人権を語る リレーエッセイ

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 ・・・・・ 第80回 ・・・・・ 

自死遺族が
安心して喪に服せる
社会にしたい



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弘中 照美(ひろなか てるみ) さん

多重債務による自死をなくす会コアセンター・コスモス 理事長

 

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sub_ttl00.gif 頭のなかはお金のことでいっぱいだった

 

 「多重債務による自死をなくす会」の活動を始めたのは2007年3月です。2010年にNPO法人となりました。わたし自身が多重債務に苦しみ、さらに母が借金に悩んで自死したという経験が原動力です。

  前夫の事業がうまくいかなくなったのがきっかけでした。当時、5千万円で購入し月36万円の住宅ローンを払っていたのですが、あっという間に支払いが滞り、あちこちでお金を借りてはよその支払いに回すという自転車操業に陥りました。複数の金融機関から借りているので毎週のように支払日がやってきます。頭のなかは常にお金をどう回すかということでいっぱいでした。高校生と中学生だった2人の息子にも八つ当たりし、家のなかは殺伐とした空気だったと思います。 

  けれど一歩外に出ると、無理に明るく振る舞っていました。むしろ「私ほど幸せな人間はいないのよ」とことさらにアピールしていたように思います。経済的に破綻していることを認めてしまえば、築いてきたものがすべて崩れてしまう、子どもたちの人間関係にも響くと思いつめていました。

 sub_ttl00.gif 多重債務を乗り越えた矢先に母の自死

   やがて精神的に追いつめられ、夜も眠れなくなりました。ようやく眠れたかと思うと怖い夢ばかりみました。子どもに八つ当たりし、自己嫌悪に陥り、ますます追いつめられる。とうとう「根本的に解決するしかない」と心を決め、調停を申し立てることを業者に連絡すると「今から家に行ったる!」などと脅され、家にも帰れなくなりました。

  中学生の息子と寒い駅のホームで6時間を過ごしました。電車がくるたびに「この子の手を引いて飛び込もうか」と思うのですが、上の息子のことや、黙ってそばにいてくれる息子に対してやっぱり申し訳ないとも思う。結局、前夫に電話をして迎えに来てもらいました。

  そんなことを乗り越え、どうにか借金を清算して新しい生活が始まりました。前夫とは離婚し苦しい生活でしたが、親子3人肩寄せ合って暮らしました。私は司法書士事務所でパートで働き、時間外手当てをもらうためにお昼休みも働きました。以前から一緒に活動していた今の主人と、再婚を決意。準備を進めていた矢先に母が「子どもを大切に」という遺書を残し自死したのです。 

 sub_ttl00.gif 精神疾患を抱えた人からの相談が増加

 

 「なぜ私ばかりが苦しい目にあうのか」と、何もかもがイヤになりました。多重債務に苦しんでいた状態に逆戻りし、精神科にいくと「うつ病」と診断されました。主人と子どもたちが懸命に支えてくれましたが、長い間、自分がおいしいものを食べたり笑ったりすることも許せませんでした。だれかを恨んでみても、最後はどうしても助けられなかった自分を責めるのです。

  苦しんだ末に、同じような経験をしている人を支える活動をしたいと考えました。以前から司法書士事務所で多重債務の相談員をしていたのですが、さらにその人自身に寄り添った活動をしたいと会を立ち上げました。知り合いの司法事務所の一角を借していただきながら、相談は無料で、携帯電話で受けています。現在までに7000件を超える相談を受けてきました。

  お話をききながら、その人に最善のメニューを頭のなかで考え、手配もします。当初は多重債務の方が圧倒的に多かったのですが、最近は多重債務をきっかけに精神疾患を抱えた人からの相談が増えています。また、多重債務は抱えていないが精神疾患があるという方や、そうした方のご家族からの相談もあります。

 sub_ttl00.gif さりげなく世の中に寄り添う活動を

 

   多重債務に対する支援として必要を感じているのは、情報発信です。借金の相続放棄ができることを知らずに亡くなった家族の借金を背負ってしまう、あるいは賃貸住宅で家族が自死をして家主から多額の賠償を求められるといったことがありますが、弁護士に相談して解決することも多いのです。残念ながら、今は残された人が安心して悲しめるようになるのにとても時間がかかる社会です。素直に喪の作業ができるようになるといいなと思います。

 講演や研修で、わたしはよく「誰かに家族が自死したことを伝えられた時、あなたはどう答えますか」とお訊きします。するとみなさん、黙ってしまわれます。

 でもそれでいいと思うのです。勝手な言い分のようですが、簡単に「わかるよ、つらいねー」と言われたら、かえって傷ついたり腹が立ったりするものです。ただ、打ち明ける相手はごく限られていることを知っておいてください。「この人なら話せるかもしれない」という思いがあるのです。黙って聞いていただくだけでいい。一緒に食事ができるようになったら食事して、一緒に笑える時がきたら一緒に笑う。そういう何気ないことが、自死遺族の”回復”にとってとても大きな支えになると思います。

 わたしもかつて「あなたの気持ちもお母さんの気持ちもわかる。話を聴いてあげる」と言われ、とても傷つきました。ですから自分は「?してあげる」という考え方は決してしないことを自分に戒めています。

 人間誰しもいつかは死を迎える時がきます。今は、亡き母に胸を張って会えるような生き方ができればと思っています。大きな花火をあげるような活動よりも、さりげなく世の中に寄り添っていきたいという思いでいます。                                             

                                                                                     (2012年2月掲載)