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...令和2(2020)年度 第3回...


目に見えないウイルスへの恐怖が

差別という形で暴発しないために

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大阪大学大学院人間科学研究科教授

三浦麻子さん




sub_ttl00.gif 人の行動や考え方を社会心理学でひもとく

 
 私の専門は社会心理学です。調査や観察、実験といった手法を組み合わせ、さまざまな心理的メカニズムを研究しています。

 新型コロナウイルスの感染が広まるにつれ、病気以外の「問題」が報じられるようになりました。感染した人を「自業自得だ」と非難したり、感染者が多い地域に住む人の帰省や旅行を拒否したり。感染者が出たお店や学校、会社への嫌がらせやバッシングもあります。「病気になることより、差別や排除されることのほうが怖い」と感じている人も多いでしょう。

 ウイルスに感染した人は、かかろうとしてかかったわけではありません。心も身体も苦しんでいます。いわば最大の被害者であるのに、なぜ社会的に追い詰めるようなことが起きるのでしょうか。

 未知なるものに対する警戒心は、あらゆる動物に本能として備わっているものではないかと思います。ですから人間が「よくわからないもの」を警戒し遠ざけようとするのは、ある意味、当然です。これを「不確実性の回避」といいます。特に日本人は平均ベースで世界の国々と比べるとこの傾向が相対的に高めだと言われています。

 もうひとつ、日本人の傾向として「内在的公正推論」がやはり高い傾向が見られます。内在的公正推論とは、ある人に悪いことが起きた時、「その人の行動や態度が悪いからだ」と考えることです。

 2020年春にイタリアや中国の研究者と共同でおこなったオンライン調査で、対象は日本、アメリカ、イギリス、イタリア、中国の一般市民400〜500名程度です。ここでは「新型コロナウイルスに感染する人は、自業自得だと思う」という質問をしており、日本では「そう思う」と答えた人は11.5%と高く、欧米に比べると約10ポイントも高かったのです。「なぜか」とよく質問されますが、私たちもまだ理由はわかりません。ただ日本の文化的、環境的な要因がそうさせているところがあるように思います。

sub_ttl00.gif 本能的な防衛反応に無知と偏見が結びつくと・・・

 

 「不確実性の回避」は本能的なものとしてあると言いましたが、それが社会的な排除や差別につながるのは話が違います。

 精神科医のなだ いなださんは、1986年に書かれた論文で、自身の被差別体験も踏まえながら、差別は無知と偏見に基づいていること、本能的にもっている防衛反応が無知に基づいて利己主義的に現れた時、残酷なほど自分勝手なものになる、と述べられています。ハンセン病や結核に罹患した人々に対する差別はまさにそうでした。私たちの社会は今と同じことを何度も繰り返してきたのです。

 新型コロナウイルスはまだ特効薬やワクチンが開発されていません。感染して重症化すれば非常につらい思いをします。後遺症が長く残ることも少なくないようです。たとえ重症化しなくても社会生活に大きな制約を受けます。さらに報道などから「自分も差別される」と考えるので、「是が非でも感染したくない」という感情が出てくるのは当然です。

 問題は、その感情を感染者や感染者をケアする人たちにぶつけること。冷静に考えればまったくの筋違いなのですが、いったん立ち止まって考えることができない状態になっていると考えられます。

sub_ttl00.gif実は相互監視に許容度が低い日本

 
 一方、同調査では興味深いことがわかりました。非常時には「他の人が政府の方針に従っているか一人ひとりが見張るべきだ」「他の人を政府の方針に従わせるために個々人の判断で行動を起こしてもよい」という質問に対して、日本は他国よりも相互監視を許容するという人が少なかったのです。前者は22.5%、後者で12.25%です。イタリアのデータは日本と比較的似通っていましたが、他国はいずれも過半数を大きく超えました。このデータを見る限り、日本は相互監視を許容し、実際によくしているとは言えません。

 営業しているお店に「店を開けるな」、帰省の車に「帰れ」という張り紙をされたという報道が何度もあり、「自粛警察」という言葉も生まれました。しかしそれは「多くはない」からこそ大きく報道された側面もあると思います。私たちも目新しいものや驚いたことを撮影し、友人や家族に送って驚きを共有しようとすることがよくあるでしょう。マスメディアの報道やネットの情報も同様で、人々の耳目を集めて視聴率やアクセス数を伸ばしたいという思惑もあることを意識しながら接することが大切だと思います。

sub_ttl00.gif「知る」ことで本能的な不安や恐怖をコントロールする

 
 日本人で相互監視を許容する人は少ないのですが、規範意識は強い傾向があります。つまり「自らが自らを律する」のです。欧米では国が市民に対して何らかの行動を求める際、従わない場合は罰則がつきます。国が規範を示し、市民が従うという構図です。

 しかし日本という国は「自分たちでよく考えて、やるべきことをやりなさい」という姿勢を貫いてきました。上から定めたれた規範ではなく、「自分たちで作り出した、明文化されていない規範」で、市民はそれを非常によく守ります。そして守れない人には非常に厳しく、それが排除や差別につながります。

 本能的に湧いてくる恐怖や不安を抑えることはできません。しかし科学的な知識をある程度もち、人間の心理を知ることでコントロールは可能です。誰かを責めたくなった時、あるいは「怖い」「いやだ」という感情が湧いた時、「責めるべきは本当にこの人なのか」「自分は今、怖がっているな」と、自分の感情の動きを自覚し、少し考える時間をもってください。その時、知識が冷静になるのを助けてくれるはずです。怖いと思う自分を責める必要はありません。

 また、知識を得ていくためにも普段からの教育・啓発が必要です。ハンセン病や結核といった伝染病だけでなく、例えば「よくわかないから被差別部落にはとりあえず近づかんとこう」という心理のように共通する差別構造があるように、新しい差別が出てくると元からある差別と倍掛けになってより強く出るなど、重なりへの気づきが必要です。行政からの発信としても、「偏見や差別は絶対ダメだ」という毅然とした姿勢を表明していくことも必要でしょう。

 さらに、「答え」を性急に求めすぎないこと。物事の多くは「誰が(何が)悪い」と単純に決められるものではないのが現実です。「わからなさ」に耐える力も大事ではないでしょうか。

 現在のところ、新型コロナウイルスに関して、手洗いやうがい、マスクやこまめな消毒には確かな効果がみられます。基本的な感染予防をおこない、心身に疲れをためないこと。ストレスを感じたら、マスメディアやインターネットから距離を置くのもひとつの方法だと思います。

                          (202011月掲載)