長
母の思いを胸に、自力で大学へ

 大阪万博の年(1970年)に教師となり、以来、36年間働き続けてきました。当時は女性が職業をもつことが当たり前ではなかった時代です。少ない選択肢のなかで、一生続けられる仕事として教師を選びました。
 生家は商家で経済的に苦しく、二人の弟もいたため「大学など出せない」と父に言われました。勉強をしていると「もったいない」と電気を消されたこともあります。けれども母は「勉強したいのならすればいい。これからは女性だからとあきらめる時代じゃない。知識でも技術でも何でもいいから身につけて自立しなさい」と言ってくれました。
 母自身、学びたくても学べず、口惜しい思いをしたようです。母の言葉を胸に勉強に励み、大学へ進学。学費は奨学金と山のようなアルバイトで賄いました。私の“根っこ”は母にあると思っています。
  もうひとつ、“原点”があります。高校時代、当時盛んだった地元の大きな繊維会社で、女工さんたちと一緒に糸繰りなどをするアルバイトをしていました。中学を卒業して集団就職した同世代の女工さんたちが、職制(管理職)の男性に怒鳴られながら必死に働いていました。半分ベソをかいている人、それを励ます人・・・私自身も怒鳴られながら、働くことの厳しさを実感していました。立ちっぱなしの重労働をする人がみんな女性で、職制は男性ばかりということに対しても、高校生なりに不思議に思っていました。

 
仕事と子育ての両立に駆けずり回った日々

 教師生活は充実していましたが、結婚し出産するとたちまち大変な状況になりました。当時は産前産後休暇が12週間しかなく、保育所も完備されていませんでしたから、まず子どもを預かってくれるところを探すのに苦労しました。張り紙をしたり、保護者のみなさんにお願いしたりしてようやく見つけました。その後、自分たちでお金を出し合って学生を雇い、学童保育も立ち上げました。
 また、子どもがいると家事に多くの時間をとられます。夫は家に帰ればゆっくりとテレビを観ているのに、私は家でも追われるように動き回らなくてはいけません。「なぜ私だけが?」と疑問に思い、夫とケンカや話し合いを重ねてきました。
  同僚の女性教師は家庭との両立に苦しんだ挙句、次々と辞めていきました。この頃の経験が「女性が仕事を続けられる制度がほしい」「もう少し家事や育児を社会化できないだろうか」という問題意識を生み、現在につながっています。

 
女性教師へのバッシングの背景にあった“叫び”

 一方で、保護者からは女性教師に対するバッシングがありました。「女の先生は産休をとるから、子どものこととかでよく休むからいらない」というわけです。つらかったのは事実ですが、親のひとりとしては理解できる部分もあります。けれど「本当は個人の問題ではなく、環境を整備すれば乗り越えられる問題のはず。女性教師と保護者がお互いの実情と思いを語り合い、一緒に環境を整えていきたい」と考えました。そして1975年の国際女性年を契機に、「PTA母会員と女性教職員のつどい」を多くの女性先輩や同僚たちと立ち上げたのです。
 会を始めてしばらくは女性教師批判が噴出しました。けれど女性教師の一日をフィルムに収めたり、10人ぐらいに細かく書いてもらった記録を見てもらったりしながら、教員側の問題意識や問題提起をするうちに少しずつ本音で話し合いができる雰囲気になってきました。10回目を迎えるころにひとりの母親が「私も大学を出て、すごく働きたかったのに辞めざるを得なかった。でも先生たちは続けられているんだから、もっとがんばってください」と発言しました。きつい口調でしたが、私は彼女の“叫び”だと受け止めました。
  以来、子どものことだけでなく、女性自身の生き方や自己実現のあり方を取り上げる分科会をもちました。すると参加希望がドッと増えたのです。いかに多くの女性が自己実現しきれずに悩んでいるかを実感しました。

   
女性の非正規雇用が、男性の長時間労働を支えている

 1979年に国連で採択された女性差別撤廃条約には、鳥肌が立つほど感動しました。特に「従来の性別役割分業を見直すことなしに女性差別の撤廃はあり得ない」と書かれた5条は、まさに私が取り組み、訴えてきたことです。女性が働き続けられないのは、個人の問題ではなく、社会や制度の問題であると改めて確信しました。
 2002年から連合で労働問題に取り組んでいます。そのなかで特に問題意識をもったのが、パート労働者の数の増加と、女性が7割を占めるという現状です。「慶弔休暇がない」「有給休暇が法律どおりに与えられていない」「解雇が簡単に行なわれている」など、尊厳ある働き方が踏みにじられている事例をたくさん見てきました。「同一価値労働・同一賃金」を示したILO100号条約の理念にかなった法律や制度が必要だと考え、取り組んでいます。
 今の社会状況ではまだまだ、女性は家庭をもてば仕事を辞めざるを得なくなり、再就職したくても賃金が安くてすぐに家に帰れるパートを選ぶしかない。そうして結果的に男性の長時間労働を支えてきた結果、男性の過労死、うつ病、自殺が増えています。ずっと女性の側から問題提起してきましたが、実は男女ともに尊厳を踏みにじられており、表裏一体の問題なのだとわかってきました。
 女性の非正規雇用問題を解消することは、男性の長時間労働を解消することでもあります。ペイドワーク(有償労働)もアンペイドワーク(無償労働)も分け合い、男女ともに尊厳ある働き方や生き方ができる社会を実現したいものです。

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