...令和5(2023)年度 第2回...
ケアの受け手も担い手もそれぞれの人生を生きられるケアを
~ヤングケアラーの声から学ぶ
斎藤真緒さん
(立命館大学産業社会学部現代社会学科 教授)
あるヤングケアラ―との出会い
ヤングケアラーという言葉を見聞きしたことがあるという人は増えてきたのではないでしょうか。厚生労働省は「本来、大人が担うと想定されている家事や家族の世話を担っている18歳未満の子ども」と定義しています。
私はもともと家族社会学が専門で、男性介護者すなわち介護する男性たちの調査研究や支援活動を20年近くしてきました。そのなかで、家庭における介護が多様化してきているのを知りました。働きながら介護をしている人もいれば、妻と母親を同時にケアする人もいます。多様な当事者と出会いましたが、2014年に担当していた授業で出会った女子学生がまさにヤングケアラーでした。
彼女と同居している祖母は介護が必要で、父親は入院中。母親が働いて生活を支え、彼女が介護を担っていました。そのために全日制から通信制の高校に転校するなど、介護と学業の両立は大変だったようです。「おばあちゃんが死んでくれたので、私は大学に進学できました」と話していましたが、介護を必要とする家族が亡くなることでしか救う道がないということをとても残念に思いました。
私はこの出会いがきっかけとなり、ヤングケアラーの調査研究や支援活動を始めました。その一環で、2021年から「子ども・若者ケアラーの声を届けようプロジェクト(YCARP)」を立ち上げ、20代のケアラー当事者の人たちと活動しています。
「家族か自分か」「子どもか親か」という二項対立ではなく
ヤングケアラーといっても、やはりケアの内容は多様です。親や祖父母だけでなく、障がいのあるきょうだいのケアをしているケースもあります。あるいは、今は親がケアしているけれど、いつケアラーの役目が回ってくるかわからないなど、自分の人生をデザインしにくいという点は共通しています。
ヤングケアラーの大変さとは、現在、家事や家族のケアをしているだけでなく、自分のことをずっと後回しにする生活と、自分の人生設計をする時期に本当にしたいことをあらかじめ諦めてしまっていることです。自分が何をしたいのかさえわからなくなってしまっている若者も少なくありません。
どんな環境にあっても、すべての子どもや若者は「自分の夢を追いかけたい」と言い切っていいのです。でも、実際には多くの子どもや若者がそう言い切ることができません。自分の人生を生きることを「家族を見捨てて自分の幸せを考える」ととらえ、罪悪感を抱くのです。「家族か自分の人生か」という二択を迫られることがヤングケアラー問題の根本的な問題です。
「お手伝い」と混同されることがありますが、進路選択や日々の生活が大きく制約されるという点で「お手伝い」とは大きく違います。でも、「子どもたちが家族のために協力しあうのはいいこと」として、学校の先生たちが道徳で教えたりすることや、「よくがんばってるね、いい子だね」とほめてしまうこともあります。そうすると、子どもたちは、ますます「しんどい」と言えなくなってしまいます。
逆に「子どもを守らねば」と考えるあまり、「親は何をしているんだ、親がしっかりしろ」と親に厳しいまなざしを向ける傾向もあります。ヤングケアラーに対する関心が高まるのはいいのですが、「弱者である子どもを守ろう」という発想になると、「大人がケアラーとしての役割をしっかり果たせ」という流れになりがちです。
しかし、ケアの問題は「親か子か」「子どもか大人か」という二項対立にすると問題の本質を見失います。ケア問題の本質とは、やはり「自分の人生を生きられない」ということです。18歳以降すなわち成人だから支援は不要かというと、まったくそうではありません。また、ケアが必要な人もケアする人もケアの内容や環境、年齢、性別と実に多様です。世代や課題の違いを超えた社会的支援が求められています。
ケアを負担の側面だけでとらえない
もうひとつ私が強調したいのは、ケアを「負担」の側面だけでとらえる危険性です。私は11歳と9歳の子どもがいるシングルマザーで、上の子には知的障がいがあります。つまり私自身がケアラーであり、下の子はいつケアラーになるかわからないという環境です。
確かに大変なこともありますが、同時に彼や彼を通じて出会った障がい児から多くのことを教えてもらってきました。こう思えるのは私たち親子が多くの支援が受けられたからこそ。こうした自分の経験からも、ケアの価値を低めるのではなく、むしろ再評価して社会の中に位置付けていくことに焦点を当てていきたいと考えています。
広まる「家族丸ごと支援」の流れをさらに
近年、行政に「家族丸ごと支援」という考え方が広まってきました。2020年に埼玉県で全国初のケアラー支援条例が制定されたのを皮切りに、現在(2023.6.15時点)は18の自治体で同様の条例が運用されています。ただ、条例ができれば解決するわけではありません。ケアラー自身が参画する市民主体の取り組みが必要です。私たちYCARPは、認知症やヤング、男性、医療的ケア児の当事者団体や家族会にケアの垣根を超えた連携や対話を呼びかけています。
誰もがいつケアラーという立場になるかわかりません。ケアラーになり、いろいろなことをあきらめてしまう状況になってから社会が関わるのでは遅いと感じています。家族の中でケアが発生した時点から、家族には社会に助けを求める「受援力」が必要であり、行政をはじめ社会はケアの受け手と共に支援を組み立てていく関わりが求められます。
ケアをする側も受ける側もそれぞれの人生を生きられる枠組みをどう組み立てていくか。私たち一人ひとりにとって大事なテーマです。
(2023年8月)