2 0 1 3 年 度
ハ ン セ ン 病 問 題 講 演 会
無らい県運動とは何だったのか
~国・地方公共団体・市民それぞれが果たしてきた役割と責任を考えよう~
ダウンロード→講演会チラシ.pdf
大阪においてハンセン病問題の府民啓発と回復者支援ネットワークづくりを目的に、支援活動に関わる関係諸団体で実行委員会を設立し、ハンセン病問題講演会の取り組みを始めて今年で10年目になります。
今回の講演会のテーマは、「無らい県運動」です。
1907(明治40)年から1996(平成8)年まで続いたハンセン病に対して行われた強制隔離政策は、ハンセン病への脅威をかきたて、市民がハンセン病を疑う人を発見したら、警察や保健所に通報(投書)する仕組みを作り上げました。
戦前、戦後と展開された「無らい県運動」は、自分たちの街や村からハンセン病・ハンセン病患者を一掃しようとする、官民一体となった運動でした。 「無らい県運動」がハンセン病患者、ハンセン病回復者、家族、遺族にもたらした被害は計り知れないほど甚大です。法律に基づいて行ってきたことだから、「あの時代はしかたなかった」とか、ハンセン病の薬がなかった時代は「隔離はしかたなかった」という人もいます。
しかし、「無らい県運動」がどんな歴史的な背景の中で行われてきたのか、国・地方公共団体・市民の果たしてきた役割を考えたとき、その責任と反省を今一度再確認することが必要であると考えます。それが、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」第18条の「ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復を図る」ことになるのです。
さらなる被害を作りださないために、今、「無らい県運動とは何だったのか」を問い直すことの意義は大きく、ハンセン病問題で犯した過ちを二度と繰り返さないために私たちにできることを共に考える機会にしたいと考えます。
◆日時:2014年 2月15日(土)13:30~16:00(13時開場)
◆資料代:500円
◆会場 大阪市立阿倍野区民センター 2階 大ホール
(大阪市阿倍野区阿倍野筋4-19-118 )
◆手話通訳・要約筆記あり
(※点字資料が必要な方は事前にお申し込みください)
◆プログラム
1.シンポジウム
〈シンポジスト〉
・日野 千栄子さん
(国立療養所長島愛生園入所者)
・外島 一郎さん
(仮名:ハンセン病関西退所者原告団いちょうの会副会長)
・宮前 千雅子さん
(関西大学人権問題研究室委嘱研究員/虹の会おおさか会員)
・和泉 眞藏さん
(アイルランガ大学客員教授/熱帯病研究所ハンセン病研究室担当/ハンセン病専門医)
〈コーディネーター〉
・藤野 豊さん
(敬和大学人文学部教授)
2.ミニライブ
ドランカーズ
1989年結成。尼崎市、川西市、宝塚市で働く音楽好きの仲間で構成。メンバーの年齢や性別、音楽の好みも違うが、一人ひとりを尊重し、「一人がみんなのために、みんなは一人のために」を心がけて音楽を楽しんでいる。バンド名「ドランカーズ」は、“のんべい”を横文字にしたもので、練習後やイベントが終わった後には常に“一杯”がつきまとうとのこと。
実は、バンドリーダーがハンセン病の親をもつ家族として昨年度この講演会でシンポジストとして登壇。バンドメンバーにも初めて自分のことを打ち明け、今回は音楽でハンセン病問題とは何かを表現したいと思っている。
主催 ハンセン病問題講演会実行委員会
共催 大阪府 大阪市 堺市