人権を語る リレーエッセイ

石元 清英(いしもと きよひで)さん 第18回
性(ジェンダー)の視点から検証する社会の差別構造


関西大学社会学部教授
石元 清英(いしもと きよひで)さん
自分の立場に無自覚な「絶対的強者」
わたしの専門は部落問題ですが、80年代からはジェンダーや性に関するテーマで講義や講演をすることも多くなりました。「性」という視点で物事を見ると、実にさまざまなことが見えてきます。
わたしは学生から大学内でのセクシュアル・ハラスメントの相談を受けることも多くあります。相談を通じて見えてくるのは、学生が教員を「単位の認定権をもつ絶対的な存在」として認識している一方で、自分の絶対的な立場に対してあまりにも無自覚な教員の姿です。ですから特定の女子学生に対してアルバイトを頼むといったことが起きた場合でも、「断れない状況で“頼む”」という構図になっていることさえ気づきません。恋人やセックス経験の有無を平気で訊くといったこともあります。学生は不快な思いをしながら、結局は個人的な不運だとあきらめ、我慢せざるを得ません。このような状況が長く続いてきたわけです。セクシュアル・ハラスメントは権力関係のもとで生じるといいます。そういう意味では、大学は典型的なセクシュアル・ハラスメントが起こりやすい場所だといえます。
女性を「下に見る」意識
なぜ、セクシュアル・ハラスメントが起こるのでしょうか。多くの男性のなかに「女性を下に見る」意識があるのでしょう。実際、女性と議論して論破された際に感情的に反論する男性は少なくありません。「女性には負けたくない」という気持ちが強いのです。セクシュアル・ハラスメントの研修でも、講師が女性だとはなから話を聞こうとしない男性が多いらしく、「男性が話すと聞くんですよ」ということでわたしが呼ばれたりします。
セクシュアル・ハラスメントは性差別であり、人権侵害であるという問題に加え、「相手の立場になって物事を考えられるか」という想像力の問題ともいえますが、そこには「気づき」が必要です。ところが、自分の思い込みや偏見に気づいたとしても、ある程度の年齢以上の男性はプライドもあって、なかなか自分が「変わる」ということができない部分があります。その点、若い学生は柔軟で、わたしの講義について彼女と議論することでお互いへの理解が深まり、とても仲がよくなったと話してくれる学生もいます。
本当に尊重しあっている関係であれば、相手の人格を傷つけるようなことはしないはずです。
犯罪の防止は最大の福祉
意識の高い男性は、増えてはいてもまだまだ少数派ではないでしょうか。でも、家事や育児を分担する時間にしても、全体的にはそれほど増えていませんが、家事・育児をごくあたりまえのこととしてやる男性の数は少数ではあるものの、着実に増えてきているという感じがします。
一人ひとりの男性に意識改革を働きかけていくのも重要ですが、社会的な仕組みを見直し、変えていくことも大切だと考えています。たとえば犯罪被害者の男女比率をみると、女性が被害者になる率のほうが高いのです。内容も、男性が被害者である場合、恨みや金銭のトラブルが絡んでいることが多いのに対して、女性では「理由なく殺される」ケースが多いのが特徴です。たまたま歩いていて被害に遭ったというように、巻き込まれてしまうのです。子どもの犯罪被害も女の子のほうが多いのです。
わたしは犯罪の防止は最大の福祉だと考えています。「いつ」「誰が」犯罪被害者になるかわからない犯罪を減らすことは、安心して暮らせる社会を実現するための福祉政策だと言えます。ところが日本の政策では犯罪防止を政策として明確に打ち出していないのが現状です。精神医学、心理学、経済学、社会学、法律学……さまざまな分野の専門家が集まり、さまざまな視点から犯罪を研究することを国として取り組むべき時代だと思うのです。
血縁幻想からの解放を
今、大学ではセクシュアリティを軸に女性問題を取り上げています。最近取り上げたテーマは不妊治療や出生前診断です。技術の進歩がめざましい一方で優生思想や障害者差別への不安の声もある重要なテーマですが、多くの学生はほとんど情報をもっていません。情報を提供しながら、女性問題という切り口で考えていきます。というのも、最終的には女性が責めを負わされるからです。不妊の原因が男性にあっても“治療”を受けるのは女性であり、「子どもはまだ?」の言葉に悩むのも女性です。出生前診断の場合は望んだ妊娠であっても「染色体異常の可能性がある」と言われ、自己決定の名のもとに中絶を選ばざるを得ない状況に追い込まれます。議論のないまま技術だけがどんどん進み、当事者の女性がつらい思いを引き受けさせられています。
こうした背景には、血のつながりにこだわる「血縁幻想」があります。不妊に悩む芸能人が「夫のDNAを残したい」と発言したこともありました。DNA鑑定やヒトゲノムといった情報が多くなるにつれ、遺伝子への幻想が強くなっているように感じます。多様な家族のあり方や血縁にしばられない親子関係を認め合える社会であることも、女性問題解決の糸口ではないでしょうか。