人権を語る リレーエッセイ

森田 ゆり(もりた ゆり)さん 第14回
虐待防止は「エンパワメント」から始まる


エンパワメント・センター主宰
森田 ゆり(もりた ゆり)さん
(エンパワメントセンターのホームページはこちら)

「エンパワメント」の本来の意味
「エンパワメント」という言葉を見聞きしたことのある人は多いと思います。わたしは1980年にアメリカで子ども虐待の問題に関わるなかでこの言葉と出会い、以来25年ずっと、エンパワメントの考え方を広める役割を果たしてきました。エンパワメントの概念は、1960年代の北米で、少数民族や女性、障害者など人権を十分に認められてこなかった人たちの社会運動のなかから生まれました。「人は生まれながらにしてさまざまな力をもっている。しかし、親を含め“社会”から抑圧や暴力や差別を受け、本来もっている力を傷つけられ、あるいは力があることに気づけないまま生きてきてしまうことがある。そうした失われた状態の力を取り戻し、発揮していくための関わり方」をエンパワメントと呼びます。
ところが日本では、エンパワメントを「人が力をつける」「マイノリティや女性がもっと力をつけて社会に進出していく」などとされることが多い。これは間違いです。「力をつける」というと、「もっとがんばって、もっと勉強して、もっと資格を取って」というように、「外から力をつけていく」ことだととらえられがちです。けれども本来のエンパワメントの考え方では、時には「力をつける」というとらえ方とまったく相対することもあります。「そんなにがんばって外から力をつけようとしなくてもいいんじゃない。それよりもむしろ自分自身のなかにどんな力があるのかということに目を向けていきましょうよ」ということなのです。
自分が知っている「自分」は氷山の一角でしかない
子どもを虐待する親のための支援プログラム「MY TREE(マイ・ツリー)ペアレンツ・プログラム」は、エンパワメントの考え方に基づいて開発しました。プログラムをスタートする前に「このプログラムはあなたに“いい親”になってもらうためではなく、自分のなかにある知恵や持続力、自己治癒力に気づいていってもらうためのプログラムですよ」と話します。そして同じように幼い子どもたちも力をもっていることも。
氷山をイメージしてみてください。ご存知のように、氷山の大部分は水面下にあります。わたしたちが見ている氷山は海面から出ているほんの一部分でしかないのです。それと同じで、わたしたちは自分自身のことを誰よりも知っているつもりでいますが、実は知らない部分がとても大きいのです。自分の子どもについても同じです。親である自分が一番よく知っていると思いがちですが、知っているのは表面に出ている部分だけであり、親も子ども自身も知らない部分がたくさんあります。「MY TREE(マイ・ツリー)ペアレンツ・プログラム」では、水面下にある親や子どもの力に気づいていきます。
虐待をやめるために必要なこととは
「MY TREE(マイ・ツリー)ペアレンツ・プログラム」の目的は、「セルフケアができる」「問題解決力を身につける」のふたつです。セルフケアとは、もっとも簡単な言い方をしてしまえば「日常生活をエンジョイできる」ということです。今日という日をすべて楽しむというのは誰にとっても難しいことですが、少なくとも「楽しいことがあったな、いい時間があったな」と思えること。問題解決力とは、対立を乗り越えるためのスキル(技術)です。子どもを虐待している親の多くは、夫や親、近所の人などとの対立の影響のなかで子どもに対して暴力をふるっています。ですから、さまざまな対立関係をうまく乗り切れるようになることが大切なのです。意見が違ったり感情的な確執があったりした時に、暴力以外の方法で乗り越えましょうということです。このふたつの目的が達成されれば、「虐待をしない」という一番の目標は達成されます。
参加者の中には、行政機関で「そんなやり方じゃダメですよ」という“指導”を受け、傷ついている人もいます。虐待がダメだということはわかっているけど、どうしようもなくて苦しんでいるのです。そこへ“お説教”を聞かされれば、「自分はなんてダメなんだろう、くだらない人間なんだろう」と自尊感情は低下する一方です。効果がないばかりか、虐待を深刻化させてしまいます。もちろん行政機関の人は傷つけるつもりはないでしょうが、残念なことにこうしたケースはよく見られます。
当事者の「役に立つ」情報を
子どもを虐待している親のなかには、過去に自分自身が虐待を受けたという人が少なくありません。トラウマを抱えた人にはプログラムと併行してカウンセリングや治療を受けてもらうこともあります。ただ、これを「虐待の世代連鎖」と単純化してしまうのはとても問題です。
虐待している親たちの過去を聞いていくと、自身も親から虐待されたという人が多いのは事実です。けれども子ども時代に虐待を受けた人がおとなになると虐待者になるかといえば、そうではないのです。現在、国際的な学会では信頼できる調査結果に基づき、「虐待を受けた人が自分の子どもを虐待する割合は約3割と認識されています。それなのに、日本の虐待問題に関わる専門家は安易に「虐待は連鎖する」とだけ発言し、それがマスコミを通じて広く浸透するようになりました。
過去に虐待を受け、トラウマを抱えながら生きている人たちの中には「いつか自分も虐待するのでは」という不安に怯える人もいます。「虐待してしまうのが怖いから、結婚しない、子どもも産まない」という人もいます。専門家もマスコミも苦しんでいる人の不安を煽り、さらに苦しめるのではなく、苦しんでいる人の「役に立つ」ことをしてほしいというのがわたしの願いです。
虐待問題は倫理や道徳によって解決することはありません。虐待行動の背後にある感情こそがこの問題の糸口です。虐待をしている人は、表面的な怒りの感情の背後にあるほんとうの感情を見つめていく必要があります。そして虐待を受けた子どもは、虐待がもたらした感情=気持ちを誰か信頼するおとなにしっかりと受けとめてもらい、聴いてもらわなければなりません。