人権を語る リレーエッセイ

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  ・・・・・ 第78回 ・・・・・  

   

 

社会を生きやすく

  

する力は

 

すべての自対策に

 

つながる 

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 清水 新二(しみず しんじ)さん

 奈良女子大学名誉教授  

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sub_ttl00.gif 「予防・防止キャンペーン」が遺族を追いつめることも

 

 

   

 2010年に自死をした人の数は31690人で、13年連続で3万人を超えました。今年(2011年)は3月11日に東日本大震災が起こり、警察庁の統計では5月の自殺者数が前年に比べて18%増加しているという発表がありました。今後の推移が気になります。
  
 毎年3万人を超える人が自死で亡くなるというのは大変なことです。そこで国をあげて「自殺予防・防止キャンペーン」が取り組まれてきました。
 
 確かに自死を予防、防止することはとても重要です。一方で、自死に対する社会のまなざしはとても厳しいものです。「弱いから逃げた」「命を粗末にした」という見方が根強くあり、「自死で亡くなりました」とはとても言いにくい状況です。また、心理学では攻撃性が他人に向かえば他殺になり、自分に向かえば自殺となるという主張があり、自殺が破壊衝動、攻撃衝動の一種とみなされることがあります。
 
 そうした見方に自死遺族の方々は長く苦しんできました。そのうえ大々的に「自殺予防・防止キャンペーン」がおこなわれ、「命を大切に!」と強くアピールされることでさらに辛い思いをする遺族の方が少なくありません。「自死した夫(妻)やわが子は、弱かったのか。命を粗末にしたのか」と、大切な家族を失った悲しみに加え、その人の人生そのものを全否定されたような思いになるのです。
 
 わたし自身、当初は自死をいかに予防・防止するかを中心に考えていましたが、多くの自死遺族の方との対話を通じて、自死の遺族が独特の困難さと悲嘆を抱えながら息をひそめるように生きていることに気づかされました。
   

 sub_ttl00.gif 語れないまま、日々苦しむ自死遺族~封印された死~

 

 

 

 

  

 初めて「予防という言葉に抵抗がある」と言われた時はよく理解できませんでした。いろいろお話を聴くうちに、「防止、防止」と言われることで、大切な家族を失ったという心の傷に塩をぬりこまれるような痛みを感じるということが次第にわかってきました。
 
 もちろん、防止する側にそのような意図も動機もありません。自殺の防止活動の意義も理解されています。ただあまり安直に「予防」という言葉を振り回してほしくないということなのです。
 
 自死遺族がそう感じる背景には、自死に対する社会の差別、偏見があります。結婚が破談になった、就職に支障があったなどという話は珍しくありません。周囲に対して死因さえも偽ることがあります。子どもに対してさえも急病などと偽り、思春期に事実を知った子どもが苦悩するというケースもあります。ここまで厳しく差別される死因はほかにありません。
 
 そうしたなかで遺族は「自死のことは周りに語らないほうがいい」「話してもどうせわかってもらえない」「話せば逆に驚かれたり引かれたり、本人に問題があったような言い方をされる」などと考えるようになります。そして子どもにさえ黙っておこうと、自分の思いを胸のなかにしまって鍵をかけてしまいます。これが封印された死です。  
 
 それで気持ちが収まればいいのですが、そうはいきません。極端な話、遺族は毎日、さまざまな感情的苦悩を体験します。悲しみはもちろん、怒り、攻撃的な気持ち、そして「なぜ防げなかったのか」という自責感、無力感。解のない方程式を毎日毎日頭のなかで解くようなものです。
    

 sub_ttl00.gif 故人の人生をポジティブに受け入れるために

 

 

 

 

  

 自死遺族の感情的苦悩のなかでも最も大きな核となるのは自責感です。「もう少しあの人(あの子)と向き合えていたら」と自分を責め続けます。
 
 この自責感をもう少しほぐせないと、亡くなった人との関係をポジティブに受け止められません。そのために必要なのが、自死というものに対する社会の見方を変えることだと考えています。現実問題として、自死の予防と防止のためにどんなに立派なシステムができても、自死をすべてなくすことはできないでしょう。
 
 そのことを認め、防げる自死もあるが、防げない自死もある。自死とは誰のせいでもなく、不条理に起こり得るものだという原点に立つことでしか遺族の方の自責感に向き合えないとわたしは思うのです。  自責感からもう少し解放されれば、遺族は亡くなった人に対して「最後は自ら命を絶ったけど、あの人(あの子)は精一杯生きた」「楽しい時間もあったよね」と大切な人の死を受け入れることができます。夫婦や親子は「その人なしには自分の人生もあり得ない」という存在といえます。
 
 その人を否定的にしか受け止められないということは、自分の人生の物語を書けないということです。  自死の原因を個人の問題に還元させない、そして自死の責任を遺族だけに負わせない。その原点のもとで取り組む「予防・防止キャンペーン」であれば、自死遺族も受け入れられるでしょう。  
   
   

 sub_ttl00.gif 生きやすい社会が結果的に自死を減らす

 

 

  

  

  

 自死された方には病気や借金、家族関係などきわめて個人的な理由があり、最終的に自死以外の選択肢がなくなったと思われます。
 
 しかしそういう状況は突然訪れるわけではありません。少しずついろいろなことが積み重なった結果です。社会の仕組みがもっとうまく働いていれば、自死にいたる前の段階で解決できたかもしれません。今の社会は、若い世代も将来に展望がもてずにいます。社会そのものを生きやすくすることはすべて自死対策につながると言っても過言ではありません。  
 
 同時に、自死に対する社会の差別的な価値観をわたしたち一人ひとりも無自覚に取り込んでいることを自覚する必要があります。こうしたことの積み重ねが結果的に自死を減らすことにもつながるのではないでしょうか。
 
(2011年12月掲載)