人権を語る リレーエッセイ

 

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・・・・・ 第84回・・・・・ 

トランスジェンダ-
として生きること

を選んで

 土肥 いつき(どひ いつき) さん

京都府立高校教員

全国在日外国人教育研究協議会事務局

セクシャルマイノリティ教職員ネットワーク副代表

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sub_ttl00.gif 自分を変態だと思い込んで生きてきた

 

35歳の時、同僚から借りた本のなかに「トランスジェンダー」という言葉を見つけた瞬間、私は自分自身を知りました。

子どもの頃から女装したいという願望があり、そんな自分は変態なのだと思いこんでいました。トランスジェンダーという言葉に出会うまで、そんな自分を嫌悪し、抑圧し、ひげを生やして「男らしく」生きていたのです。「これは自分のことだ」と直感して、そこから船の舵を切ることにしました。それまで歩いていた「男」の道とは違う道を目指そうと考えたのです。

しかし最初は失敗しました。自分自身を「見つけた」喜びと興奮とで、周りの人に「自分はトランスジェンダーなんだ」「理解してくれ」と言い回ったのですが、返ってきたのは「何それ」「いらんわ」「何が言いたいねん」とさんざんな反応でした。勤務先の高校の子どもたちからは「おかま」呼ばわりされ、くすくす笑われました。そこで無理して舵を切るのはやめました。 

 

 

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性同一性障害ではなく、トランスジェンダーとして

 

今思えば、「トランスジェンダーは人権問題なんだ」「トランスジェンダーという存在を認めるべきだ」といった言い方をしていたような気がします。確かに認めるべきなのですが、そんな伝え方では人の心は動かないと思います。人権課題とは、多くの人が「それは人権の課題だ」と考えないと「人権課題」として認識されないんじゃないかと思います。私がトランスジェンダーである自分に気づいた時、まだこの問題は人権にかかわることとしてほとんど認められていませんでした。

ところで、私はもって生まれた性別に違和感を抱いていましたが、自分を「性同一性障害」とは言いません。トランスジェンダーと自覚してからもさまざまな紆余曲折があり、最終的には手術も受けました。女性として埋没して生きたい気持ちがないというとウソになりますが、今の自分の生き方は自分で選択したのです。

今、性同一性障害については医療面がどんどんクローズアップされています。しかしトランスジェンダーとしてどう生きていくかは本来は医療とは別の次元の話です。自分や社会のなかにあるハードルをいかに跳ぶかということなのです。医療を充実させることで、あるいは医療へのアプローチをしやすくすることで、ハードルの問題もクリアしていこうというやり方は、不必要な身体治療というひずみを生むと私は考えています。

 

 

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同世代の女性たちにロールモデルを置いて

 

私はトランスジェンダーとして生きる道を選びました。しかしそれで自分への嫌悪感や罪悪感から完全に解放されたわけではありません。たとえば女装は自分のやりたいことであると同時に、最も嫌悪することでもあるというダブルバインド(二重拘束)が今もあります。長い間、私はそれを乗り越えなければいけないと思っていました。しかし最近になって、そういう自分であることを受け止め、その気持ちと折合いをつけながら生きていこうと思えるようになりました。

そんなふうに思えるようになったのは、いいロールモデルが身近にいたからです。トランスを始めた30代から40代にかけての頃は、自分よりずっと若い女性をロールモデルとしていました。奇妙に思われるかもしれませんが、「女性」として”育つ”時間が必要だったのです。女性として生き始めたばかりの私には、自分と同世代の女性たちがずっと年上の「おばさん」のように映ったのです。

しかしある時、「おばさん」だと思っていた女性たちがとても素敵な生き方をしているのに気づきました。そして彼女たちに自分のロールモデルを置くと、とても気持ちが楽になりました。そこから私はまた大きく変わりました。

 

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「子どもは幸せだね」のひと言に力をもらう

 

 

  最初にカムアウトする相手は誰かというのはよく議論されるテーマです。ある精神科医と話した時、私は「自分自身だ」と答えました。人に受け入れられる経験は重要ですが、受け入れられるにはまず自分としっかり対話し、自分自身を受容することが必要なのです。しかしそのためには誰かに受容された経験も必要なのですが。少しずつでもこうした経験を繰り返すなかで自分を受け入れていくのでしょう。

私はパートナーにカムアウトするのに2年、受け入れてもらうのにさらに数年かかりました。しかし今は子どもたちも含めて、今の私をパートナーや父親として受け止めてくれています。今年の七夕の短冊に、中3の娘が私のことを「父(いつき)」と書いていたのには爆笑しました。

私がトランスジェンダーとして生きると決めた時、周囲の人はみな「やめとけ」「子どもがかわいそうだ」と言い続けました。けれどもあるレズビアンの人が、大笑いした後に「子どもは幸せだね」と言ってくれたのです。このひと言が私に大きな力をくれました。

マイノリティは生きづらいというイメージがありますが、本当はマジョリティのなかにも微妙な差があるはずです。しかしマジョリティという網がかかった瞬間、細やかな差に気付けなくさせられてしまう。もったいない話です。私は何のひっかかりもない「男」の道から「マイノリティ」の道へと選び直してよかった。マジョリティの立場にいる人に「こっちへおいでよ、楽しいよ」と呼びかけたいというのが素直な気持ちです。

  (2012年10月掲載)