人権を語る リレーエッセイ

写真 (240x320) (160x227).jpg

 ・・・・・ 第79回 ・・・・・

 

うつ病による

 

自殺対策は

 

 

 正しい知識

 

 をもつことから

 



渡辺 洋一郎(わたなべ よういちろう)さん

社団法人大阪精神科診療所協会会長

 

 

 

 

sub_ttl00.gif 自殺した多くは精神疾患を抱えた状態だった

 

自殺と精神疾患の関連は意外と知られていません。しかしWHOの調査でも自殺された時点において精神疾患の診断がつくという人は98%にのぼります。もともと何らかの精神疾患や精神障害を抱えていた人も含まれていますが、ほとんどの人が自殺される時点においては精神疾患があると診断できる状態だったということです。特にうつ病は自殺ともっとも結びつきが強いといわれています。
うつ病はここ数年で広く知られるようになりました。しかし本当の意味でうつ病が知られているかというと、私は疑問に思っています。たとえば市民講演会や企業でのメンタルヘルス研修などで「うつ病を知っていますか?」と尋ねると、全員が手を挙げられます。次に「仕事に失敗したりイヤなことがあって落ち込んだりすることと、うつ病の違いがわかりますか?」と尋ねると、まず1人も手が挙がりません。このことからもわかるように、「知っている」と「わかっている」とは違います。正常範囲の落ち込みとうつ病の落ち込みの違いがわからなければ、うつ病が「わかった」とは言えないのです。
sub_ttl00.gif 正常範囲の落ち込みとうつ病の違いとは?

 

 

それでは正常範囲の落ち込みとうつ病との違いとは何でしょう。うつ病にいたるまでの背景にはさまざまな要因があります。たとえば失業による経済的困窮や夫婦、親子、男女など対人関係のもつれ、過重労働を始めとする職場の問題などです。こうした状況に陥れば誰でも落ち込みますが、しばらくするとまた元気を取り戻せるものです。しかし当たり前のレベルを超えてしまう人たちがいます。そしてなかには自殺しようとする人たちも出てくるのです。
問題は、落ち込みのレベルが当たり前を超えているかいないかの区別が難しいことです。私はいつも2つのポイントに絞ってお話ししています。ひとつは睡眠です。通常、疲れていると人はよけいに眠ります。疲れたから布団に入るなり寝てしまったとか、朝になってもまだ眠くて起きられないという状態です。ところがある一線を超えると、疲れているのに眠れなくなります。
もうひとつは好きなことを楽しめるかどうかです。正常範囲の落ち込みであれば、たとえば仕事で疲れ切ってしまっても週末に好きなスポーツや映画鑑賞などを楽しむことができます。しかしある一線を超えると、好きなことも楽しめなくなります。
疲れているのに眠れない、好きなことも楽しめないといった症状が1週間2週間と続けば、いわゆる病的な状態になってきていると推測されます。身近な人がさまざまな事情で落ち込んでいる時は、ぜひこのポイントを意識して見守ってください。そして長く続く時はかかりつけ医や精神科医の受診を勧めてください。

 

sub_ttl00.gif さまざまな要因が重なってうつ病を引き起こす

 

うつ病は誰でもかかる可能性がありますが、さまざまな研究から「なりやすい人」がいることがわかっています。リンカーンやアインシュタイン、マーラーといった有名な政治家や芸術家、科学者もうつ病を患っていました。「執着性格」といいますが、責任感が強く、寝ても覚めてもひとつのことを考え続けるタイプで、それだけに精神的に疲れやすいのです。
また、社交的で明るく、一見うつとは無縁に思われる人にも実は多くみられます。少し感情に波があり、元気で明るい時と寂しくなってしまう時とが交互にあるため「循環性格」といいます。寂しい気分の波に大きく影響を受け、うつ病になることがあります。
さらに高血圧や糖尿病になりやすい体質があるように、うつ病になりやすい体質もあります。このように性質や体質に心理的、身体的、環境的要素が加わった状態が続き、あるレベルを超えると脳内で感情や意欲をコントロールしている神経伝達物質の働きが悪くなります。この状態がうつ病です。脳の機能に問題が生じているので、励ましたり気分転換をしたからといって治りません。体の病気と同じように、治療が必要です。そして症状のひとつとして、自殺したくなる気持ち(自殺念慮)が起こることがあるのです。
うつ病による自殺には、アルコールとの関連もあります。アルコールには衝動性を高める作用があります。うつ病の人がアルコールを飲むことで、自殺したいという気持ちを抑えられなくなってしまうのです。

 

sub_ttl00.gif 人間を孤立させない社会が自殺を防ぐ

 

ここ数年、自殺予防の観点からうつ病対策がとられてきました。もちろん重要なことですが、まずは「うつ病にならずにすむ社会」であることが大切です。正常範囲の落ち込みからうつ病になる人、そしてうつ病になって自殺してしまう人に共通しているのは「孤立」と「絶望」です。うつ病になりにくい、あるいはうつ病からの自殺を防ぐためには、人間を孤立させない社会であることがもっとも大切なことでしょう。個の確立は日本人の大きなテーマでしたが、個の確立イコール孤独ではありません。一人ひとりの人間が独立したうえで社会や人とつながっていけるような仕組みが求められています。
(2012年1月掲載)