人権を語る リレーエッセイ

菰渕さん 第8回
21世紀を「戦争と憎悪の時代」にしないために



(財)石神紀念医学研究所 精神保健福祉事業部代表
精神科ソーシャルワーカー

石神 文子(いしがみ ふみこ)さん

 

繰り返される差別発言、人権侵害

1961年(昭和36年)、大阪府の職員として、公衆衛生研究所精神衛生部児童課に配属されたのが精神保健福祉との出会いでした。精神科ソーシャルワーカーという職種についたものの、精神病に関することなどまったく知りませんでした。また、当時の社会には「精神保健福祉」という領域すら存在しなかったのです。ただ、大阪府には先進的な考えをもった人が何人かいて、精力的に取り組んでおられました。私はそうした方々のもとで5年間のトレーニングを受け、専門家として歩んでいくうえで非常に恵まれたスタートを切ることができました。最近、日本でもようやく精神保健福祉士という国家資格がつくられましたが、資格をもっていることと現場で役に立つかどうかは別問題。本来は医師と同じく、資格をとった後にみっちりと研修をすべきなのですが、現在はそうしたシステムがありません。これは資格をとった人と当事者の双方にとって、今後の課題だと思います。

 

差別や暴力はより弱い立場に向けられる

当事者といかに信頼関係に基づいたコミュニケーションをとるかというソーシャルワークの世界において、「コミュニティワーク」は精神保健福祉とい分野の大きなテーマなのですが、日本ではまだまだ未熟だと言わざるを得ません。というのも、精神保健、心理、医療、福祉のどの分野においても、当事者からの相談や要請を「待つ」姿勢なのです。待っているだけでは、本当に支援の必要な人とつながることはできません。  私は長年、保健所に勤務しました。そこで一番学んだことは、公衆衛生の原点ともいえる、保健婦(現・保健師)さんたちの仕事ぶりでした。
新米の頃、保健婦さんの後をついて行くと、「こんにちはー」と言いながらどんどん家の中へ入っていくのに驚きました。かばんの中には血圧計や聴診器、散髪用のハサミや耳かきといった「七つ道具」が入っています。保健婦さんのかばんを見ると、みんながホッと安心した表情になるんですね。何も持っていない私は、とてもうらやましかったものです。役に立つからこそ受け入れられ信頼されるということを、保健婦さんの背中を追いながら覚えました。

 

外国人を管理する対象とみなす日本

大阪府に35年勤務した後、京都市がバックアップする授産施設の施設長を4年務めました。その間、京都も含めて11の施設に関わりました。予算がついたうえでの話ばかりではありません。「あなたのためにやるわ!」という心意気だけでスタートし、数ヶ月は家族たちと必死でやりくりしながら運営し、やっとの思いで予算をつけてもらったという綱渡りも何度か経験しました。
施設をつくることに対して、地域から反対の声が挙がることも珍しくありません。けれども周りの理解と協力がなければ、施設の運営はとてもやりにくいものになります。「施設の外を(危険な)障害者がひとりで歩き回っている」と通報されることすらあります。そこで大切なのは、隠さないこと。隠しておいて「偏見をもたないで」と言うのは無理な話です。そこで私は、内部の意識改革をしようと考えました。行く先々で家族会をつくり、学習会を開いて学びました。情緒的に訴えるだけでは理解を得られないからです。地域の方たちとの話し合いでは当事者が自ら施設の必要性を語り、家族たちは1軒1軒を挨拶して回りました。障害のことや、親子が先の見通しの立たない生活をしているという苦しみを知ってもらう努力をすることによって、反対していた地域の人たちも変わります。私たち行政のスタッフは、内部で指導員さんたちの訓練や医療機関とのネットワークづくりなどをして後押ししました。

 

「意識」が「制度」を支え、「制度」が「意識」をつくる

こうして微力ながら、地域での生活支援や意識改革に取り組んできたという自負があったのですが、それも「けしつぶ」のような存在なのだと思い知らされる出来事がありました。最近、厚生労働省が精神障害者のニーズ調査を行ったのですが、結果を見ると、なんと20年ほど前の調査とほとんど変わらないことがわかったのです。対象のひとつである「外来患者」の場合、平均年齢が46歳で、7割以上が家族と同居。年齢からいって、「家族」とはおおむね年老いた親で、しかもひとり親であろうことはじゅうぶん想像できます。そして「一番不安なこと」として、病気の再発と悪化を挙げています。また、8割近くの人は仕事がなく、昼間は外に出ているという人が4割しかいません。うち2割は病院のデイケアで、あとは図書館や喫茶店、パチンコなど。これは、福祉がまだまだ当事者や家族から信頼されていないという証でもあります。当事者が自立できる仕組みづくりに取り組んできた私にとって、本当に情けない結果です。ところがさらに驚くことに、「親との同居」について9割以上の医師が「現状のままでいい」と答えています。日本の精神障害者を圧倒的に抱えてくれている医師たちが、「今の暮らし方でいい」と考えていることが、あるいは考えざるを得ないのが、くやしくてなりません。このように「社会」と離れた生活をさせてしまうことが、多くの人たちに、精神障害者は精神病院の中だけで生きているような誤解をあたえ、地域の仲間として受け入れる必要性を感じられなくさせてしまっているのではないでしょうか。
イギリスやアメリカなど、20歳を過ぎたらすべての障害者の面倒をみるという社会が実際にあります。日本でも医療と生活を分け、生活支援を社会政策として整えていく必要があります。最近は国レベルの検討会にも当事者が入って発言するようになりました。大きな波ではありませんが、ザワザワとした波が確実に広がっていることを信じて、私はこれからも地域から波を起こしていきます。