人権を語る リレーエッセイ

福原 宏幸(ふくはら・ひろゆき)さん 第56回
貧困や労働の問題をあぶり出す地域就労支援


大阪市立大学大学院 経済学研究科教授

福原 宏幸(ふくはら・ひろゆき)さん

就職困難に陥っている人たちの背景に注目

今年度、私は大阪府内全市町村ならびに大阪府単独でおこなっている就労支援事業を利用されている方たちの現状を把握するためのアンケート調査を実施し、分析を進めているところです。今回の調査では、就職相談者の方がたがかかえる就職阻害要因をはじめ、職歴、健康、生活環境、社会的な関係などをお聞きしました。また、生育歴にも注目し15歳の時点での生活状況を尋ねたところ、「苦しかった」と回答された人が多くありました。母子家庭であったり、社会給付が十分受けられなかったため進学できなかったりといったことが、その後の困難をつくり出していく要因になっています。
就労支援の現場のお話を聞くと、障害認定を受けてはいないけれども福祉的な支援が必要だと思われる人や、通院はしていないが健康状態がすぐれない人が少なくないことがわかりました。そうした問題を抱えている人は、地域社会や友人といった人間関係や頼れる身内など「社会的な関係」がなく、孤立しているのも特徴です。就職と社会的な関係の有無とは無関係と思われがちですが、日常的に相談ができ、いざという時に支えてくれる人間関係がつくられているかどうかは、就職に限らず、元気に生きていくうえで大事な要素です。今回の調査ではこうした点まで踏み込み、就職困難の要因を明らかにしていきたいと考えています。

福祉から「尊厳ある雇用」へ

就職が困難な状況に陥っている人に対して、「自己責任だ」とする議論と、「社会的な要因によってさまざまな困難にからめとられている」とする議論があります。どちらが正しいかはなかなか断定できませんが、少なくとも90年代後半以降の日本政府の姿勢は、個人の自己責任を問う立場だと思います。
欧米でも貧困や格差は大きな問題となっていますが、とくに欧州では「社会的排除/包摂」という視点でこれを議論しています。困難な状況に陥っている人びとの支援の枠組みを考える時、国に施策を求めると同時に、社会の側で支える仕組みをいかにつくっていくかという視点も必要です。この議論は日本においても非常に重要であり、実際に社会福祉や就労支援の現場では、いくつかの新しいプログラムが始まっています。
2002年3月に厚生労働省は「母子家庭等自立支援対策大綱」を発表し、母子家庭の母親に対して就業支援も含めた総合的な自立支援策を実施することとしました。2005年4月からは生活保護受給者の自立支援プログラムが始まりました。いずれも「福祉から雇用へ」がテーマで、福祉に依存し続けるのではなく、「労働能力をもっている人は自分で稼ぎましょう」という政策を提示しました。しかし、働くといっても、まず自信の回復や社会適応能力の向上が必要です。また職業能力や資格がないと安定した収入は得ることができません。こうした政策は、決して十分ではありません。 その上、働くとは単に稼ぐことだけではありません。自己実現であるとともに、私たちは仕事を通じて社会の一員として承認される存在でもあります。そういう意味では「どんな仕事でもとにかく就職すればいい」というのではなく、ILO(国際労働機関)が提起しているDecent Work(ディーセント・ワーク、働きがいのある、人間らしい仕事)の視点も欠かせません。

地域就労支援事業の対象者

従来、貧困は、労働能力をもたない高齢者や障害者の問題とされてきましたが、近年は働く能力がある人の貧困が表面化してきました。
これを構成する第一のグループは、働いているが所得が生活保護水準以下かほぼ同じといった人びと、すなわちワーキング・プア(働く貧困者)と呼ばれる人たちです。このような人びとが増えている原因として、労働者派遣法などの規制緩和によって非正規雇用が急増したことが挙げられます。非正規雇用で働く若者は、長時間働いても十分な収入が得られず、しかも正規雇用への移行は厳しく不安定雇用を続けざるをえない状況にあります。第二のグループは、長期失業により雇用保険受給期間が満了して生活困難に陥っている失業者(失業貧困者)です。また、非正規雇用を続けてきた失業者は雇用保険を受給できない場合も多く、なにか資格を取ろうとしてしばらく離職(=失業)することさえままならないことも多くあります。
第三に、就労意欲を持つか就労の必要性を感じつつも、就労経験がないなどさまざまな就労阻害要因を持つ若者・女性・障害者など、潜在的失業者とみなされるグループがいます。彼ら・彼女らも貧困問題と背中合わせに暮らしています。
こうした人びとが地域就労支援事業の対象者であり、彼らは福祉の対象にもなかなかなれず、かといってハローワークなどの既存の就職紹介事業からも落ちこぼれてしまいがちな人びとです。

今こそ地域就労支援の全国展開を

国民生活審議会は2008年4月に『消費者・生活者を主役とした行政への転換に向けて(意見)』を発表し、「就職困難者について、厚生労働省において、よりきめ細かい実態把握を行うとともに、一人別のチーム支援体制について、就職困難者の属性に応じた支援チーム(労働・福祉分野の行政及びNPO等の民間団体で構成)を着実に整備する取組を進める必要がある」と提起しました。
2002年度から大阪府と府内各市町村が取り組んできた地域就労支援事業は、まさにこの指摘を先取りして実施してきた先駆的な事業です。しかもまた、同様の事業は、他府県の市町村へと広がりつつあります。地域就労支援事業は、福祉政策と雇用政策の狭間でいずれの政策からも漏れ落とされてしまった就職困難者に光を当てた非常に重要な施策であり、今こそ全国に広めていくべき事業であると認識しています。しかし残念なことに、大阪府では、財政的な議論のみが先行した結果、この先駆的な事業が廃止されることになりました。(2008年度より「総合相談事業交付金」の対象事業の1つとなり、実施するかどうかも含めて、事業の規模や内容については、各市町村の判断にゆだねられることになりました。)
この地域就労支援事業の対象となる人びとのかかえる問題は、若者のフリーターやニートの問題、非正規雇用の人びとの問題、母子家庭の母親や障害者、長期失業者の問題と重なり合っており、決して特別なものではありません。他方、これらの問題の解決には、対象者ごとに組み立てられた既存の政策にあわせて対応するのではなく、当事者の目線や考え方を大事にしながら、当事者とともに解決していくことが重要であり、地域就労支援事業は教育制度や福祉制度なども活用しながら、就労の実現をめざします。それは、社会との間で切れたさまざまな関係の紡ぎなおしの事業と言えるでしょう。


お詫びと訂正
このエッセイの、第3章「地域就労支援事業の対象者」の本文を、事務局のミスで違う人の文章で掲載しておりました。
福原宏幸様をはじめ、皆さまにご迷惑をおかけいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。
2008年10月7日に、原文通り訂正いたしました。