人権を語る リレーエッセイ

石田さん 第5回
かっこ悪くある勇気をもとう



大阪大学教授
平沢 安政(ひらさわ やすまさ)さん

 

従来の人権(同和)教育に対する二つの印象

今、日本の子どもたちは非常に息苦しい環境におかれているのではないか。そう感じている人が多いのではないでしょうか。私もその一人です。子どもたちが息苦しさから解放され、自分らしく夢をもって生きられるように支援する教育として、人権教育をとらえなおす必要があると考えています。
私には中学校教員として同和教育に取り組んだ体験があり、その時に人権教育に対して二つの印象をもちました。ひとつは、人権問題をいつも重たい差別問題として突きつけるやり方では、当事者の子どもたちもなかなか元気になれないし、被差別部落外の子どもたちも受け止めにくいということ。もうひとつは、しんどい状況を抱えた子どもは部落外にも存在しており、個々の子どもが直面している状況に丁寧に目を向けて関わらなくてはいけないということです。私が1978年に新任教師として赴任した中学校では、そういった視点での取り組みがなされていました。これは私にとって幸運なことでした。

 

アメリカで出会った多文化教育の視点

その後、アメリカの大学院に3年間留学し、黒人や移民、女性問題などアメリカ社会における差別問題に関わっている人たちと出会い、多くのことを学びました。なかでもアメリカの学校で行われている「あらゆる立場の子どもが、自分の長所や能力を自覚し、他者と豊かな関係を築きながら、夢に向かって挑戦できるように支援する」という多文化教育の理論と実践から、日本の同和教育のさらなる発展に必要なエンパワメントの視点や学術的な裏づけを得たように思いました。たとえば黒人の子どもたちは、黒人という枠にとらわれた教育ではなく「ひとりの人間として夢をもち、偏見や異文化の壁を越えて社会にチャレンジする」ことを学校で学びます。「かけがえのない固有の価値をもった自分」を自覚することによって自尊心が芽生え、多様な他者と積極的につながり、困難にも立ち向かおうとする力が生まれる。このような視点を日本の同和教育に取り入れることで、より広がりのある人権教育ができるのではないか、そんな思いをもって日本に帰国しました。

 

「人権は重たい」というイメージ

従来の同和教育を受けてきた子どもたちは、同和問題をどう受け止めてきたのでしょうか。10年ほど前、大阪大学の学生に同和教育の印象についてアンケートをとったことがあります。すると多くの学生が「人権というのは何かとても重たいもの」というイメージを抱いていることがわかりました。同和教育の授業になると、とたんに教師の表情や口調が固く厳しくなる。教材にはひどい差別の事例が書かれており、感想を求められれば「差別はいけない。人権は尊重しなければいけない」と書くわけですが、こういうやり方が繰り返されることによって、「自分とは違う世界で悲惨な差別を受けている人がいる。自分は差別をしないよう気をつけなければいけない」というぐあいに、いつしか差別問題を他人事として、つまり自分とは関係のないこととして受け止めるようになってしまうのです。これでは「人権や差別の問題を正しく理解することによって、互いの違いを認め合い、多様な他者とつながることができる人間を育てる」という、人権教育の本来の目的から遠く離れてしまいます。差別の実態を明らかにし、糾していくことはもちろん大切ですが、未来に向かって育っていく子どもたちに対して、学びと育ちの論理にもとづいた人権教育を工夫し、発展させる必要性を痛感しました。

 

「くくり」でとらえると個人が見えなくなる

同和教育に取り組む教師は、概して強い使命感に燃えています。けれどその姿勢が、思い込みによる一方的なメッセージの押しつけになることがあります。児童・生徒を部落、在日、障害者といった「くくり」(カテゴリー)でとらえ、個人がもっている固有性を見ない、というのもその一例です。例えばAさんという人が部落出身だったとしたら、「部落」について自分が理解している部分だけでAさんそのものがわかったつもりになる。けれども実際にAさんを構成している要素は「部落」だけではありません。Aさん自身が部落出身であることをどう意味づけているのかもかかわってきます。人によってその「重み」は違うし、その違いに応じてアイデンティティのありようも変わってくるのです。つまり、人権教育には一人ひとりに合わせたオーダーメイド的な関わりが重要なのです。

 

誰もが良質な人権教育を受けるために"

私は、ただ個人のがんばりを強調するのではなく、もっと学校が人権教育を体系的に推進する組織体として機能することに焦点をあてた取り組みを広げる必要があるのではないかと考えてきました。そこでTQE(Total Quality Education:良質な教育)という概念を日本の人権教育に提案しようと思い、昨年『多文化・人権教育学校をつくる TQE理論にもとづく実践的ガイド』という本を翻訳出版しました。TQEというのは、企業経営の世界ではよく知られているTQC(Total Quality Control:全社的品質管理)の概念をもとに、アメリカでつくり出された考え方です。企業経営においては、厳しい競争のなかで顧客のニーズを的確にとらえ、できる限り個別のニーズに応えながら質の高いサービスを提供していくことが必須となっています。「品質」へのこだわりは、これからの教育にも必要なことだと考えたのです。もちろん単なる数値目標の導入や育ち・学びの論理をふまえない管理教育につながらないよう、十分注意する必要があります。しかし誰もが良質な人権教育を受けられるような学校づくりをすすめるうえで、「品質」にこだわった異分野の経験から学ぶべきものは少なくないと思います。熱意ある教師が孤軍奮闘して燃え尽きたり、教師や学校によって子どもたちが受ける教育の質が大きく左右されたりしないよう、幅広い視点でTQEの導入を含む人権教育学校づくりの議論をすることが、今求められています。

『多文化・人権教育学校をつくる TQE理論にもとづく実践ガイド』
ポーラ・A・コルデイロ、ティモシー・G・レーガン、リンダ・P・マルチネス著
平沢安政訳
明石書店発行