人権を語る リレーエッセイ

・・・・・ H30(2018)年度 第1回 ・・・・・

「違う」から始まる、持続性のあるまちづくり


2018リレーエッセイ①寺川さん写真.jpg 近畿大学建築学部  

                准教授 寺川 政司 さん



sub_ttl00.gifシステム化された社会で生じる「格差」


 1995年1月。大学生だった私は、下宿していた西宮市で阪神・淡路大震災に遭い、被災しました。直後から公園に避難してきた人たちが立ち上げた「公園テント村(公園避難所)」の支援を始めました。そこで目の当たりにしたのは、すべてを失った時の人間模様や被災の状況、避難生活の中で生じてくる「格差」でした。一方で、日常にある、目に見えないつながりや関係は大事だと身にしみました。

 
 日本は高度に社会システム化されている国です。復興事業が立ち上がるのも早い。そのプロセスに乗るか乗らないかによって、支援を受けられるか受けられないかという差が生じてしまいます。本来、復興とは人がそれぞれに持っている力をどうエンパワメントするか(立ち上げるか)という視点で考えるべきだったのに、先に復興事業としてのメニューが示される。そのどれかを選ぶほかなく、選べない人も出てきます。そこに違和感をもち、人権を軸にしたまちづくりに携わるようになりました。

 
 また、この震災を機に問われた居住の権利(ハウジングライツ)について、国連の国際会議であるハビタットⅡに被災者と一緒に出かけことも関わるきっかけになっています。

sub_ttl00.gif「つぶやき拾い」で課題を「見える化」する

 私の専門は建築です。建築というと「建物を建てる」というイメージをもっている人が多いでしょう。それも確かに建築なのですが、実は建築にはまちづくりやコミュニティづくり、不動産や金融も含まれます。社会学や心理学、芸術学の要素も含む、総合学問です。


 私の研究テーマは「住みこなされるハウジングとまちのシェア」ですが、住宅自体はもちろん、そこで暮らす人々の生活の移り変わりにも注目しています。暮らし方は時代や人々の意識の変化によって変わっていくものだからです。1990年代後半からは、縁あって大阪府内の被差別部落のまちづくりに携わるようになりました。国や行政の事業に頼るだけでなく、自立的なまちづくりをしようという気運が高まっていた時期です。いくつかの地域に関わり、インタビューを重ねるうちに見えてきたのは、同じ問題意識をもっているのに共有できていないことでした。そこでフィールドノートというものを作り、今どこでどんな活動をしているのかをまとめたのです。また、西成・釜ヶ崎との関わりの中から、点と点をつなぐコーディネーター的な役割(マネジメント)の必要性を実感しました。


 まちづくりは地域の課題の「見える化」から始まります。それも自治会のメンバーなど特定の人だけでなく、できるだけ多くの住民から日頃思っていることを聴かせてもらいます。私は「つぶやき拾い」と呼んでいますが、集めたつぶやきから住民が望む「形」がおぼろげに浮かび上がってきます。


 これまで「まちづくり」といえば、まず「あるべき姿」が提示されていました。そこに近づくために何をすべきかという議論がなされます。実はこの段階で多くの人が「自分は違う」「そんなにがんばれない」と離れてしまいます。一方、コアなメンバーは「なぜ関わろうとしないんだ」と不満を募らせます。


 また、今流行っているまちづくり、コミュニティづくりは「密度濃くつながりましょう」というメッセージを発してしまいがち。しかし濃いつながりを求める人ばかりではありません。「プライベートまで関わられるのは、踏み込まれすぎるのは怖い」と考える人もいるでしょう。お題目としての「"つながりましょう"まちづくり」には限界があります。

sub_ttl00.gifそれぞれの経験や力を発掘して生かす

 私が提案するのは、「違う」ことから始めるまちづくりです。「みんな同じ」というところから出発すると、違う部分に焦点が当たってギスギスします。しかし「みんな違う」というところから始めれば、多少のトラブルや食い違いは当たり前として受け止められます。そして行事や自治会の運営を一緒にやるうちに「同じ(共感)」の部分が見つかり、親近感や連帯感が生まれる。そんな場面を多々見てきました。それは、その過程で互いを認め、尊重しあう中で育まれる関係でした。
 
 官民恊働という言葉もよく聞かれます。震災は今後も起きるでしょうし、少子高齢化の時代も迎え、まちづくりやコミュニティづくりにおける行政の役割が大きいのは確かでしょう。行政が縦割りのシステムであることを批判する人は多いのですが、これはもう宿命のようなものです。担当者も行政の立場でしか話ができないというのも仕方ない部分でもあります。
 
 だからといって、「やっぱり行政はダメだ」とあきらめたり批判に終始したりするのはもったいない。民間の得意なことと、行政だからできることを整理して、行政ならではの仕事をやってもらいましょう。その時、官民ともに、まるで電子のように(縦横無尽に)動く人がいます。そして人と人とをつないでいる。そういう人がいるところはうまくいっているように思います。まずは人が出会う場所、そして立場を超えて議論できる「居場所」をつくることです。
 
 まちにはすごい経験や力をもっている人たちがいるというのが私の前提です。ただ、その力を生かせる場や役割がなかった。もうひとつ、まちづくりに重要な役割を果たすのが「よそ者」という存在です。新しいマンションができたり、若い人たちが入ってきたりすると、警戒する人も多いでしょう。しかし外から入ってくる人が地域の担い手になる可能性もあります。先ほど述べたように「違う」ことから始められれば、きっと新たな展開が生まれるでしょう。


 失敗を怖れず、とがめず、トライ&エラーを繰り返すなかで、「同じ(共感)」を見つけていく。その延長線上に、人権という言葉をあえて使わなくとも、人権を軸にしたコミュニティが形づくられていくと私は考えています。

(平成30(2018)年6月掲載)