人権を語る リレーエッセイ

沖野 充彦(おきの・みちひこ)さん 第63回
ホームレス化する若い世代に柔軟な生活・就労支援を


沖野 充彦(おきの・みちひこ)さん

特定非営利活動法人釜ヶ崎支援機構事務局長

セーフティネットの機能をもっていた「寄せ場」

2002年にホームレス自立支援法が施行されるなど、ホームレス問題は社会の問題として認知されています。しかし野宿生活をする人はずっと以前から存在していました。1960年代の高度経済成長期に日本中から都市部に日雇い労働者が集まり、建設業界を下支えしました。その時、大阪の釜ヶ崎や東京の山谷、横浜の寿など、いくつかの寄せ場が整備・形成されました。1970年代に入り、体を悪くしたり、高齢になった人たちが働けなくなり、野宿するようになりましたが、当時は「浮浪者」と呼ばれ、「社会の外の世界」として見捨てられていました。
その一方で、寄せ場は日雇い労働者のまちとして、単身の男性失業者の受け皿の役割を果たしてきました。ある程度若くて健康であれば、肉体労働をしながら暮らしていけました。経験のある先輩から、技術や生活の知恵を学ぶこともできました。ある意味でセーフティネットの機能をもっていたわけです。  ところが、1990年代初めになると、大型公共事業の縮小などにより建設業界の仕事そのものが減り始めます。そこで多くの人が路上に放り出される形になりました。わたしはこれを「ホームレス問題」の第1期ととらえています。

不況による拡散でホームレスが社会問題化

釜ヶ崎へ行っても仕事がないという状況になり、多くの人がアルミ缶を集めてキロいくらで売るようになりました。しかしアルミ缶の回収で生計を成り立たせるためには、同じ仕事をする人がいないところを“開拓”しなければなりません。そこで野宿生活を営む人が釜ヶ崎から各地へ分散し、河川敷や公園にブルーテントや仮小屋をつくって暮らすという形で拡散していきました。こうしてホームレス問題が初めて市民の目に触れることになり、社会問題化したのです。
第2期は、1990年代末から2000年代初めの時期です。中小企業に勤めてきた、肉体労働の経験のない中高年層がリストラや倒産によってホームレスになるケースが増えました。会社勤めとはいっても待遇はそれほどよくなく、蓄えがないため、失業と同時に生活に困るという人が多いのが特徴です。しかしある程度、「こうしたら暮らしていける」というノウハウがあったため、日雇い労働経験者とそうでない人とが融合する形で、ホームレス問題としてとらえられました。

生活のなかに野宿への危険が組み込まれる

第3期は、2005年前後から今に至るまでです。派遣労働や非正規雇用の増加により、職場を転々とせざるを得ない若い人たちが増えました。それに伴って、ひとつの仕事が終わった後、次の仕事が決まらないとすぐに住む場所を失い、野宿へというケースも急増しました。次の仕事が見つかれば寮やネットカフェで寝泊まりできるので野宿といっても一時的なものですが、逆に野宿への危険が生活のなかにたえず組み込まれているといえます。つまり、広い意味ではホームレスですが、実際は野宿と短期的な住まいとを行き来する、いわばボーダーのホームレスという状態です。野宿しながら日雇い派遣の仕事をしていたという人もいます。
もちろん寄せ場の日雇い労働者も、たえず野宿と隣り合わせの生活を強いられてきました。しかし、ある程度若年で健康であれば、飯場に入ることなどでそれを避けることができました。しかし今は若くて健康でも、仕事を失えばすぐに住まいも失ってしまう状態になっています。
また、これまで野宿生活になるのは、おもに中高年以上の層でした。若ければ、それなりに食べていける仕事があったり、食べさせてくれる親がいたりしました。たとえば高校を中退してやんちゃをしている子でも、まちの中小企業や商店の親父さん、建設業の下請けの親方などが面倒をみていたものです。しかし社会でも家庭でも仕事を失った若者を受け止める機能が弱まり、どこからもはじき出される人たちが出始めています。雇用システム、家族、地域という、日本社会を支えてきた3つの要素が弱体化した結果、若い人たちがちょっとしたきっかけでホームレス状態になるという、これまでにない事態が始まってきています。

マニュアル化した支援はもはや通用しない

これまでホームレスの相談や支援は、日雇い労働者としての仕事要求や終身雇用システムのなかで生きてきた中高年層の意識感覚にあった支援など、「層」を対象に支援システムを考えてきました。ところが今は、社会経験も自己形成の過程も千差万別の人たちがバラバラにホームレス状態になっているので、一人一人の話をよく聞き、その人に合った支援メニューを考えなくてはなりません。軽い知的障害や認知症、アルコールや薬物などの依存症をかかえている人もいて、福祉や医療が必要なケースも少なくありません。単純に住まいと仕事が確保されたら解決されるという問題ではないのです。相談を受ける側も、行政・民間を問わず、その人にどんな支援が必要かを判断できる知識と感覚、使えるネットワークをもっていることが求められます。
同時に、雇用保険制度の見直しや福祉事務所とハローワークの連携、職業訓練中とその後の就職活動中の生活費保障の拡充など、現行の制度の見直しや柔軟な対応が必要です。逆にいえば、今ある制度をうまく組み合わせれば、ある程度有効なセーフティネットにもなるということです。制度を有効に使いながら、よりよい制度を求めていきたいものです。
このようなことから、仕事と住まいを失った方にとりあえず緊急に「住まい」と「食事」を提供し、再出発の方向を一緒に考える場所として、2009年6月から「大阪希望館」を立ち上げました。これを、福祉や医療、雇用にかかわる人々のネットワークによって就労までの出口をめざす、市民運動として取り組んでいます。
現在のホームレス問題の解決は、そう簡単ではありません。ただ、いったんホームレス状態になると、心身にかなり大きなダメージを受けます。仕事がなくなっても、最低生活費と住むところの保障があるような社会にしていかなければなりませんし、なによりも「今を生き抜くことで将来に希望を持つことができる社会」を目ざしていく必要があると思います。