主な人権侵害事象(差別事象を含む)状況

最近の差別事件の動向・特徴とその背景

近畿大学教授 北口 末広

(1)最近の差別事件の動向・特徴

①煽動的・挑発的な内容が増加

 最近の差別事件の最も顕著な特徴は、ネット上の差別事件が多発しているという現状と重なって、煽動的・挑発的な内容や憎悪に満ちたものが増加しているという点である。
 差別意識が最も活性化するのは、優越意識と被害者意識が重なったときである。
 一般的に差別意識が伝播する場合、うわさ、デマ、流言などが重要な役割を果たしているが、特に社会的な偏見や差別意識に迎合する形で強調・歪曲された情報は、正確でない情報でも容易に真実だと受け止められる。ネット上にはその種の情報が蔓延し偏見や差別意識が増幅している。被差別部落に対する偏見や差別意識があるもとでは差別的な情報の方が抵抗なく伝播しやすいのである。
 差別が強化されるときのパターンの一つに被差別者の「悪人」をヤリ玉にあげ、反論しにくい雰囲気を作り上げた上で、攻撃するというものがある。近年のネット上の差別事件はそのような傾向を顕著に持つ。


②依然として多い忌避・排除の事件

  さらに最近における差別事件の特徴として上げられる代表に戸籍等不正入手事件がある。正確にいえば従来からある事件であるが、時代が進み差別撤廃が進展したといわれる反面、旧来の差別事件と同様の事件も根強く続いている。
 結婚差別事件とも関連する戸籍等不正入手事件は後を絶たず、依然として多い差別落書きや市町村合併・校区編成の再編に伴う差別事件や不動産購入等に関わる差別事件も続発している。これらの事件は被差別部落出身者や被差別部落を忌避・排除する古くから存在する差別事件である。


③戸籍等不正入手事件の特徴

 戸籍等不正入手事件は1985年(以下「85年事件」という)に同様の事件が発生・発覚しており、現在解明が進行中の事件と異なる点は、85年事件がニセ行政書士やニセ弁護士が中心であったものが、今回はニセではなく戸籍法施行規則第11条に明記されている行政書士や司法書士のような「職務上請求が認められている」有資格者という点である。
 85年事件の取り組みの成果として各有資格者団体によって整備された戸籍等請求用紙が悪用された事件である。この用紙は戸籍等不正入手防止の目的で各有資格者の団体が作成しているもので、85年時点では、そのような用紙もなく架空の行政書士名をでっち上げて役所に請求するだけで簡単に他人の戸籍謄抄本等を入手することができていた。ある面では最近の戸籍等不正入手事件はさらに巧妙になったといえる。
 全容の解明にはまだ多くの時間を要するが、「部落地名総鑑」の貸し借りや戸籍等不正入手手数料が明記された調査業者の会計帳簿が民事訴訟の裁判資料として提出されたのが事件発覚の発端である。85年事件とその構図はほとんど変わっていない。


④差別を防止する社会システム構築が不十分

 以上のように85年事件と同様の事件が最近の戸籍等不正入手事件なのであり、依頼者も調査業者の役割もほとんど変化がなく、その構図は85年事件ほとんど変わっていない。
 戸籍等不正入手事件は、それだけでは差別事件ではないが、身元調査の手段とその付加価値を高めるために取られており、プライバシーを侵害する悪質な事件であるとともに、容易に差別身元調査とも結びつく事件である。
 根強い差別意識を持ち続ける人々と戸籍等不正入手事件の原点である身元調査の依頼者は、明らかになった結婚差別事件を分析すればほぼ重なる。これらの戸籍等不正入手の先に差別身元調査や結婚差別が存在しているのであり、これらの差別事件を許している社会システムが放置されている。今日の差別事件の大きな特徴として、旧来の根強い偏見に基づく差別意識及び被差別部落への忌避意識とそれを放置している社会システムを悪用しているという点を指摘することができる。


⑤情報化の進展と犯人不明事件の増加

 次に差別行為者や被害者に関する特徴では、特に差別行為者に関しては行為者不明の事件が多く、闇から執拗に攻撃をしてくる事件が続発している点を上げることができる。全国大量連続差別投書・ハガキ等事件においても極めて執拗で悪質なものであり、この事件も長期間犯人不明の事件であった。犯人の供述によって、近年の部落差別を助長するネット上の差別放置状態といった差別煽動的な環境の影響を強く受けた行為者であることが明らかになったが、他の差別事件においても同様の影響を強く受けたと推測される犯人不明の事件が増加している。


⑥差別意識を増幅させる情報化の進展

また、ネット上の差別事件が増加している傾向とそれら事件の分析からいえることは、行為者が若年化してきているという点と差別意識から実際の差別行為までの距離が非常に短くなっている点である。これまでの差別落書き事件等は、差別行為を意図した段階から実行行為までにいくつかのハードルがあったが、ネット上の事件ではそれらのハードルが極めて低くなり、キーボード一つの操作で大量の差別文書を多くの人に送付することができるようになっている。
 ネットが普及するまでの差別事件は差別意識とそれを表出させるエネルギーが相当な量に達するまで実行行為に及ばなかったが、ネット社会では差別意識を表出させるエネルギーが小さくても実行行為に及ぶようになったことを指摘できる。それは匿名性を高める手段としてネット社会が都合がよく、そのことによって犯人不明の差別事件が増加するという傾向が進んでいるのである。これらの犯人は匿名性の保障がなければ多くの場合、実行行為に及ばないといえる。情報化の進展が差別意識や差別事件を増幅させているといえる。