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リレーエッセイ
松木 正(まつき ただし)さん 第13回
子どもたちに「自己肯定感」という根を


マザーアース・エデュケーション
チーフ・ディレクター

松木 正(まつき ただし)さん

「環境」とのよりよい関わりを求めて
 ぼくが主宰する「マザーアース・エデュケーション」では、環境とのよりよい関わり方を遊びやキャンプなどを通じて学ぶという活動をしています。環境というと「自然環境」を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、ぼくたちは環境を4つの領域に分けて考えています。「私」と「自然」、「私」と「人」、「私」と「私」――自分の体、心、魂。身近すぎてあまりわからない、でも一番影響力が大きい「環境」です。最後に、「私」と「大いなる存在」。私が10数年前から交流している北米のインディアン、ラコタ(スー)族たちの表現を借りれば「グレート・スピリッツ」です。
 このように、さまざまな環境がぼくらを取り巻いています。それらとのよりよい関わり方を学ぶことによって自分が変わります。自分が変われば、自分とつながっている人も変わってゆきます。ぼくはラコタの人たちと出会い、彼らの儀式に参加するなかで、それを実感しました。そして自分が学んだ多くのことを広く伝えていきたいと考えています。ラコタの人たちと生活をともにし、自分たちの生き方を振り返るエコ・ツーリズムを主催するほか、最近は学校現場に直接入り、子どもたちと関わる機会がとても多くなっています。
子どもたちが口にする否定的な言葉
 ところで、「無理」「不可能やし」「あり得へんし」、この3つの言葉に聞き覚えはありませんか?実は幼稚園・保育園児から高校生まで、今の子どもたちが最もよく口にする言葉です。学校の先生方に聞いたのですが、実際、ぼくも子どもたちと接するなかでよく耳にします。
 なぜ、彼らはこうも否定的なものの見方、感じ方をするのでしょうか。それは、子どもたち自身が、常に「できないこと」「足りない部分」ばかりに注目され、「だからダメなんだ」「もっとがんばれ」と、「ありのままの自分」を否定され続けてきたからなのです。
 あかちゃんは泣くことによっておっぱいを要求したり、不快感を訴えます。それに応じてもらうことが「自分は受け入れられている」という自己肯定感の始まりになります。スキンシップが大切ですが、抱っこしても能面のような顔ではダメ。微笑んでもらわないと満足しません。「自分をやさしい目で見てほしい」という気持ちはあかちゃん時代からスタートし、おとなになっても持ち続けます。誰でも、微笑みとともに見つめられれば嬉しいですよね。
両親の関係は「信頼」の基本形
 もうひとつ、子どもたちに特徴的なのは「おとなを信用していない」ことです。これには両親の関係が大きく影響しています。両親ともに熱心に子育てをし、教育にも力を注ぐ。けれど両親の間にはまったく信頼関係がない、あるいはどちらかが相手に不満を抱いていたりすることが珍しくありません。子どもにとって両親の関係は、「信頼」のイメージの母体です。つまり子どもが他人と人間関係を築いていくうえでの基本的イメージとなるのです。ふたりの関係がいびつであれば、子どもの「信頼」のイメージもいびつになります。「子どものために離婚はしない」という人がいますが、形だけの家族というのが一番傷つきます。そして子ども自身、形だけの人間関係しか築けなくなります。
多くのメッセージは言語以外で受け取られる
 人間は他人とコミュニケーションをするなかで、さまざまなメッセージを受け取ります。ある調査によると、相手のメッセージを感じ取るうちの38%が言葉の抑揚とリズムです。典型的なものを挙げれば、「怒ってない!」と怒鳴りながら言う人がいますよね。でも実際は怒っている。子どもは言葉の抑揚とリズムから怒りを感じ取っています。そして55%がボディランゲージです。雰囲気、姿勢、表情で「自分を見てくれている」と感じます。逆に触れあいを求めてくることもあります。小学6年生でも僕の膝の上に座ってくる子がたくさんいるし、男の子でも甘えてきます。話に茶々を入れたり、後ろから突いてきたりと、出し方はいろいろですが、スキンシップを求めているのは同じです。残りの7%が言語です。つまり、自分が肯定されている、愛されているという感覚は、ほとんどが言語以外の部分で伝わっているんですね。逆にいえば、言葉でいくらきれいごとを言っても、子どもは真実を見ているということです。
矛盾や葛藤をも抱えた、豊かな「人の森」を
 ぼくは、人間について考える時、よく木をイメージします。子どもたちにも木の絵を描いてもらいます。木は一本一本がとてもユニークで、同じ種類でも幹の太さや枝ぶりは全然違います。落雷で裂かれたり、斜面に落ちた種から生まれたりと、理不尽な経験をした木もたくさんあります。それでも木はたくましく、理不尽なことも受け入れつつ、大きな根を支えに立ち上がっていきます。矛盾を抱えながら立ち上がっていく木の姿に、人の生きる姿を重ね合わせるのです。子どもたちが描く木も、成長に応じてどんどん変化していきます。
 多くの人は「矛盾」や「葛藤」を嫌い、排除しようとします。けれども生きるうえで、それらと無縁ではいられません。何でもコントロールできると思い込むのも危険です。「矛盾」や「葛藤」を維持できることこそが「生きる力」だと、ぼくは思うのです。
 木がたくさん集まれば、森になります。ぼくたち一人ひとりが一本の木だとすれば、社会は「人の森」です。植林で整然とした杉林よりも、さまざまな役割をもった木が関わり合う雑木林のほうが豊かだと思いませんか。
 ありのままを受け入れられ、自己肯定感という「根」をしっかりと張った子どもたちがつくる「人の森」。その豊かさ、力強さを、おとなたちにこそ知ってほしいと思います。
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