きれいごとでもなんでもなくて、相手を憎むよりも、息子がいなくなった悲しみの方が大きかったですね。
突然だったし、軽症だったれども血友病を持っていましたから命というものに、すごく向かい合っていたんですよ。
重症ではないので普通の子と同じ状態だったのですが、けがをした時は普通の子よりは、はれが大きいんですよね。
病院に行って、血液製剤を使おうとするんですけど、私は副作用があってはいけない、という心配があったので、なるべく使わないよ
うに夜通し冷やしたりして、すごくそういうことをやりながら育てていたのです。
だから命っていうものがものすごく遠くにあるものではなく、もっとそばにあって、大事にしていたものですから、自分の中でその子を失った悲しみ、現実の恐さがつらかった。家に息子がいない、それが耐えられなかった
だから憎しみというものはあとから徐々にわいてきました。逮捕された瞬間に各新聞社へファックスを送りました。事件の話と、今後このような事件が起こらないように、マスコミのみなさんにご協力をお願いしますといった内容です。
でも、ファックスは送ったけれども、事件に特殊性はない、少年事件ということで話題性もない、少年事件を取り上げるのがまだむずかしい社会だったので、取材にきたのはほんのわずかでした。それぐらい世間は関心が、うすかったのです。
神戸の事件をきっかけに、少年事件がクローズアップされ、その時になってようやく私たちの事件も取り上げられるようになったのです。
ファックスを送った瞬間に覚悟は決めていました。もう、私たちにプライバシーはないぞ、って。見せ物パンダになろう、って、私はそれでいいと思ったのです。
大切な息子の事だからなんでもできると思ったからでしょうね。良い事も悪い事も全部出すって。
ひどいことを言われたから傷ついたとか、何かされて腹がたったのではなく、一人の命の事なのに、まるで生まれていなかったのような扱いにされている。子どもの存在がなかったようにされたことが、とてもくやしかったのです。
そして息子の命をただ、事務的な作業のように処理されたこと、加害者が少年だからあきらめなさい、という雰囲気にされたことで息子がかわいそうだったのです。命を軽く扱われてしまって。それが許せなかった。
事件後は、息子を救えなかった自分を責め、情報が届かないことから、社会からも見放されているとも思い込み、かたきを討てない怒りを、家のなかでぶつけていたのです。主人と口論して大きな声を上げてどなる、泣きわめく、物の割れる音がする、お酒に頼ったりもしました。
自分の事だけで精いっぱいだったので、毎日、子どもたちの前で泣いているばかり。現実の恐さに逃げることばかり考えていた、情けない母親でした。