人権を語る リレーエッセイ

栗本 敦子(くりもと・あつこ)さん 第70回
一人ひとりの力を信じる参加体験型学習が社会を変える


栗本 敦子(くりもと・あつこ)さん

ファシリテーター

開発教育を通じてワークショップと出会う

あるテーマについて学んだり話し合ったりする時、参加者の自発的な発言を通して議論を深めていく「ワークショップ(参加体験型学習)」という方法があります。わたしが仕事としているファシリテーターは、ワークショップで、メンバーが参加しやすく、議論が深まるような場をつくるよう全体を調整する役割を担います。
わたしがワークショップやファシリテーターという言葉や手法を知ったのは学生時代でした。当時、国際協力や南北問題に関心があり、サークルで勉強会などをしていました。ある時、開発教育という分野に関心をもち、教材を取り寄せてみました。そしてマニュアルをみながら南北問題をテーマにした「貿易ゲーム」という活動をやってみたのですが、それがとても面白かったのです。自分たちが眉間にしわを寄せて伝えてきた南北問題の実態をこんなふうに楽しく学ぶことができるんだと、さらに興味をもちました。
大学卒業後はNGOの職員になり、仕事としてワークショップにかかわるようになります。

学ぶことの楽しさや豊かさを初めて実感

ゲームという形で出会った参加体験型学習でしたが、わたし自身が大きな影響を受けたのは、ブラジルの教育者、パウロ・フレイレの理念に共感した人たちがおこなうワークショップでした。たんなる手法やハウツーではなく、参加ということを大事にする姿勢、参加者の力に対する信頼を学びました。もうひとつ影響を受けたのは、開発教育が盛んだったイギリスでおこなわれていたワールド・スタディーズという取り組みです。相互依存を深めていく世界について学ぶためのプログラムで、教師向けのハンドブックの冒頭には「わたしは問いかけつつ教えているか」といったチェックリストがありました。学ぶ側ではなく、教える側の姿勢を問う考え方に強いインパクトを受けました。
学生時代のわたしは「優等生」でした。1968年に生まれ、受験戦争をスルリとくぐり抜けて大学に入りました。道徳や同和教育の授業では、先生がどんな答えを望んでいるかを察知し、その通りに書くようなこましゃくれた子どもでした。高校はひどい管理教育で、卒業する頃には「教師にだけはなるものか」と決意していました。
そんなわたしが、ワークショップやファシリテーターと出会い、学ぶ楽しさや学んだことを生かして社会とかかわっていく面白さを身をもって知りました。学ぶこと自体がワークショップやファシリテーションであり、とても豊かで面白いものなのだと実感したのです。その思いがわたしの原点であり、今も変わっていません。

参加者を尊重し、公正な学びの場をつくる

人権教育には4つの側面があるといわれています。「人権のための教育(Education FOR Human Rights )、「人権としての教育(Education AS Human Right)」、「人権を通しての教育(Education THROUGH Human Rights )」、「人権についての教育(Education ABOUT Human right)」です。これまでの人権教育は圧倒的に「人権についての教育」でした。いっぽうで、ワークショップは" FOR "「人権のための教育」であり、" THROUGH "すなわち「学習過程そのものも人権が守られた状態で展開されるべき」だという側面がとても強いと感じています。” THROUGH "とは、学んでいる場がまさに人権尊重が体現されている場であるということです。もちろん優れた講義もあると思いますが、参加体験型はめざすものと学ぶ場のあり方が一致していてとても効果的だ、というのがわたしの考え方です。
そのためには、いくつか気をつけなければいけないポイントがあります。何より大切なのは、ワークショップ全体をとおして参加者自身が「自分は尊重されている」と感じられることです。人は、自分が「認められた」上でないと変わらないのです。また、さまざまな立場や背景をもった人たちが集まる場では価値観や意見の違いがあります。けれども、差別的な発言までも認められるわけではありません。時には毅然とした姿勢を見せることも重要です。そして、積極的な発言だけではなく、遠慮したり自信をもてずにいたりする人の発言をていねいにキャッチすることも必要です。参加者の主体性を尊重しつつ、適切に介入することで、公正な学びの場をつくることがファシリテーターの役割なのです。

社会を変えるための一歩として

ファシリテーターとは、答えをもっている人ではなく、その場にいる人たちとともに考えるための問いをたてることを役割とします。その場で明確な「気づき」に至ることは求めません。ざらっとした違和感や、もやもやした気持ちを持って帰ってもらい、ある時、家庭や職場で「あ、この前のワークショップで出ていた話と同じやわ」と感じてくれれば大成功なのです。
わたしが参加型学習にかかわり続けているのは、わたし自身が生きやすい社会になってほしいからです。そして、社会を変えるためには、さまざまな場面に参加していくこと、あるいは参加を促すためのファシリテーションが欠かせないと考えています。一人ひとりの力を信じ、その力を発揮する手助けができるようなファシリテーションとはどんなものか。これからも自分に問い続けながら、参加者のみなさんとともに考えるワークショップをおこなっていきたいと思っています。

(2010年10月掲載)