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・・令和元(2019)年度 第5回・・



優生思想から考える、命の選択と人権


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立命館大学生存学研究所 
客員研究員


利光 恵子さん



sub_ttl00.gif命を切り分ける優生思想

 優生思想とは人間の生命を「生きるに値するか、しないか」に切り分ける思想で、重大な人権侵害を起こしてきました。
 まず、日本における優生思想の歴史的経緯についてご紹介します。

1940年、国民優生法が成立しました。悪質な遺伝性疾患の素質をもつ人の出生を抑え、国民全体の質をあげようという、優生思想そのものの法律でした。しかし戦中で「産めよ増やせよ」の時代であり、実際には強制的な不妊手術も含めて少なく、むしろ社会は中絶を禁止する形で進みました。
 敗戦後、1948年に不良な子孫の出生防止と母性の生命健康の保護を目的に優生保護法が制定されます。人工妊娠中絶を条件付きで合法化する一方で、法律の第3条で遺伝性疾患やハンセン病の場合、本人と配偶者の同意による不妊手術の実施が、第4条では本人の同意がなくても、医師が必要と判断し、かつ公が設置する審査会の決定により、強制的な不妊手術が合法化されました。
 さらに第12条では、遺伝性ではない精神病や知的障がい者についても、本人の同意がなくても保護義務者の同意で不妊手術ができるとしました。こうした強制的な条項ができ、実際にどんどん実行されたのです。第3条のように「同意による」とされた場合も、事実上は強制だったケースもたくさんあります。


sub_ttl00.gif障がい者の人権も女性の人権も侵害されてきた

 1960年代から高度経済成長期に入ると、経済成長を支え、国民全体の福祉を向上させるために、障がい者の出生を抑制すべきだという声が産業界を中心に挙がるようになります。また、兵庫県が「不幸な子どもの生まれない運動」を始め、出生前診断である羊水検査を公費で行うなどの施策が進められました。国主導ではなく、各都道府県が率先して取り組んだのです。

 また、民生委員や学校の教員なども、そういった社会の動きに呼応し、不妊手術の実施に加担していったケースもありました。
 そのような状況の中、1970年に母親が重度の障がいをもつ子どもと無理心中を図るという事件が起きました。母親への同情から減刑運動が広がるなか、「障がい児の人権はどうなんだ」と障がい者たちが立ち上がりました。同時期に「障がいを理由に中絶することは障がい者差別だ」とも言い切ったのです。
 障がい者運動と女性運動との論争もありました。産むことを強制されてきた歴史から「産む産まないは女性が決める」「中絶の権利」を訴えた女性たちに障がい者運動は「障がいの有無で決める選別的な中絶も女性の権利なのか」と鋭い問いを突きつけます。女性運動の側はそれを正面から受け止めました。障がい者運動は優生思想、女性運動は女性の体への自己決定権への侵害という差別。ともに闘う道を探りながら長い時間をかけて話し合いは続きました。結果的にこのことが日本における出生前診断の早急な導入を阻んだと言えます。そして、女性運動は、子どもをもつかどうかの選択は女性の権利だが、子どもの質を選ぶことは自己決定権に含まれないし、自己決定権によって正当化もされないと主張するようになります。
 1990年代に母体血清マーカーという新しい検査が出てきた際には、障がい者運動と女性運動、親の会と一部の産婦人科医の反対が大きく盛り上がりました。それを受けて国も「妊婦に検査のことを積極的に知らせる必要はなく、勧めるべきでもない」という見解を出しました。

sub_ttl00.gif障がいや病気、貧困を抱えた人への人権侵害                     

 時代の流れとともに優生保護法の「目的」は変化したものの、優生思想に基づいて一貫して行われてきたのが強制不妊手術です。 

 手術は、遺伝性の疾患だけでなく、遺伝性ではないハンセン病や聴覚障がいの人たちも含め、本人以外の人間が不妊手術を必要と判断すれば、事実上、拒否できない形で手術が行われました。

 1940年代に産まれたある女性は、貧困家庭に生まれて十分な教育を受けられませんでした。さらに職親(協力雇用主)から虐待を受けて頭が混乱している状態で知能検査を受けさせられ、「軽度知的障がい」と診断されました。そして更正相談所から「優生手術の必要がある」と判定されたのです。
 こうした事例が全国であきらかになり、現在、各地で国に謝罪と補償を求める裁判が行われています。大阪では5人の方が提訴しています。1人が知的障がい、あとは聴覚障がいのあるカップルが2組です。1組は帝王切開で出産後、あかちゃんは「死んだ」と聞かされ顔を見ることもできませんでした。女性はその後、生理が来ないことで自分の子宮が摘出されていたことがわかりました。

 子宮摘出は優生保護法のもとでは認められていない手術法です。しかし実際には子宮筋腫や子宮内膜症というニセ診断名がつけられ、事実上の強制手術が行われてきました。また、被害者は女性に限られません。パイプカットや睾丸を摘出をされた障がいのある男性もいます。説明も同意もない手術でホルモンバランスを崩し、全身的な健康障がいが残ることも多々ありました。
 本人の同意を要さない不妊手術の統計を見ると、大阪は全国で5番目の件数です。実態をあきらかにし、きちんと向き合ってほしいと思います。

sub_ttl00.gif個人の選択の背景にある、私たちの偏見、差別

 障がい者差別と女性差別の観点から出生前診断には慎重な姿勢だった日本ですが、新たな局面を迎えています。2013年4月、新型出生前診断が臨床研究として15施設で開始されました。血液検査なので母体に負担をかけることなく、相当な精度での診断が可能です。2013年4月から2019年3月にかけて約7万3千人が検査を受け、羊水診断などの確定検査を受けて最終的に「染色体の変化あり」と診断された人の9割以上が中絶を選択したといわれています。日本産科婦人科学会は「不安を払拭したい妊婦の切実な思いは尊重されなければならず、一概に規制できない」とし、一般医療化に積極的です。しかし統計にあるように「障がいがわかれば中絶する」という選択をする人が圧倒的に多いのは、本当に妊娠した女性個人の不安だけでしょうか。
 ご紹介してきたように、優生思想が根底にある社会には「障がい者(児)は社会に不利益をもたらす」「本人も親も不幸」という強いメッセージがあります。妊婦(カップル)の意思決定は、社会すなわち私たちが障がい者をどのように受け入れているかに大きく左右されるのです。
 現在はさまざまな障がいのある人が地域で暮らし、人生を楽しんでいます。サポートを受けながら子どもを産み育てるカップルもいます。現実は少しずつでも変化していることを知ってほしいと思います。地域や学校や職場で、そうした人たちと出会い、交流する機会はますます増えるでしょうし、そうあってほしいと思っています。 

(令和2(2020)年2月掲載)