人権を語る リレーエッセイ

菰渕さん 第7回
21世紀を「戦争と憎悪の時代」にしないために



弁護士
丹羽 雅雄(にわ まさお) さん

 

繰り返される差別発言、人権侵害

私はかねてより、国家が侵略などによって対外的に膨張する場合、対象となる国の人たちに対して差別・排外的になったり、徹底的に同化させるなどという動きをとると考えてきました。かつての日本もそうでしたし、ドイツなど他の国々も同様でした。そうした視点で見ると、今日の日本の国家と社会の動きは非常に危険だと思います。
人間は歴史のなかで多くの過ちを犯してきましたが、21世紀こそは過ちを教訓に人権尊重の社会をつくらねばならないという思いをこめて、「21世紀は、人権の世紀である」と私は表現しています。ところが現実には、首都をはじめとする自治体の首長が外国人を犯罪者扱いする発言を繰り返しています。最近では法務省入国管理局が、不法滞在と“思われる”外国人の個人情報の提供をホームページで呼びかけました。公権力が監視社会、密告社会をつくろうとしているのです。
こうした動きは、民間にも反映します。小樽のある公衆浴場が「日本人専門店」と看板を掲げて外国人客を拒否したり、浜松の宝石店が日系ブラジル人女性の入店を拒否したうえ警察に通報したりという事件が起きています。このふたつについては裁判となり、いずれも人種差別撤廃条約に違反するということで、経営者に賠償が命じられました。

 

差別や暴力はより弱い立場に向けられる

差別や排外的な動きは、より弱い立場の人に向けられます。2002年9月17日に日朝首脳会談が開催されましたが、その際にピョンヤン宣言発表され、また会議のなかで、北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国によって日本人の拉致が行なわれていたことが公式に認められました。そして、この拉致問題は日本社会に大きな衝撃を与えました。ところが、拉致問題を理由に、日本で暮らすチマ・チョゴリを着た女子学生に対する暴行や脅迫、嫌がらせが相次ぎました。「日本から出て行け」「植民地時代に皆殺しにしておけばよかった」といった言葉を投げつけたり、カッターでチョゴリを切るといった事件が、弁護士会が確認しているだけでも400件以上起きているのです。
これは、チマ・チョゴリが象徴している「民族」、「子ども」そして「女性」という、3つのマイノリティ(民族的あるいは社会的少数者・弱者)の立場を併せもつ人に対する複合差別といえるでしょう。こうした弱い立場にある人に対する集中的な差別や攻撃が草の根的に拡大しています。一方で、戦争を否定している憲法9条があるにもかかわらず、「戦争ができる国家」への再編が進められています。
なぜ、こんな流れになってしまっているのでしょうか。私は、先の戦争と植民地支配に対して、日本社会全体が真摯な歴史的総括をしてこなかったことに原因があると考えています。

 

外国人を管理する対象とみなす日本

象徴的なのが、旧植民地出身の在日コリアンの人々に対する処遇です。戦争中は「天皇の赤子」として強制的に朝鮮籍を取り上げ、日本国籍を押しつけていました。ところが敗戦し、1952年のサンフランシスコ講和条約によって主権を回復する直前に、通達によって全員を「外国人」とし、日本国籍を喪失させたのです。同時に、外国人登録法によって、管理の対象としました。つまり、植民地支配によってさまざまな被害を与えた、本来もっとも謝罪し、補償し、責任を果たさなくてはならない人たちに対し、日本は一方的に国籍を取り上げ、指紋押捺や外国人登録証常時携帯などを義務づけるなどの管理をおこない、参政権の停止をはじめ社会福祉などの人権保障や立法、そして行政過程からも排除してきたのです。
今もなお、日本における外国人に関する法律制度は「出入国管理及び難民認定法(入管法)」と「外国人登録法」という「管理法」のふたつしかありません。そして80年代以降に来日したニューカマーに対しても、これらの法律をもって対応してきました。

 

「意識」が「制度」を支え、「制度」が「意識」をつくる

しかし、国際人権規約や女性差別撤廃条約、人種差別撤廃条約といった12もの国際人権条約を批准したり署名したりしている日本が、国内で暮らす外国人を「市民」として扱わないことが国際的に認められるわけがありません。そこで私は同じ問題意識をもつNGOなどと連帯し、数々の人権課題を国に対して働きかけています。
まずは、在日外国人の人権に関する基本法をつくることです。男女共同参画社会基本法、障害者基本法、高齢社会基本法…とさまざまな基本法がありますが、外国人に関する基本法だけが未だありません。外国人も人権の主体であり差別してはいけないという、基本的な法律をつくる必要があります。そのうえで、差別を規制し救済するための個別的な差別禁止法へつなげていく。さらに、簡易かつ迅速に人権侵害の被害から救済される、政府から独立した人権機関が中央にも地方にも必要でしょう。
こうした法律や制度を日本人だけでなく、外国人と一緒につくらなくてはなりません。共につくる過程でお互いの文化の違いを知り、尊重しあうことを学べるからです。「意識」と「制度」は絡み合っています。「意識」が「制度」を支え、「制度」が「意識」をつくり出す。そういう意味では、私たち多数者の「意識」が今日の日本の外国人法制を支えてきたと言えるでしょう。これからは、同じ地域に住む市民・住民として認め合える「意識」と「制度」をつくっていかなくてはなりません。

 

社会の状況をマイノリティが映し出す

1970年前後に学生時代を過ごした私は、学生運動を通じてさまざまな政治・社会問題と関わりました。挫折も経験しました。その結果、人権擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士を仕事に選んで20年が過ぎました。人権問題にもちろん優劣はありませんが、私が特に民族的少数者である外国人問題にこだわって活動するのには理由があります。人権問題はまず、社会のなかでもっとも弱いところにさまざまな侵害となって現れます。つまりマイノリティの人権のありようが、その社会の状況を映し出すのです。特に外国人の人権問題は平和の問題にも連動しています。だからこそ、私は、これからも民族的少数者である外国人問題に取り組んでいくし、みなさんにもそういう視点をもって考えてほしいと思います。