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・・・・・ 第83回・・・・・
自然は多様性を好
むが、社会がそれ

を嫌う

東 優子(ひがし ゆうこ) さん

大阪府立大学人間社会学部教授

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sub_ttl00.gif 同性愛に対する厳しい弾圧

恋愛・性愛の対象が同性である人(=同性愛者)や、男性(女性)として生まれ育ってきたけれども「自分は女性(男性)である」と自認している人(=性別違和をもつ人々)など、私たちの社会にはさまざまな「性のありよう」が存在します。自分の体に違和感のない人や異性を性的対象にする人のほうが数が多いとされるため、こういう人たちは「性的少数者(マイノリティ)」と呼ばれ、社会の性規範からはみ出すために、差別や偏見にさらされることがあります。例えば、同性愛は精神疾患であるとされ、かつては治療が強制されることさえありました。また現在でも、同性愛を非合法とする国は約70カ国あり、死刑を宣告する国もわずかながらあります。同性愛が合法である国においてもバッシングや憎悪犯罪の標的になることがあり、被害を受けたり差別されることを恐れながら生活している人が多くいるのが現状です。
sub_ttl00.gif 具体的な施策がおこなわれていない現状

 1970年代にアメリカ精神神経学会が「同性愛は病気ではない」と宣言し、1980年代になって精神疾患に関する診断基準(DSM)から外されました。日本では1989年、同性愛者の団体に対し、東京都が「青少年の健全な育成に対し悪い影響を与える」として宿泊施設の利用を拒絶した「府中青年の家事件」が起こりました。裁判の判決文は「都教育委員会を含む行政当局としては、その職務を行うについて、少数者である同性愛者をも視野に入れた、きめの細かな配慮が必要であり、同性愛者の権利、利益を十分に擁護することが要請されているものというべきであって、無関心であったり知識がないということは公権力の行使に当たる者として許されないことである。」というすばらしいものでした。けれどもその後、国内での同性愛に対する具体的な人権施策がおこなわれたかというと、残念なことにほとんどありません。

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「病気」でも「ライフスタイルの問題」でもない

そんななかで、自分の身体的な性に対する違和感や嫌悪感をもつことにつけられた「性同一性障害」という言葉が広く知られるようになりました。1990年代半ばから性同一性障害という言葉を使ってカムアウト(自分の性的指向や性自認を表明すること)する若者が増え始め、2003年に設置された「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」によって、さらに社会的認知がされるようになりました。

けれどもこの法律はあくまで性別に対する違和感や苦痛を「疾患」とみなし、治療の対象とするものです。かつて同性愛が病気とされたことに対して、当事者たちが「脱病理化運動」を展開したように、「病気ではない」と考える人も私自身を含めて少なくありません。しかし、病気ではないと言ったとたんに、個々の好みやライフスタイルの問題とされてしまいます。ほかの性的少数者に対する考え方も同じです。なかでも同性愛は「ベッドの中のこと」として、プライバシーの問題にされてしまいますが、同性愛の権利運動が訴えているのは市民として公正に扱われることや生きづらさの解消です。寝室の中で起こる話をしているわけではありません。こうした社会のまなざしと当事者ニーズとのギャップ、人権問題としてなかなか捉えられづらいということは日本の特徴であると考えています。

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リーダーが率先して「差別を許さない」という姿勢を

私の家にはさまざまなセクシュアリティの人たちが集まりますが、そこに子どもがいた場合、子どもたちの目に映るのは異性愛の世界です。男女のカップルがいれば恋人同士とみなされますが、同性カップルがいても本人たちがカムアウトしていない場合は「カップル」とは認識されません。カムアウトしていない人も多いので、子どもが罪の意識もなくアウティング(本人の了解なしあるいは意思に反して第三者に話すこと)する恐れがあるため、話せないでいると、子どもたちの目に映るのは、いつまでたっても「ふつう」の男女だったり、異性愛のカップル、とう「なじみのある風景」になりますそのことをとても残念に思います。

あるゲイの日本人男性は、中国から養子を迎え、外国人のパートナーと子育てをしています。しかし彼はカムアウトしていないので、学校行事に親としては関わっていません。異性の両親であることが暗黙の前提であるため、学校と話をするのも大変だと話してくれました。ある時、息子が病気になった際、事情をわかっているのかわかっていないのか、「こういう時にはお母さんの愛情が必要」と批判めいたことを発言した教師もいたそうです。日本社会では「異性愛を前提とした家族」があらゆるシステムにはりめぐらされており、こうした家族を生きづらくさせていることをつくづくと感じます。

多数派の意識を変えるのは容易ではありませんが、不可能ではないでしょう。オバマ大統領はアメリカ大統領として初めて「私は性的マイノリティ差別を許さない」と公言しました。リーダーの立場にある人の発言は大きな影響力をもちます。たとえば学校なら校長、クラスなら担任の先生が「差別を許さない」と明言すること。こうしたリーダーシップをしっかり発揮してほしいと思います。マイノリティ(少数者)の問題に向き合うということは、自分の価値と向き合う、あるいは自分たちの社会を見直すということ。他人事ではありません。

   (2012年9月掲載)