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・・・・・ H27(2015)年度 第 2 回・・・・・

親と同じように

子どもには

子どもの人生がある

特定非営利活動法人

ぐりーふサポートハウス

代表理事 佐藤 まどか さん

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親や大人にずっと怒っていた

 私はずっと怒っていたような気がします。自分の親に、周りの大人たちに、そして社会に。怒っているのは「子ども」の私です。「子どもは親のいうことを聞くものだ」「子どもは知らなくていい」「子どもは大人のじゃまをするな」。親も含めて、大人は往々にして子どもを軽んじ、子どもの気持ちを無視したり利用したりしているのではないでしょうか。それに対する怒りと、「そんな大人にはなりたくない」という思いが今の私をつくってきました。



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誰も本当のことを教えてくれなかった

 私は「ぐりーふサポートハウス」や「カウンセリングスペース リヴ」を仲間たちとともに運営しています。子育てや生きづらさに悩む人の話を聞いたり、居場所を提供したりしています。また、家族を自死によって亡くしてしまった人をはじめ、大切な人との死別を体験した人へのサポート活動をしています。

 実は私自身が自死遺児です。14歳の時、修学旅行中に父親が自宅で自死しました。でも病気による急死だと知らされたのです。私は、出かける時には元気だった父がなぜ急に亡くなったのか、どうしても納得がいきませんでした。お葬式の時も、母やきょうだいたちが泣いている横でずっと顔をあげていました。感情が動かず、涙も出ませんでした。

 やがて周りの空気や話の断片から自死だったことがわかりました。けれど誰も本当のことを話してくれませんでした。父は首を吊って亡くなったのですが、その時、誰が見つけて、誰が叫んで、誰がお父さんの体を下ろして、誰が紐を切ったのか。現場にいた家族はみんな共有しているのに自分だけが知らないのです。たしかに壮絶な現場ですが、私に限らず多くの子どもは「そんな場面にいなくてよかった」とは考えません。「自分も家族の一員なのに何もできず、申し訳なかった」と思うのです。家族と一緒に苦しみたいのです。お葬式では泣きませんでしたが、そのことについては後々まで泣きました。



sub_ttl00.gif 自分の人生の責任を子どもに負わせないで

 父が亡くなった後、次第に母との関係がうまくいかなくなりました。母が事実を話してくれなかったことも大きかったです。そして周りの大人たちから「お母さんを助けてがんばるんだよ」「母子家庭になったんだから、後ろ指をさされるようなことのないようにね」と言われるのもしんどかったのです。けれど善意で言ってくれているのはわかっていたので「はい」と答えるしかありませんでした。

 でもある日、ふと思ったのです。「これはお母さんが選んだ人生だよね」と。亡くなった父は継父でした。母は私の実の父とは離婚したのですが、その時もはっきり「離婚した」とは言ってくれませんでした。父がいない時間が長くなるにつれて、「離婚したんだな」と理解したのです。それも子どもにとってはどっちつかずのしんどい時間でした。実父との離婚も継父の自死もはっきりとは告げなかった母のことを「子どもに辛い現実を知らせるのはかわいそうという優しさではないか」と思う人もいるかもしれません。けれど子どもとしてはそうは思えず、やがて母のことを「自分が選んだことや現実と向き合えない人なのだ」と受け止めるようになりました。そして「離婚も再婚もお母さんが選んだことなのに、なぜ最後に私たち子どもが責任をもたなければいけないの。お母さん自身で幸せになってほしい」と強く思うようになったのです。

 一方で、母や周りの大人からは行動や選択を制限されました。高校生になって「卓球部に入りたい」「大学に行きたい」と言うと、「ラケット代がいるでしょう」「母子家庭なのにぜいたくを言って」と責められたのです。結局、高校卒業後、1年間働いて学費をため、社会福祉を学べる短大に進学しました。



sub_ttl00.gif 「親の期待に応えなくてもいいよ」と伝えたい

 振り返ってみると、会社経営をしていた継父は一切家事をせず、母は専業主婦として家事と父の世話をしていました。ところが経営がうまくいかなくなった時、すべてが崩壊してしまったわけです。「男は仕事、女は家事育児」という役割分担意識にお互いが縛られていた結果、命まで失うことになりました。私はそんな危うい関係はいやだ、経済力も生活力も身につけて「ひとりの人間」として自立したいという思いでやってきました。

 最終的に母とは決別した形になりましたが、後悔はありません。むしろ、今、親との関係で苦しんでいる子どもたちには「親をきらいになっても、離れてもいいんだよ」と伝えたいと考えています。子どもは親の望む自分であろうとがんばり、親にひどいことをされても何度も許します。けれども親にその自覚がなければ子どもが傷つくばかりです。もちろんひどい親ばかりではありません。ただ、親には親の思いがあるのと同様に、子どもには子どもの思いがあり、それはそれで尊重されるべきなのです。

 まだまだ親の力が強い社会ですが、できるだけ子どもの気持ちをていねいに聴き、大事にしていく活動をしたいと思っています。

平成27(2015)年9月掲載