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・・・H30(2018)年度 第2回・・・

障害者差別解消法を「配慮」ではなく

「平等」を実現する一歩に

大阪市立大学

非常勤講師 松波めぐみさん

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「心の話」ではない

 「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(以下、「差別解消法」)が施行されて2年が過ぎました。この法律は、端的にいうと障害を理由とする差別の禁止と障害者に対する合理的配慮の義務が定められています。

「差別」「禁止」という言葉はインパクトが強く、怖いと感じる人も少なくありません。そのため行政がおこなう啓発では「差別」や「権利」ではなく「思いやり」というニュアンスで「配慮」という言葉を使う傾向がみられます。講師を務めた研修で「障害のある人を避けたいと思ってしまうのも差別ですか」という質問を受けたこともあります。

この法律は基本的に行政や事業者を対象としています。障害のある人が、ない人と別の扱いをされることによって食事や買い物ができない、バスに乗れない、医療が受けられない等、広い意味でサービスを利用できないといったことはあってはならないという主旨です。個人の「心の話」ではありません。

そして合理的配慮とは、障害のある人が社会参加の機会から排除されることがないよう、どうしたらいいのかを一緒に考え、必要な調整をおこなうことです。「差別の禁止」と「合理的配慮」はつながっているのです。



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同情から一転、バッシングへ

 研修や講演で、象徴的な事例としてよく挙げるのが2017年に起きた「バニラエア事件」です。格安航空会社であるバニラエアで奄美大島に出かけた車いすユーザーの男性が、帰りの搭乗を「設備が十分でなく、危険だから」と断られ、同行の友人の手伝いさえ拒否されました。最終的にご本人がタラップを自力でよじ上り、大きく報道されたのです。

 当初は「なんてひどいことを」「かわいそう」という同情論がありました。しかし男性が車いすを使用していることをバニラエア側に連絡していなかったという名目で、今度はバッシングが始まりました。実際は同行者もおり、往路は搭乗できたために復路も大丈夫だと判断されたようです。そもそも事前連絡がなければ搭乗を断るということ自体に問題がありますし、バニラエアは事前連絡があっても断るつもりだったことが、報道でも明らかです。しかしネット上では、男性がわざと騒ぎを起こしたかのような誘導がおこなわれました。そして「障害者への特別なサービスのために料金が上がったらどうしてくれる」「格安の航空会社を利用するのにわがままを言うな」と罵倒するのです。「自分(たち)が損するのは許せない」というエゴがむき出しで、暗澹としました。

 

sub_ttl00.gif 社会モデルの発想へ転換したい

 

 障害者が直面する問題に心情的な「配慮」や思いやりで対処できると考えたら、権利の平等というベースで考えられなくなります。パラリンピックを目指してがんばっている人や、明るく元気で「ありがとう」の言葉を忘れない人は共感されやすく、メディアでも取り上げられます。けれど、知的障害や発達障害があって感謝の言葉が出てこない人や、いちいち言う必要はないと考える人もたくさんいます。そうした人たちは「感謝もない」「何を考えているかわからない」と排除されがちです。そこには、世界の見え方が異なる人たちへの想像力もないし、無意識のうちに自分たち健常者は「助けてあげる側」にいると思いこむ傲慢さがあります。

障害者差別解消法は行政や事業所を対象にしていますが、市民が何も変わらなくていいというわけではありません。

これまでは障害のある人に対して、リハビリや訓練で社会に適応することが求められてきました。こうして、障害を個人ががんばって克服すべきものとみなすのを「障害の個人モデル」といいます。それに対し、それは違うだろう、そもそも社会には多様な人がいるのに、あたかも健常者しかいないかのようにして法制度や建物、ルール等がつくられてきたのが問題なんだ、という新しい考え方が生まれてきます。社会がつくるバリア(障壁)こそが一人ひとりを生きづらくしているのだ、障壁を社会全体で取り除いていこうという考え方を「障害の社会モデル」といい、日本も批准している障害者権利条約のベースになっています。そして社会を変えるには、市民一人ひとりの意識や行動を変える必要があります。思いやりや配慮ではなく、障壁に気づき、「同じ人間としてともに生きる」ために行動していくことが大切です。



sub_ttl00.gif 合理的配慮を「当たり前」のものに

 私が障害者問題に関わるようになった出発点は25年前、ひとりの友人との出会いでした。あるイベントの打ち上げで隣り合わせになり、「遊びにおいで」と言われたのがきっかけで親しくなったのです。車いすユーザーだった彼女とまちに出て、いろいろな経験をしました。彼女が買い物をしているのに、店員さんが隣にいる私の方に話しかけたり、お釣りを渡そうとしたりする。彼女は店員さんに向かって「私に言ってください」と言っていました。うっかりお釣りを受け取りかけた私も、後で彼女から「買い物をするのは私だから」と注意されたものです。健常者としてぼんやり生きてきた私も、そうやって友人とつきあう中で学んでいきました。

障害のある人とない人が分けられてきた社会ですから、「どうしたらいいのかわからない」という人が多いのは当たり前でしょう。身近にいれば、自動的に理解できるわけではありません。摩擦を怖れず、本人に気持ちや要望を聞きながらつきあっていく。時にすれ違っても「そういうこともある」と受け止める。障害のある人に対して、特に親切にしようと構えたり、何かをがんばったりする必要はありません。

別の知的障害のある友人は、介助を受けながら自立生活を送っています。慣れない場所だと不安で、不審がられる行動をとってしまいがちですが、今では、地元に行きつけの美容院があり、世間話をするまでになっています。大きな声を出す時もありますが、お店の人が慣れているので他のお客さんも動揺しません。こうして当然のようにお店を利用する人と、当然のように迎えるお店の人がいる。こんな風景が増えていくことが何よりの"啓発"ではないでしょうか。

差別解消法の施行によって自治体に相談窓口が設置されました。相談窓口が間に入ることで解決した事例も少しずつ増えています。いずれは法律があるから合理的配慮をするのではなく、まるで職場の習慣のように当たり前のものになるよう、私も自分にできることをしたいと考えています。


H30(2018)年7月掲載