人権を語る リレーエッセイ

神原 文子(かんばら ふみこ)さん 第17回
今こそ多様な生き方を尊重し、サポートする社会づくりを


神戸学院大学人文学部教授
神原 文子(かんばら ふみこ)さん
個性を制約する「家族」への疑問
わたしは「生活者の視点」にこだわりながら、「生活者にとっての家族」を研究テーマとしてきました。「生活者の視点」とは、何も特別なものではありません。人並みに食べて、温かい布団で眠り、他人から危害を加えられることなく生きたいという欲求をもつのは、だれにとってもごく当たり前のことです。そのために働くし、周囲の人とコミュニケーションをとります。これらの営みが、まさに生活そのものであり、誰もが生活者なのです。それでは一人ひとりの生活者にとって家族とは何でしょう。
家族には「温かい」「絆」といった“いいイメージ”がありますが、現実には家族の間でさまざまな人権侵害が起きています。DV(ドメスティック・バイオレンス)や子どもへの虐待は珍しい話ではありません。家族社会学者として出会い関わってきた母子寮の母親たちや児童自立支援施設の子どもたちの多くがが、つらい家族体験を背負っていました。温かいはずの家族が、実は一人ひとりの「自分らしい生き方」を制約している、あるいはだれかを犠牲にして維持されている場合が少なくありません。
「家族を選びとっていく」という視点を
ところが何かにつけて「家族を守りましょう」「家族のために我慢しなさい」と言われるのが日本の社会です。誰かの我慢によって守られる「家族」とは何でしょうか。自分と家族とが合わなければ家族のほうを変えればいいし、時には家族から飛び出してもいい。家族の「形」を守ることより、一人ひとりの「個」が生かされることが大切なのではないかと強く思います。
もちろん、それはそれぞれが自分勝手をすればいいという意味ではありません。誰もが自分らしく生きることを尊重しあいましょうということです。少子化で困るというなら、結婚という形にこだわらず、産みたい人が産み、育てたい人が育てるという環境を“本気で”整えてみてはどうでしょう。虐待されている子どもに、虐待する親を拒否して新しい保護者を選び直す権利を認めてほしいと思います。血縁だけでなく、「自分が家族を選びとる」という視点を入れたいのです。年齢や経験とともに生き方も変わりますから、家族の発展的解消ということもあるでしょう。家族とは、あくまで一人ひとりの「個」を輝かせるものであってこそ意味があるとわたしは考えます。
なぜ、差別は起こるのか
わたしの研究のベースには「差別、許せん」という思いがあります。その原点は、自分が女であるということ。ふたりの弟に比べ、わたしばかりが家の手伝いをさせられたり、両親から「女のくせに生意気だ」と言われたりしました。大学へ行きたいと言うと、父親に「女が学問なんかすると鼻っ柱が強くなって嫁のもらい手がなくなる」と大反対されました。女であるというだけで、親と闘わなければならなかったのです。小学校高学年の頃から、教師や医師といった男女差別のない仕事に就きたいと強く思っていました。
貧しさへの差別も感じ取っていました。学歴のない父親は、朝早くから長靴をはいて働いていました。そういう親や貧しさに対して、差別的な目を向ける人がいたのです。「貧しさや差別から抜け出したい」、「女だからと押さえつけようとする親からも自由になりたい」。そう思い、中学高校は、“良い成績をとるために”必死で勉強しました。
大学で社会学を専攻し、部落問題を学ぶなかで、「なぜ差別が起こるのか」という疑問がわきました。卒論のタイトルは「差別に関する社会学的一考察」。差別とは何かを問いたかったのです。考えた末にわかったのは、「差別とは、ある標識で線引きし、相手に、不利益・制限・排除・貶めといった損害を与えて、自分がなんらかの利益を得る行為である」ということ、そして「差別とは、差別する側の問題なのだ」ということです。問題を抱えているのは差別される人ではなく、差別する人なのです。そしてあらゆる差別行為の背景には、差別を容認する社会が存在することも知りました。こうした問題意識や気づきが今の研究につながっています。
若い世代が希望をもてる社会に
大学卒業後は公務員になったものの、結婚してから大学院に入り、研究者の道へ。なんとか安定した仕事をと、幼いふたりの子どもを置いて単身赴任もしました。夫との関係がぎくしゃくし始め、いよいよ離婚かなと思った矢先に夫の胃がんがわかり、2年間の闘病の末に亡くなりました。今度は母子家庭の母親として、仕事と子育てに必死でした。幸い、舅や保育所・小学校の先生、少年野球チームの監督やコーチ、子どもたちの友達のお父さんお母さんなど多くの人に助けられながら、子どもたちは育ってきました。
最近は「自己責任」が盛んに言われ、何でも個人の責任にする風潮があります。母子家庭への福祉施策に関しては、2003年から児童扶養手当を削減し、自立支援に重点を置くことが決まりました。けれども母子家庭の母親の多くはすでに仕事をもっています。精一杯働いても雇用が不安定で経済的自立ができないということに苦しんでいるのです。「自分の好き勝手で離婚したのだから苦しくてもしょうがない」という非難の声も聞こえてきますが、苦しくても自分らしく生きる道を選び、懸命に子どもを育てる人をサポートしようという、社会全体の“思いやり”姿勢を期待したいと思います。また、母親への支援と同時に子どもへの支援も大切です。たとえば子どもにその意思があれば、高校や大学への進学を国が保障するということも必要なのではないでしょうか。
どんな境遇の子どもも差別されず、「努力すれば報われる」「失敗してもやり直しがきく」「やり直しを応援する」。そんな、若い世代が希望をもてる社会でありたいと思います。