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リレーエッセイ
北野 真由美(きたの まゆみ)さん 第12回
どんな人にも必ず「存在する意味」がある



NPO法人えんぱわめんと堺/ES 代表理事
北野 真由美(きたの まゆみ)さん

「どう生きていけというの?」と問いかける少女
 「私が生きていて、何の意味がある? 私にどう生きていけというの?」。小学5年生の女の子が、私に突きつけてきた言葉です。NPO法人「えんぱわめんと堺/ES」では、幼稚園をはじめ小・中・高校を訪れ、5歳から18歳までの地域の子どもたちにCAP(子どもへの暴力防止プログラム)や人権ワークショップを届けています。プログラム自体は完成したものですが、子どもたちの反応は一人ひとりまったく違います。手順に添って一方的にやるだけでは「伝えた」ことにはなりません。子どもたちから返ってくる言葉や表情、仕草などに含まれている「サイン」を見逃さない。そして子どもたちからの問いかけに正面から向き合い、自分の言葉で語りかけて初めて「伝える」ことができるのだと思います。
一人ひとり違う背景をもっている
 何がおかしいのか笑いが止まらない子、チョンチョンとスタッフを突きに来る子もいれば、いきなり睨みつけてくる子もいます。5歳の子でも、30人いれば30人違う。みんなそれぞれの背景をもっているのです。そのなかで特に深刻な背景をもつ子が投げかけてくるメッセージやサインがあります。冒頭の女の子もそのひとりでした。3歳の時に両親が離婚して以来、母親とは会っていません。父親に虐待され、今は施設で生活しています。学校でいじめられ、自分の「居場所」がないと感じている彼女は、虐待されても父親のところにいたほうがマシだと考えています。そして「今すぐ3階のこの教室から飛び降りてもいいと思う」と言うのです。
 私は「そういう気持ちをいっぱいもっているあなたがおとなになった時、同じ思いをしている子に“私も同じだったよ。でもこうして生きているよ”と言えるじゃない。あなたの役割は私以上に大きいんじゃないかな」と話しました。彼女は「わかった。今の気持ちを大事にする」と言ってくれました。私は彼女の「力」を信じています。
母の事故、そして奇跡的な回復
 私たちの活動の基本は「一人ひとりの存在がとても大事」というメッセージを地域の子どもたちに伝えていくことです。このメッセージはとても美しいようですが、きれいごとではすみません。そのことを私は母から学びました。
 30歳から40歳までの間、私は生と死にまつわるさまざまな出来事に遭遇しました。父をくも膜下出血で亡くし、そのお葬式の日に2番目の子どもが生まれました。2年後に3番目の子どもが生まれ、育児を楽しんでいた矢先に、母がバイク事故で脳挫傷に。意識不明のまま、たくさんの管で機械につながれている姿を見て、「肉体はあるけど、いったん死んでいるんだ」と感じたことを覚えています。意識が戻ればリハビリで会話もできるようになるかもしれない、それには家族の呼びかけが大事だと言われ、必死で呼びかけました。ある時、親指がピクッと動きました。私ひとりしか見ていなかったのでなかなか信じてもらえなかったのですが、「動いた」と訴え続け、ようやく一人の看護師さんがカルテに「プラス(反応)」と書いてくれました。それをきっかけに、母は奇跡的に意識を取り戻したのです。
母の「存在」から学んだこと
 けれど母は私に「そんなに一生懸命にならなくていい。あなたにはあなたの幸せがある。大事な子どものいる家に帰りなさい。私はおとうちゃんのところへいくから」と言い続けました。首から下が動かず、すべてを娘に頼らなければならない自分を受け入れられなかったのかもしれません。でも、私は母に生きていて欲しかった。子どもたちを保育所に預け、毎日9時から5時まで介護しました。それなのに一方では「私はパッと死にたい」と思う自分がいて、私は娘としてひどいことをしているのではないかと悩みました。
 葛藤のなかで介護を続け、3年後に母は亡くなりました。「生きたい」と口にはしませんでしたが、とことん生きようという姿勢で、最後まで生きる強さを私に示したと思います。また、人は寝たきりになっても周りに大きな影響を与えることも知りました。高齢でも寝たきりでも、たとえ意識がなくても、どんな人の「存在」にも必ず意味があり、「いなくてもいい人」なんて一人もいない。そして誰もが、存在することによって何らかの形で人とつながったり影響しあったりしている。私は母の姿を通じてそれを学んだのです。
子どもたちの「力」を信じて
 母の介護をしながら子どもの人権やCAPについて学び、97年から堺を中心に活動を始めました。子どもと向き合うことは自分自身を問われることでもあり、厳しい面もありますが、「一人ひとりの存在がとても大事」なんだということをすべての子どもたちに伝えていきたいと思っています。
 基本的には一度きりの出会いですが、地域の幼稚園から高校までをカバーすることによって子どもたちと「再会」することがあります。スーパーなどでバッタリ会うことも。子どもたちは両手で胸を抱く「安心」のジェスチャーをしながら「これだよね! 覚えてるよ」と話しかけてくれます。多くの子どもたちが社会や家族からの抑圧でつぶされていくのを見聞きするにつけ、こうして地域でつながっていく、持続していくことの大切さを感じます。
 心のなかにはこれまで出会ってきた何人もの子どもたちがいて、「どうしてるかな」と思いを馳せることもあります。けれど個人的な詮索や追跡はしません。それぞれの「生きる力」を信じながら、私は活動を通じて社会の変革に力を注ぎたいと考えています。
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