人権を語る リレーエッセイ

長瀬 正子(ながせ まさこ)さん 第73回
施設で生活する子どもの困難を分け合うことのできる社会を創る


長瀬 正子(ながせ まさこ)さん  (短期大学講師)

 

入所の背景には複数の困難がある

さまざまな事情で親といっしょに暮らすことができない子どもたちを支える仕組みを「社会的養護」といいます。もともとは「児童養護」といわれていて、子どもを見守り保護することを意味していました。社会的養護の形態は、家庭的養護(里親制度・グループホーム)と、施設養護(乳児院・児童養護施設など)があります。「社会的」と表現されるようになったのはここ数年ですが、子どもを育てていく責任は社会にあることが明確に示されている言葉だと思います。
児童養護施設(以下、施設)に入所する理由には、離婚や親の病気、親が刑務所に入っているなどさまざまな理由があります。離婚をきっかけに貧困状態になり周囲から孤立したなかで虐待が起きてしまったというようにさまざまな困難が複数重なっていることが特徴的です。社会で家族を支え切れなかった結果として、子どもと家族は離れて生活することになり、社会的養護のシステムが子どもの育ちを支えることになります。

社会的養護の課題 -施設で育った人たちから気づかされたこと-

しかし、家族から離れて育った子どもの社会的養護のシステムは、十分なものではなく課題も多くあります。
グループホームに対して助成が出る東京都では、5,6人の子どもを2,3人の職員でケアするグループホームが多くあります。小規模のケア形態は増えていますが、多くは大勢の子どもたちが集団で生活をする大舎制という形態です。国が定めた基準では、小学生以上であれば6人の子どもに対して1人の職員の配置、よって夫婦であれば12人の子どもという状態です。加えて、その12人は一人ひとり生い立ちや傷つき体験などが違ううえに、慣れない場所で暮らしているような感じです。想像してみると、非常に困難な事態であるといえます。長年人員配置の問題は改善が求められてきましたが、50年以上変わっていません。
長く施設で生活した人たちから「我慢が日常化して、我慢という感覚がわからなくなる」と聞いたことがあります。すべての子どもを平等にと思えば、一律に対応できることにしか応じられません。しかし子どもの側にすれば、成長の過程で当然出てくる欲求をあきらめざるを得ないプロセスがあります。やがて最初からあきらめてしまう。つまり我慢が身体化されてしまうのです。一方で、厳しい家庭環境で育ち、中高生で施設に入所した場合には「職員が話を聴いてくれた」「施設に入ってよかった」と語る人もいます。どんな環境が望ましいのかは、入所理由や入所年数、そしてその人の持っている社会資源によって一人ひとり異なるのです。
アイデンティティの問題もあります。未来に向けてどう生きるかを考えるときに、自分のルーツを見つめることは不可欠です。カナダやイギリスなどでは一定年齢になると、施設に入った経緯記録を見ることができますが、日本にはそういった仕組みはありません。そのために「自分はなぜ生まれたのだろう。なぜ施設で生活するのだろう」という根源的な問いにたくさんエネルギーを使うこともあります。
また、暴力の問題もあります。長い間、施設内の暴力は禁忌事項(タブー)でした。しかし実際にはずっと存在していました。施設内暴力は、職員から子ども、子ども同士、そして子どもから職員への暴力と3つのタイプがあり、性暴力も含まれています。2000年以降、家庭内での虐待が可視化されてきたこともあり、施設での暴力に対する認識も変わってきました。2010年の改正児童福祉法では、被措置児童虐待防止として施設で生活する子どもへの暴力に関する事項が明記されるに至りました。  

管理教育に苦しんだ中高時代を経て

わたしは、子ども時代を愛知県で過ごしました。中学時代の学校では、前髪の長さやスカートの丈など細かく管理され、体罰も日常風景でした。わたしにとって「家」とは、自分を守るための場所でした。時々学校を休み、家でエネルギーを充電することで、自分にとって戦場のような学校へ行けたのです。
「女の人が働き続けるには資格が必要」と選んだ教育大学でしたが、教員の差別性や暴力性を身にしみて感じてきたわたしは、純粋に教師を目指すことができる周囲と話が合わず、採用試験も受験会場の学校の門まで行って途中で帰ってきてしまうという状態でした。学校時代は、学びたいことを選べなかったので、自分の学びたいことが学べる大学は至福の時間でした。学びを深めたいと大学院に進み、施設で生活する子どもに配られる『子どもの権利ノート』という冊子を修士論文のテーマにしたことが現在の自分につながっています。子どもの保護性と主体性のバランスをどう支えていくのかという問いを考え続けています。
大学院での学びや研究を通じて、日本の社会ではかつての自分も含めて子どもが生きていくことが大変であること、なかでも施設で生活する子どもがもっとも厳しい状態に置かれているのではないかと気づきました。それが現在の研究につながり、施設で生活する子どもや退所した若者の「居場所づくり」をするCVV(Children's Views & Voice)の活動のスタッフをすることにつながっていきます。

子どもに課せられる困難をみんなで分け合いたい

施設をめぐる課題は山積で、どれもが施設で生活する子どもの人生にとってとても重要なものです。どこから手をつければいいのかと途方に暮れますが、まずは子どもたちの個別性と多様性を大前提にして考えることが大切ではないかと考えています。施設で生活する子どもや退所した人たちの声からは多くを教えられます。そして、子どもが自身の人生を自分のものとして生きていくことができるよう自分のルーツを知り整理する機会を保障することや、その子の紆余曲折とした成長を見守るおとなの存在が重要だと感じています。
私は大学進学と同時に一人暮らしを始めました。アルバイトをしたうどん屋さんでしょっちゅう怒鳴(どな)られながら、働き方の基本から社会人としてのマナーを一から教えてもらいました。そこの家族に混ぜてもらって、おなか一杯ごはんを食べさせてもらいました。困った時には相談して、たくさん助けてもらいました。人は、簡単におとなになれません。私には実の親だけでなく、先ほどのアルバイト先のご夫婦、大学・大学院の恩師などたくさんの親がいます。だからこそ、「生みの親の役目には限界がある。子どもは家族のみならず、多くの人によって育てられる」という考えが根幹にあります。施設を退所した後に、助けを求められる場がないことや人へのつながりの弱さがあります。直面する困難も、みんなで分け合うことのできる社会を創っていきたいと思います。

(2011年1月掲載)

    長瀬 正子(ながせ まさこ)さん
  • 短期大学講師
  • CVV(Children's Views & Voice)スタッフ
    http://ameblo.jp/cvv/