人権を語る リレーエッセイ

宮本 由起代(みやもと ゆきよ)さん 第15回
フェミニストカウンセリングを通じて見えてくるもの


大阪心のサポートセンター代表
宮本 由起代(みやもと ゆきよ)さん
説明できない「しんどさ」にとらわれて
「カウンセラーになるにはどうすればいいのですか?」とよく訊かれるのですが、実はわたしはもともとカウンセラーを目指して勉強したわけではありません。自分や周囲の女性たちに共通した悩みやしんどさを見つけ、「なぜだろう」と考えたり「わたしはこうしたい」と行動した結果が今のわたしなのです。
最初は、自分自身の「しんどさ」でした。20代半ば、転職を考えていた時に結婚、すぐに妊娠。思いがけず専業主婦という立場になり、それまで知らなかった現実に直面したのです。まず、個人の名前が通用しない。「宮本由起代です」と名乗っても「誰?」という反応で、「宮本の妻です」と言って初めて認知されるのです。子どもを産めば「誰々のおかあさん」でしか通らない。自分を役割でしか見てもらえない気持ち悪さを感じました。
「自分のことは自分でする」ということを基本にして生きてきたわたしにとっては、収入がないのもしんどさのひとつでした。夫は自分が稼いできたお金を「好きなように遣ってくれ」とは言ってくれますが、わたしはやっぱり「夫のお金」を思うようには遣えない。しんどい気持ちを夫に投げかけてみても、わたし自身にもわからない原因を夫が理解できるわけもなく、夫婦の間にはさまざまな葛藤が生じました。
フェミニズムと出会って見えてきた「女性問題」
しんどさの理由はフェミニズムに出会ってわかりました。同じような思いを抱えた女性たちと語り合い、学ぶうちに、「どこの国の女性であれ、自分を抑圧して生きれば、自分が今味わっているような感覚に陥る」ということを知ったのです。それまで「しんどさ」から抜け出すためには何をすればいいのだろうと悩んでいたのですが、たとえば夫との間に生まれた葛藤こそが女性問題であり、わたしのやってきたことはフェミニズムの運動そのものだったのです。
自分の問題が整理されるにつれ、今度は仲間から相談を受けることが多くなりました。自分が歩いてきた道ですから、アドバイスはできます。けれど環境は人それぞれ違いますから、なかなか役に立てない。「どうすれば自分らしく生きたいと思っている人の役に立てるか」と考えた時に、「カウンセリングを学ぶ」という発想が生まれたのです。
「女らしさ」の呪縛はまだ解けていない
女性学を研究しながらカウンセリングを学び、1987年に仲間と「こころの相談室マインド」を開設、関西初の常設のフェミニストカウンセリングを始めました。以来17年間、活動の形は変えながらもカウンセリングを行っています。この間、大きく変わったことといえば、DV(ドメスティック・バイオレンス)が社会問題として認知されたことです。性暴力についても、「性暴力を受けた」ということが少しずつ言いやすくなってきました。これは「性暴力を受けたことは恥ずかしいことではない。性暴力を振るうほうが悪いのだ」という意識が女性にも社会にも浸透してきた表れだと思います。
一方、「“女らしさ”が女性を幸せにする」という発想はあまり変わっていないと感じています。それは10代でも同じです。単なるボーイフレンドとは自分の意見もハッキリ言える対等な関係を築いていても、親密な関係になるととたんに女性は「何もできない、“かわいい”女の子」を演じるし、男性は「守ってやるから自分の言うことをきけ」と言う。セックスも、自分の意思ではなく、相手をつなぎとめるための手段になっていることが多いのです。カウンセリングに来る若い女性や学生の話を聞いていると、40代50代の女性の話を聞いているのかと思うような内容が珍しくありません。
フェミニストカウンセリングは「枠組み崩し」
若い女性たちがフェミニズムから遠ざかり、従来の男女関係に甘んじてしまっているのは、フェミニズムを実践してきた女性たちが大変そうに見えたこともあるでしょう。職場でも家庭でも「男性と対等に」と女性が求めれば、男性や社会との間に葛藤が生まれます。それでも立ち向かってゆく母親や先輩の姿を見て、「あんなにしんどいこと、わたしは嫌だ」と感じるのも無理はありません。
一方、社会の側はまるで女性の問題はもう解決したかのように「男女共同参画社会」を前面に打ち出しています。もともとは女性の問題をみんなで考えていこうという意味での「男女共同参画」なのに、いつの間にか「女性の問題は解決したから、今度は男女仲よくやっていきましょう」ということになっているのです。
こうして考えてみると、今は「自分らしく生きたい」という女性にとっては少し厳しい時代かもしれません。ただ、わたし自身は悲観してはいません。「国連女性の10年(1976~1985)」を通じて社会が一度は女性が抱える問題を認識し、変わったのは事実。一時的な反動はあっても逆行することはないでしょう。種は蒔かれているのです。あとはいつ芽が出て育つかという時期の問題です。
フェミニストカウンセリングの役割とは、「こうあるべし」という枠組みをジェンダーの視点で崩していく「枠組み崩し」です。最近は同性愛や性同一性障害の悩みを抱えた人がカウンセリングを受けるケースも増えており、ますます「枠組み崩し」の必要性を感じています。