人権を語る リレーエッセイ

原田 恵子(はらだ・けいこ)さん 第29回
回復者の言葉や生き方が社会のありようを映し出す


原田 恵子(はらだ・けいこ)さん

ハンセン病回復者支援センター
生い立ちや体験を聞いておきたい

わたしとハンセン病問題との出会いは大学時代にさかのぼります。所属していた部落解放研究会の先輩が香川県の国立ハンセン病療養所・大島青松園に行くというので、ついて行ったのがきっかけです。
1970年代のことです。当時、ハンセン病問題は社会的に隠蔽されていました。わたし自身もハンセン病に関する予備知識は何もなく、療養所といっても高齢の方の施設というぐらいのイメージしかありませんでした。自治会のある役員の方が園内の案内や説明をしてくださいました。その方には後々までずいぶんお世話になりました。
帰ってからもなぜか気になり、それから夏休みや冬休みを利用して年に2回ほど足を運ぶようになります。わたしが特に気になったのは「断種」です。子どもをつくらせないために、園内で結婚が決まった男性に断種を義務づけたと聞いてショックを受けました。ハンセン病のことをもっと知りたいと強く思ったきっかけでもありました。
不思議なことに、社会問題として声高に告発しようという気持ちにはなりませんでした。それよりも「この人たちの生い立ちや体験を聞いておきたい」「社会から捨てられ、忘れられた人たちと関わりをもたせてもらいたい」という思いだったのです。

心づくしのもてなしから自分の偽善に気づく
手紙や年賀状のやりとりだけだった時期もあります。実は、自分の健康さを見せつけるようで、会いに行くのをためらう気持ちが芽生えていたのです。でもたまに「行きます」と連絡すると、不自由な足に長靴を履き、船が着く時間には桟橋まで出て来て待ってくれています。心づくしのお茶やお菓子も用意されていて、2、3時間ほどいろいろ話したりお茶を飲んだりします。最終の4時過ぎの船に乗る時にはまた一緒に桟橋まで来て、船が豆粒ぐらいになるまで見送ってくれました。うれしいけれど切ない、何ともいえない気持ちでした。「自分の姿勢として、誰に対しても同じことをしている」と聞き、ようやく健康な自分を後ろめたく思う自分の偽善に気づきました。それから自然体で交流できるようになったのです。
出版社で編集の仕事を始めた頃、ハンセン病の問題をきちんとした本にしたいと思うようになりました。「らい予防法」などが社会的に問題になり始めた頃です。療養所に出向いて相談すると「ハンセン病の本など誰も買わんぞ」「隠れて生きてきた自分たちが今さら世に出されることにとまどいを感じる」と言われました。わたしは「ハンセン病問題を社会問題として世に提示していくのが編集者である自分の役回りだと思っています。まずは入門編で多くの人に伝えたい」と協力をお願いしました。
当事者の視点に立って
執筆は当事者と療養所の所長(医師)と歴史の研究者にお願いしました。本をつくるにあたって一番心がけたのは、徹底的に当事者の側に立つことです。差別され、社会の片隅に追いやられた人たちの視点から絶対に外れてはいけないと思いました。「国は園(病院)で子どもは育てられないとか子どもに感染するとか、いろいろ理由をつけたけれど、本当のところは患者をこの国から撲滅しようという意図があって断種・堕胎をおこなったと自分は考えている」と言われました。何よりそれを口にした本人が一番つらかっただろうと思います。ほかにも私たちの知らなかったことをたくさん教えてもらいました。本を届けると、「これで社会のみなさんにわかってもらえたらいいなあ」と言ってくれました。
その後、全国の療養所を約2年かけてカメラマンの太田順一さんと回り、写真集をつくりましたが、当初は入所者の生活風景を撮影することに、私自身とまどいや不安がありました。しかし、そこでの歴史や日常生活の様子を知ってもらいたかったのです。それがハンセン病問題を本当に理解することにつながると思いました。
当事者に自衛策をとらせる社会はおかしい
写真集の撮影をしている間に国家賠償を求める裁判が起こされました。当事者自らが立ち上がる姿に私は心から拍手を送りました。ただ、原告になるかどうかで当事者の人たちが分かれたことには胸が痛みました。「貴重な税金で食べさせてもらっている自分たちが、お国に盾つくようなことはできん」「療養所がなかったら野垂れ死にするしかなかった。感謝している」という人が少なくなかったのです。「ありがたい」という言葉が出てくることに、逆に被害の深さを感じました。
今、わたしは大阪府総合福祉協会内のハンセン病回復者支援センターで、療養所入所者社会復帰された方々のサポート活動をしています。社会では、国が過ちを認めて賠償金を支払ったことからハンセン病問題は終わったと思われているかもしれません。けれども家族のもとへ帰った人はほとんどおらず、社会復帰した人も息をひそめるように暮らしているのが現状です。十分とはいえないまでも医療や福祉が保障されている療養所と違い、介護サービスを受けるにも情報収集から始めなくてはなりません。何十年ものブランクがあり、家族や友人などの人間関係がない人にとっては大変なことです。特に困るのが医療です。ハンセン病の回復者だと知られることを恐れて、風邪をひいても病院にかかることをあきらめてしまうのです。ハンセン病の既往歴が知られないよう、大変なエネルギーを使って自衛策をとる。私たちの社会はまだそこまでさせていることを、私たち自身が自覚しなければなりません。
一方で、大阪ではハンセン病問題について学習した市民のみなさんが、回復者の社会復帰や里帰りなどを支援するサポーターズ「虹の会おおさか」を結成しました。阪神タイガースの優勝記念パレードに回復者のみなさんを招待した際にも介添えを買って出てくださいました。ひとりの人間として、家庭や地域、職場などでハンセン病問題と向き合っていこうという人たちが少しずつ増えてきたことの表れだと感じています。
医療、生活、家族、仕事、結婚・・・ハンセン病問題には社会におけるさまざまな問題が凝縮されています。日々、私たちが直面している問題です。決してハンセン病問題は終わっていません。ハンセン病問題から学ぶこと、教訓を生かしていくことがこれからの社会をよりよく変えていくことにつながるのです。