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NPO法人 ワークレッシュ代表理事
和久 貴子(わく たかこ)さん
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「ワークレッシュの和久です」、そう名乗ることがもっぱらとなった。NPO法人ワークレッシュの看板事業は、今年3度目の夏を迎えた「年齢・校区を問わない夜間までの〜子どものためのコミュニティ・スペース〜ワークレッシュ」である。利用会員2家庭(小学生のみ)、スタッフ3名で、築40年の民家の離れを借りて始めたワークレッシュは今、活動拠点を大阪狭山市内2箇所に増やし、夏休み中の1日平均利用者数は、乳児から中学生まで約30名。予約制で、会員(利用者)数は70名を越えている。サービスの担い手や支援者も増えた。まさに老若男女さまざまな人材の投資によって、子どもたちの生活と交流をサポートしている。発足以来続けてきた送迎サービスも、利用者と担い手の信頼関係が支えとなり、大きな問題もなく、利用者の支持を得てきている。
2000年の初夏、私は全く一人で起業を決意した。地域や社会に機能する(work)、子どもやみんなの居場所(creche)づくりだ。託児所を経営したかったのではないし、‘子どもが大好き’で保育士になるのが夢だったわけでもない。当時サラリーマンを脱退してフリーター、20代の単身者の私の辞書には、「地域福祉」も「子育て支援」も「市民権」もなかった。近所には、親類どころか知り合いさえいなかった。就職?結婚?子育て?・・・・健全に生きること・育てることへの恐怖にも似た、自分への不信感。それは、「母」の存在と不在に起因している。8才の時、当時中学の教師をしていた母親が急死した。才気溢れる女性だったが、家族との関係や自分の仕事や健康に悩み、命を縮めた。以降、母や継母が奪われてきた「わたし」というものが、私の中に重苦しくとぐろを巻いてきた。母たちの苦しみを、多くの女性たちの苦しみや社会の矛盾を、少しずつ紐解いていきたい。そう思うようになっていた。でなければ、子どもたち、いや、私自身がもう生きられない。幼い頃から言われてきた。「オンナなんだから男の子に負けないで」「カタオヤだからしょうがないのよ」「あなたは他の人と違うんだから」・・・慰めのような励ましのような呪文の数々が、本能的にそれらに反発しようとする私の心に、さらに屈折した差別や排他性を植え付けていった。自分が自分であることが辛く、遠く、息をするのも痛く感じたものだった。しかし、たまたま移り住んだこの地域で、社会の中でかつて被害者であった自分に気付き、同時に、人に支えてもらう力を得て、私は強くなっていった。皆もっと自分を社会に機能させなくては。自分の力を抑えることや諦めることで、自分や家族や社会にとってプラスになることなんかない。子ども自身は決して「預けられ」てはならない。私自身、もっと安心できる居心地の良い場所で、友だちや大人にふれあいながら、自立心と自信を育んでいきたかった。自分を好きで、人を信頼して生きることを、もっと早く学んでいたかった。今からでもいい。地域に眠らされている人たちの力や、子どもたちが交わり活きる仕掛けをつくりたい。「居場所」はそのための基地のようなもの。それを、時間をかけて「仕事」として作ろう、という激しい思いだった。深夜だったが、夜明けには事業計画書のようなものを書きあげていた。 |
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コミュニティに根付いた家庭と、中央の芽(子ども)を見守り、共に支え合う大人たちの姿が、ワークレッシュのシンボルマークである。発足当時、私の中の内なる声が描いた理想のかたちだ。
子どもたちには、コミュニケーション力を育むこと、そして、自分が誰かの力になれるのだ、という事実を、生活を通して体で感じて欲しいと思っている。大人たちにも。時折、その瞬間の現場に居合わせることがある。自分と違う生命体と響き合うことで溢れ出てくる様々な感情の尊さ、確かさを感じる。その場にいることが出来て嬉しい。同時に、自分がこれまで多くの人に支えられ育てられてきたことに気付き、感謝する。
さて、利用者1日30人? 大いに不満である。日本の人口はどれほどか。今もっと苦しい人たちが、私たちのすぐ近くで(またはとても遠くで)声を押し殺しあえいでいるではないか、との焦りがある。また、もとより私たちの仕事は、労働としては成立し得ていない。市民事業の地域福祉活動への飽くなきチャレンジで、家族が養えるのか?コストをいくら抑えても、同志が増えても、数あるニーズを形にしても、「対応できた」だけでは将来の社会は何も変わらない。ならば、力を得た者たち(私たち)は、次はどこへ向かうべきか?消費か、所有か、労働か、少子化に歯止めか?・・・・そうではない。「自主・自立、多様性と人権の尊重、非暴力の精神」は、ワークレッシュの理念の3本柱だ。私たちは、ここへ向かいたい。子どもたちのための目標ではない。大人たちに必要なことだ。支え合うことで、自主・自立へ向かう。自己開示することで他者に気付く。また、何かを得たり、自分や自分の大切なものを守るための日常の営みは、必ず他の何かを奪い誰かを排斥している、常にそれに気づいていたい。他者の存在に敏感でいたいと思う。
安心感や幸せな気持ちは、きっと人を幸せにする。地に足をつけたところで得た力と声は、誰かの力と声になる。誰かが、私たちの存在によって心が強くなる。その人がまたいつか誰かに向かって幸せの力を発揮することが出来れば、それが私たちの目指す「地域福祉力の増進」ということである。 |
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