人権を語る リレーエッセイ

神谷誠人(かみや・まこと)さん 第58回
「ハンセン病問題基本法」は何を謳い、何を問うているのか


神谷 誠人(かみや・まこと)さん

弁護士

課題が山積するハンセン病問題

1998年、ハンセン病の回復者の方々が原告となり、国家賠償を求める裁判が熊本地裁で起こされました。翌年には東京と岡山でも同様の提訴がおこなわれました。私は主に岡山で提訴された「瀬戸内ハンセン病訴訟」の弁護団の一員として、ハンセン病問題に関わってきました。
2001年5月の熊本地裁の判決、そして、政府の控訴断念によって賠償の問題は解決されました。しかし、その後の療養所内での生活や退所した人の生活の問題、さらには今も根強く残る偏見や差別など多くの課題が残されました。
特に非常に大きな問題となっているのが、入所者のみなさんの高齢化です。平均年齢が80歳に達しようとしており、人数も13の療養所を合わせて約2300名です。そして毎年、1割ほどの方が亡くなっています。人が減れば医師や看護師、介護職員の数も減ります。人数の減少とともに医療、看護、介護の水準がどんどん低下しているのが現状です。この状況を打開し、療養所の将来構想を策定するための議論のなかから、療養所を地域に開放し、地域の人たちが療養所を利用できる形にするという提案が生まれました。しかし、そこで大きな妨げになったのが、1996年の「『らい』」予防法」の廃止と同時に制定された「『らい』予防法廃止法」でした。

社会復帰が難しい現状

「『らい』予防法廃止法」とは、予防法が廃止になり、隔離政策から開放政策へと転換された後も療養所にとどまらざるをえない回復者の方の生活を保障するというものです。長年の隔離政策や偏見・差別によって、社会生活の基盤がなく、家族をはじめとする人間関係が断絶された状態ではなかなか退所できません。実際、予防法廃止後に退所した人は全国で18名でした。そのため、廃止法によって入所者のみなさんの生活を保障することが必要だったのですが、逆に療養所を入所者のみの利用に限定したため、療養所内の医療施設や介護機能を地域の人だけでなく、退所された方も利用できないということになりました。また、地域社会との円滑な交流がなければ、療養所はいつまでも社会から隔絶された場所であり続けるという問題意識からも、新たな法律が必要だという議論が高まり、2007年7月から法律の制定を目指して署名活動が始まりました。約半年で93万人筆もの署名をいただき、2008年6月に国会のほぼ全会一致で「ハンセン病問題基本法」が成立しました。

国とともに地方公共団体にも責任が

基本法の趣旨、目的は「ハンセン病回復者等が、地域社会から孤立することなく、良好かつ平穏な生活を営むための基盤整備をおこなうこと」と、「ハンセン病回復者等に対する偏見と差別のない社会の実現」です。具体的な施策は法3条に掲げられた3つの理念を前提におこなわれます。1つは、ハンセン病問題に対する施策は、「隔離政策による被害の回復」としておこなわれることです。被害の回復とは、権利の回復でもあります。決して国が勝手にやったりやらなかったり、あるいはやってきたことを変えたりしてはならないということが謳われています。2つめは、入所者が地域社会から孤立することなく、安心して豊かな生活を営むことができるよう配慮する責務があるということです。「豊か」とは抽象的ですが、人間として生活できるだけの質を維持した生活を確保されなければならないということです。最後に、ハンセン病に罹患していた、あるいは罹患していることを理由にして差別などをしてはならないという、差別禁止条項が挙げられています。
さらに、3つめには、大きな特徴として、ハンセン病問題に対する施策をおこなう責任者として、国とともに地方公共団体も含まれているということが明確にされていることがあげられます。国が進めた隔離政策に、地方自治体も「無らい県運動」という形で加担してきた責任があります。加えて、回復者が社会から孤立しないためには、地方自治体の取り組みが不可欠ということです。

当事者の声に耳を傾けることから始まる

基本法では、当事者の意志が十分に尊重されなければならない、とされています。ハンセン病問題の施策が権利と被害の回復である以上、権利の主体である当事者の意志が反映されなければ、本当の意味での回復にはならないからです。
療養所については、「医療および介護に対して体制を整備するための必要な措置を国と地方公共団体が責任を負わなければならない」と定められました。さらに、退所された方や非入所者の方、そして、地域住民も療養所の施設や機能を利用できるようにもなりました。地方公共団体が医療機関を誘致することも可能となります。
さらには、退所者や非入所者のみなさんの社会生活に対する支援があります。療養所での治療はもちろん、療養所以外の医療機関においても安心して治療を受けられる体制づくりが国と地方公共団体の責任として定められました。また、相談および情報提供の必要性も明記されています。
ハンセン病資料館の設置や歴史的建造物の保存、啓発活動といった、偏見・差別の解消の取り組みに対しても国と地方公共団体の責務として定められたのも特徴的です。
この基本法の一番の精神は、ハンセン病回復者に限らず、すべての人に地域社会で平穏に生きる権利があるということです。当事者の方の声に十分に耳を傾け、何が被害であるのか、どんなことが当事者の方にとっては偏見・差別として受け取られるのかを知り、地域社会で平穏に生きるために具体的に何が必要なのかを地域で考えていくことが大切です。世界でも類を見ない非人道的な隔離政策がまかり通ってきた歴史を知ることも重要です。国や地方公共団体の責任はもちろんですが、私たち一人一人も問われているのだと思います。