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・・・・・ 第106回・・・・・

ともに学ぶこと

から始まる

「共生社会」をめざして

特定非営利活動法人

多民族共生人権教育センター

理事・事務局次長 文 公輝 さん

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民主主義の時代になっても引き継がれた差別

多民族共生人権教育センターは大阪市生野区鶴橋にあります。この周辺はかつて「猪飼野(いかいの)」と呼ばれていました。古代、当時の国際港だった「難波津」近くの猪飼野周辺には朝鮮半島からの渡来人が多く居住していました。

時代が下り、1910年の「韓国併合」後は仕事を求めて多くの人たちが日本に移り住みました。なかでも町工場と家賃の安い長屋が立ち並ぶ猪飼野は、朝鮮の人々にとって暮らしやすい地域でした。こうした歴史的経過から、生野区は住民の5人に1人が韓国・朝鮮籍であり、それを越える数の朝鮮にルーツをもつ人が暮らすまちとなって、現在に至ります。

猪飼野が「暮らしやすい」といってもそれは零細な町工場での就労や家賃の安い長屋が多かったという意味であり、逆にいえば就職差別、賃金差別、そして入居差別があったということでもあります。集まって住むのは、差別からくるさまざまな困難から自分たちを守り、支え合っていくために必要なことでもありました。1945年の敗戦後、民主主義が謳われる時代になっても、外国人登録証の指紋押捺や常時携帯を義務として課すなどの社会的差別は引き継がれていました。当然、社会的にも就職差別や結婚差別など多くの差別がありました。

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在日外国人の多様化とともに課題も多様に

日本における外国人全体の9割以上を在日韓国・朝鮮人が占めるという時代が長く続きましたが、1980年代後半からフィリピン、ブラジル、中国などさまざまな国から渡日する人々が急激に増えました。現在では在日韓国・朝鮮人が外国人数に占める割合は約25%にまで下がっています。また、朝鮮半島から渡ってきた1世から、日本で生まれ育った2世、3世へと世代が移り、今は4世、5世も生まれ育っています。在日と一口に言っても世代によってアイデンティティが違い、文化の継承が課題となっています。

一方で、1980年代以降に渡日してきた「ニューカマー」の人々も、在日韓国・朝鮮人が経験してきた差別に直面しています。言葉や文化といった個人のアイデンティティの根幹の部分で「日本」に同化することを強いられ、民族文化を維持することが排除や非難の対象となることがあります。かつては「朝鮮人お断り」という貼り紙が堂々とされていましたが、近年は「外国人お断り」という表現で施設利用を拒否するということが各地で起こっています。

こうした流れのなか、私たち多民族共生人権教育センターは、多様な文化を受け入れ、互いに尊重しあう本当の意味での「日本人」と「外国人」の共生社会の実現を目指し、活動を続けてきました。

sub_ttl00.gif 草の根の共生が広がる一方で台頭してきた排外主義

たとえば「啓発セミナー」として、最近では「関東大震災から90年、清算されない過去」「植民地朝鮮に生きる?図像資料が映しだす生活」「神戸在住ベトナム人の歴史と現在」「ヘイトスピーチにどう向き合うか」といったテーマの講座を開催してきました。学校や企業、あるいは一般の大人向け、児童・生徒向けとさまざまな対象に向けた講演や教材を提供しています。また、希望に応じてコースを組むフィールドワークも好評です。

近年はいわゆる「韓流ブーム」もあり、生野区のコリアンタウンは多くの観光客が訪れるようになり、活気があります。多くの日本人が朝鮮半島の文化にごく自然に触れ、親しむようになりました。かつてのようなあからさまな差別は見られなくなってきたのは事実です。

しかし一方で、ここ数年ほど前から聞くに耐えないヘイトスピーチが堂々と行われるようになってきました。私たちの事務所が面している商店街でもヘイトスピーチのデモ隊が罵詈雑言をまき散らしながら行進していきました。隣接する高齢者のグループホームに入所している在日1世、2世の高齢者が「怖い怖い」と怯えたりすることがありました。過去の記憶がフラッシュバックしているのだと思われます。

日本で生まれ育ち、ある意味日本人同様の社会への愛着を抱いている世代の人たちも傷付いています。「日本人は自分たちを嫌っている。韓国・朝鮮人であることは隠しておいた方がよい」と保護者に語った子ども、「怖かった」「どうしてあの人たちは韓国・朝鮮人のことをあれほど嫌うのか」と学校の教師に訴えた子どもがいました。民族名を名乗り、小さい子どもがいる私も、出かける時は出先でヘイトスピーチがおこなわれていないかという情報収集をして出かけます。子どもたちには決して聞かせたくありませんし、何より身の危険を感じるからです。

sub_ttl00.gif 広げてきたネットワークと実践の力を信じて

2000年の設立以来、多くの教育、企業関係者の人たちと出会ってきました。歴史的経過をはじめ、正しく学ぶことで差別や偏見を正すことができます。教員の意識、企業の意識が変われば社会が変わります。私たちは差別を追及するのではなく、その背景にあるものをともに考え、解決のための手立てを考えるという姿勢で取り組んでいます。そこから「共生」が始まると考えるからです。そしてその成果は確実に広がってきました。

ヘイトスピーチに象徴される排外主義の空気には敏感でありたいと思いますが、一方で、ともに「共生」に取り組める人たちと築いてきたネットワークや実践の力も信じて今後も活動していきます。

(2014年7月掲載)