年に1度、大阪で秋に「WILL」という名前で会合を開いてます。もう5回目になります。子どもたちを主役にする日です。死んでしまった子のために1日を過ごそうって。
「WILL」は願いとか、意思とかの意味がありますが遺言って意味もあるんです。そんないろんな意味を含めてつけた名前です。
学生の子がボランティアで手伝ってくれています。
前半は、子ども達の追悼をするんです。
というのも世間に騒がれた事件なら、あの事件から1年が経ちましたとか、マスコミの報道によって思い出す事もできるでしょうけど、私たちのように、地域で起こった事件は忘れられるんです。次から次へといろんな事件が起きるものですから。
私たち被害者は、ずっと大変な思いをしてるのです。忘れてほしくはないと遺族は思っていても、つぎつぎと被害者が増えていき、世間から忘れられてしまうんです。それに日本は、死んだ子の事はいつまでも話をしていてはいけないっていう空気があって話がしにくいんですよね。
だからその日は親は何を言ってもいいことにしています。
加害者への憎しみを述べてもいい、思いっきり泣いてもいい。なんでもいいよっていうのが前半の子どもたちの追悼で、当事者達が話をするんです。
後半は、やっぱり当事者だけの問題ではないと思ってほしいので、一般の人も自由に参加してもらって、一緒に問題について考えるんです。
この問題は特別な人が遭遇するものではない、今ではいつ、どこで誰が被害者になるかわからないんです。
だからいっしょに考えてくださいって。
身近で起きてはいけないんですけれども、問題を考える人が一人増え、またひとり増えていくとまたずい分違ってくると思うんです。
そういう事を意識している人が増えていけば、犯罪が防げると思っているんです。
だから興味半分でもいい、なんでもいいから足を運んでほしい。いろんな問題に触れて考えてほしいんです。
一般の方にも現状を分かってもらい、もしかしたら自分にも、何かが起こるかもと危機感を少し持ってもらいたいんです。
当事者だけで集まれば、すごい変な団体になったらいけないっていう恐さもあります。片寄った圧力団体みたいにはなりたくない。
だから会を作った時からはまったくの自由参加をアピールしています。だれでもオープンに参加してくださいとね。
そして一般の人に、私たちが思っていることを、「おかしい。」と思ったらちゃんと指摘してくださいと言うんです。私たちが「問題だ。」と思い、かつ一般の人も「問題だ。」と思った事を私たちは世に訴えていきたいから。いつもみんなにお願いをしているんです。