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..令和5(2023)年度 第5回...

子どもの権利を実現するなかから、より良い社会をめざす


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吉永省三さん

(千里金蘭大学 名誉教授)


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「権利」と「人権」それぞれの成り立ち

 日本社会では同じように使われている「人権」と「権利」という言葉ですが、実は歴史的な成り立ちが異なります。中世の封建社会で、例えばイギリスのマグナ・カルタ(1215年)のように、封建貴族たちが自分たちの特権を国王に認めさせたのが「権利」という概念の始まりです。日本でも中世には将軍と御家人の御恩と奉公の関係がありました。土地の支配権を認めてもらう代わりに主君に忠誠を誓って義務を果たす、封建社会の主従関係です。その時代の権利は、義務との交換条件で成り立つわけです。

 しかし西欧近代の18世紀には人権思想が起こります。フランス革命の人権宣言(1789年)にも反映されています。「人権」とは「人間としての権利」ですが、当時の西欧では「自然権」と呼ばれていました。人間であれば誰もが生まれながらに持っている、自然の権利ということです。自然の権利だから、法律の定めがなくとも当然にして認められる権利ということで、「人権」は道徳的権利概念といえます。

 他方で「権利」という概念は、かつては特権階級の「特権」を指していましたが、それが近代では「人権を保障するための法的権利」として、新たに更新されていくわけです。ただし、18世紀当時の「人間としての権利」の「人間」からは、女性や有色人種、子ども、障がい者などは排除されていました。ですから、その後現在に至るまで、さまざまな人々の自らの人権を求める闘いや運動が続けられてきたわけです。

 この歴史過程で確認された認識は、権利は義務との交換条件ではないということです。もちろん商法や契約上にいう権利概念とはやや異なりますが、すべての人が人間として生きること、その人権を実現するために必要な法的枠組みとして権利が捉えられます。

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「子どもの権利」が求める「保護の児童観」の克服

 ところが、子どもが「子どもの権利」を主張すると、往々にしておとなは「義務を果たしてから主張しろ」などと応じます。しかし、そのようにおとながいう権利は、封建時代の権利概念です。子どもや女性、障がい者などに対しては、そのような前時代的な権利概念が未だに用いられたりします。しかしそれは、保護してやるから服従しろ、という封建社会と変わらない、パターナリズム(家父長主義)の権利概念です。

 人権思想が広がって20世紀になると、「子どもの権利」という概念が生まれてきました。国際社会では1924年のジュネーブ子どもの権利宣言が最初です。その後1959年には国連子ども権利宣言が採択されます。いずれも世界大戦のあと、おとなたちの子どもに対する贖罪(しょくざい)のようにして採択されました。両者は共通して「人類は子どもに最善のものを与える義務を負う」と宣言して、戦争や災害から保護される権利、衣食住等を与えられる権利が子どもにはある、と確認しました。そしてその保護や付与を子どもに与える義務と責任がおとなにある、と宣言したわけです。

 しかしその後も、人類は子どもに最善のものを与えることができずに経過してきました。1979年の国際児童年を契機に、どうすれば子どもの最善を実現できるか、国連で議論が始まります。そして、付与を受ける権利や保護を受ける権利を真に子どものものにするためには、子どもが自分にかかわる事柄に意見を表明する権利、すなわち参加する権利が必要との結論に至り、1989年に子どもの権利条約が採択されます。

 この条約と二つの宣言とでは、子どもの最善の利益を実現しようという点では共通していますが、条約は、子どもの最善を実現するためには、子どもの意見表明と参加の権利が必要だとして、しかもそれを法的拘束力のある条約(国際法)として締約国に遵守を課しました。つまり、二つの宣言で確認した「生きる・育つ・守られる権利」を子どもに実現するためには、子どもにも「参加する権利」が必要だということです。

 ここで重要なことは、宣言の段階では、もっぱら子どもは「保護される存在」とみなされましたが、その保護を真に「子どもの最善」としていくためには、「子どもの参加」が必要だということ。つまり、おとなの勝手な思い込みで一方的に「保護」を与え、そして服従させようとするならば、かつての封建的なバターナリズムと変わらないわけです。そのような「保護の児童観」を乗り越えて、おとなのパートナーとして子どもを迎え入れ、その子どもの参加と意見表明を通して、この社会をより良く変えていこう。これが条約の子ども観であり「子どもの権利」であるのです。

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「参加」と「パートナーシップ」で拓く地方自治を

 このような子どもの権利を、私たちの国と社会は、どのようにして実現していくのか、いま問われています。日本は子どもの権利条約を平成6(1994)年に批准していますから、既に30年にわたって、私たちは問われ続けているわけです。

 そこで令和4(2022)年、子どもの権利条約に則る包括的立法として、こども基本法が制定されました。その第3条(基本理念)には子どもの権利条約の一般原則が明確に位置付けられました。そしてこれに基づく「こども施策」を国と自治体に課しています。

 したがって、この基本法は、単に個人の意識や心構えとして子どもの権利の尊重を求めたのではなく、子どもが育つ環境や社会の仕組みを子どもの参加とパートナーシップで、より良く変えていこう――という社会モデルアプローチを求めているわけです。

 とりわけ、子どもの日々の暮らしに直結する地方自治の在り方は、より重要になっています。ユニセフが提起する「子どもにやさしいまち(Child Friendly Cities)」や2002年国連特別総会で確認された「子どもに相応しい世界は全ての人に相応しい世界」を実現していくことが、国とともに地方自治体に求められています。


                                 2024年3月