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・・令和元(2019)年度 第4回・・



ヘイトスピーチを許さない社会にするために



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フリーライター


李信恵さん



sub_ttl00.gifていねいな言葉の中にも排除や蔑みが

 2013年から14年にかけて、大阪でもヘイトスピーチが吹き荒れました。私はライターとしてヘイトスピーチの現場に足を運び続けてきて、2013年、JRの鶴橋駅前で中学生が特定の民族の殺害予告を叫んだ現場にもいました。その場にいた警察官に「あの子を止めて! あんなことを言うのは許されないでしょう」と言ったところ、「警察は法律に則って動く。法律がないから何もできない」という言葉が返ってきたのを今でも忘れられません。

 2016年に国が「ヘイトスピーチ解消法(正式名称:本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)」を、大阪市が「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例」を施行しました。各地でヘイトデモに対するカウンター(抗議)活動がおこなわれたこともあり、路上でのヘイトスピーチは収まってきた部分もあります。しかしヘイトスピーチそのものは今も変わらず、根強くあります。

 特に気になるのは、「ヘイトスピーチとは何か」ということ。「〇〇〇殺すぞ」といった過激な言葉はある意味わかりやすく、誰もがヘイトスピーチとして認められるでしょう。しかし問題は言葉が過激かどうかではありません。

 たとえば、「ここは日本です。日本に文句があるなら、愛する偉大な祖国にお帰りください」という言葉を向けられることも多々あります。言葉はていねいですが、日本で生まれ育ち、これからも日本で暮らしていく在日コリアンを排除しようとする表現です。また、マイノリティのルーツを揶揄する表現には、蔑みの感情も含まれています。こうした表現もヘイトスピーチです。

sub_ttl00.gif歴史を学んでいない人からの「無意識のヘイト」

 
私は韓国籍で、日本の公立学校で教育を受けました。けれど朝鮮学校に対する補助金カットには反対を表明しています。「韓国籍で朝鮮学校を卒業していないあなたには関係ないでしょう」とよく言われますが、自分のルーツの一部であり、朝鮮民主主義人民共和国には日本から帰国した兄と姉もいます。私にとっては「関係ない」話ではありません。

 そもそもなぜ在日コリアンが存在しているのか。「帰国者」とはどういう人たちなのか。あるいは今、朝鮮学校で学んでいる子どもたちが4世という世代で、日本社会のなかで生まれ育ってきたことなど、朝鮮半島と日本との歴史や現状を知らない日本人が多いと感じます。そして知らないまま、ネットや無責任な噂、悪意のある出版物などで得た情報を正しいと信じて取り込み、「そんなに日本がいやなら、どうして帰らないんですか」と無邪気に聞いてくるのです。

 悪意のあるヘイトスピーチはもちろん傷つきますが、こうした「無意識のヘイト」のダメージがとても大きいことを知ってほしいと思います。悪意がない人に「それはヘイトスピーチですよ。人を傷つける言葉だからやめてください」と指摘すると、「私は差別なんてしていません。差別には反対だし、在日の友人もいます」と反論してくる人がいます。でも友人がいるからといって、差別の免罪符にはなりません。身近な人ほど、「それは差別だよ」「傷ついた」とは言いにくいもの。もしかしたら自分が友人だと思っているその人は、一人になった時に泣いているかもしれません。そういう想像力をもち、歴史をきちんと学んでほしいと思います。

 私自身も友人から「それ、差別だよ」と指摘されたことがありました。私は在日に対する差別についてはくわしいけれど、 他の差別は自分が体験していないこともあって、理解できていない部分があります。在日同士でも差別の受け止め方は人それぞれ。自分が差別だと思わないから差別じゃないというのではなく、傷ついたと声を挙げた人の言葉を受け止めるべきでしょう。私はその時、「ごめんなさい。これからはもちろんこういう言葉は使わないし、もし使っている人がいたら"それは違うよ。差別だよ"と今度は私が伝えていくね」と言いました。こうして言い合える仲間の存在はとても大事です。指摘するのは勇気が必要ですが、差別をなくす第一歩として、恐れずに伝え合っていきましょう。

 そのためにも、様々な差別について知っていくことや、何が差別になるかを学ぶことが必要です。そのことが、自分自身が差別を受けないだけでなく、自分が知らないうちに人を差別することも防いでいきます。

sub_ttl00.gif実効性のある法律や条例で「反差別」を明確に

 ヘイトスピーチに関する法律が施行されて3年が経ちました。路上でのヘイトデモは減りましたが、ネット上では今もヘイトスピーチが日常的にあります。「ヘイトスピーチは許されない」という法律ができたのに減らない理由のひとつには罰則規定がないことがあると私は思います。冒頭で紹介したように、「法律がない」ことがヘイトスピーチを止められない理由だと言われました。法律ができた後におこなわれたヘイトデモの現場で警察に抗議すると、今度は「罰則規定がないから動けません」「条例違反なら行政に言ってください」と言われました。

 そもそも罰則規定があれば、ヘイトスピーチをする人は減るでしょう。罰金を払ったり、社会的な制裁を受けたりするならやめておこうと考える人は多いはず。ヘイトスピーチを罰しないというのは、結局ヘイトスピーチを容認しているのと同じではないでしょうか。

 大阪府では2019年11月に「大阪府ヘイトスピーチ禁止条例(正式名称:大阪府人種又は民族を理由とする不当な差別的言動の解消の推進に関する条例)」が施行されましたが、やはり罰則規定がありません。一方、神奈川県川崎市では、刑事罰を盛り込んだ差別禁止条例案が成立する見通しです。(2019年11月末現在)

 差別問題の議論では常に表現や言論の自由の見地から慎重論が出ます。私たちはいつ、どこで、誰から投げつけられるかわからないヘイトスピーチにずっと傷つけられてきました。この社会で安心して生きていくために、「差別は許さない」という姿勢を明確に見せてほしいと思っています。

 また、法の整備と同時に、ネットや路上でヘイトをするより楽しいと思える場所を社会で作っていくことも必要です。そういった顔の見える場を社会の中で作っていくのも、自治体に求められていることだと私は思います。




(2019年12月掲載)