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「今」だから、考えたい。
息子を失った事件のことについて

事件が起きたのは、息子の高校の文化祭の日でした。

 同級生の友達から「(息子が)自転車でこけたんやけど、鼻血が出ているし、言ってる事がおかしいから迎えにきてほしい」と連絡があったのがまず最初の電話だったのです。

  私がまずおかしいなと思ったのは、高校生ぐらいになると、友達が私に、ちょっとのことで電話なんかしてきませんよね。だから「あれ」と思ったのと、息子は軽症ですが血友病を持っていましたから、なんだか胸さわぎがしたので、とにかく現場へかけつけました。
 息子はボーッとして、様子が少しおかしかったので、すぐに病院へ連れて行きました。病院へ着いた時は、自分で歩けるほどだったのに、診察室でCTスキャンを取るころから急に容体が悪化していったのです。
 でも、その時は「自転車でこけて頭を打った」って話を聞いていたから、ひどい状況だとは思っていませんでした。 夜中に様子がおかしくなったと病院からの知らせがあって再びかけつけ、手術室から出てきた時には、もう、さわっても反応がなく、ほぼ脳死状態に近かったのです。その時は事件だなんて想像できませんでしたから、一瞬のうちにどんどん、思いもしなかった状況が押し寄せてきた事にただおどろくばかりでした。
 息子のあまりの変わりように、私は、何が何かわからなくなり、ただぼう然としていたように思います。 私は、息子が仲の良かった中学時代の友達や、そのお母さんたちに電話をし、「息子の容態が悪いので、助けて欲しいから祈って」とお願いしました。みんなで祈れば、きっと願いが届き、きっと「助かる」と思ったのです。

 まだ高校に入って8ヶ月でしたから、高校の友達の連絡先を知らなくて、高校の担任の先生に電話をしたら、当日いっしょにいた友達に連絡してくださったのです。

  容体を聞いて病院にかけつけた同級生が
 「ごめんなさい。本当は他校の生徒になぐられたんです」とすまなそうに言うのです。
 その時にはじめて実は、事件だったことがわかったのです。事件が経ってから2日後のことでした。
 私は、主人(夫)といっしょに、クラスの子に、「なんですぐ本当の事を言ってくれなかったの?」と聞きました。
 「とにかく仕返しがこわかったから」と泣きながら答えました。

 もっと早く言ってくれたら、何かが変わっていたかもしれない、もっとやりようがあったんじゃないかとすごく思ったりしましたから、その子たちに「なんでもっと早く言ってくれなかったの」と責めたりしましたが、それ以上はしませんでした。その子たちもつらい思いをしていたからです。
 事件と知り、訳が分からない状態の中、集中治療室に入っているからつきっきりもできなくて扉の外で、息子の命が助かる事ばかりを祈っていました。

 加害者に対する憎しみよりも、息子が助かるのを願う事しか頭になかった。
 とにかく、このままの状態でもいいから、息さえしてくれていればいいと、それしかなくって。
 主人は、そんな中、私に負担をかけないように、警察との対応をすべてしてくれていました。 とにかく行動力がある人なので、事件とわかったときから、新聞社に連絡をしたかった主人は、犯人が逮捕されたら、すぐに各社にファックスを流すことを私に言いました。こんな事件のことを世に言いたい、と。
 でも犯人が少年だということで、逮捕されるのにすごく時間がかかったのです。犯人はわかっているにもかかわらず。
 つかまえないんです。慎重なんです。息子が危とく状態だということを連絡してようやく逮捕されたのですから。
 犯人が捕まったその夜、それを待っていたかのように、息子は息を引きとりました。
 事件が起こってから12日後の事でした。

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