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新理事長が語る部落問題入門

村井 茂  財団法人大阪府人権協会理事長

 

 

 

1 自らの体験から――「諸偏見」批判

 

 一九七一年に私と同じ市の被差別部落出身の青年が、結婚差別をうけて自死しました。その翌年には、ある県の女子高校生が自死し、そして大阪市内の女性が自死しました。また四国の青年が自死するということが起こりました。私が高校生から大学生になるころ、そうした恋愛や結婚の問題で悩んで部落出身の若者が自死にいたる事件が、連続して起こりました。非常にショックを受け、それが、私が部落解放運動に参加していく大きな契機になりました。

 私は、中学生のころから、自分の地域が他の地域から何かしら排除を受けていることを、目に見えるようなストレートなものではないけれど、おとなの社会のやりとりを聞いていて、だんだん感じ出していました。

 しかし、気づいたといって、私自身は決して、そうゆう立場に生まれてきたことを、ネガテイブにとらえたわけではありません。自分が当事者であることに何か運命みたいなものを感じて、むしろ一つのエネルギーにして、これを自分の人生の中でテーマとして取り組んでいこうと、前向きな気持ちになっていったのです。部落解放運動に取り組むよき人たちとの出会いがそうさせたのだと思います。

 私は、部落問題のことを、友人などにカミングアウトして語ったとき、相手から「そのような不合理な差別はけしからん」「差別は、する側が悪いので誤りをただすべきものだ」というような反応が当然にまず返ってくると思っていました。しかし、多くの場合そうではありませんでした、残念ながら。返ってきたさまざまの「反応・意見」の多くは、被差別者の側に注文をつけ、突き放すかのような考え方があふれていたのです。四つほどのパターンをお話しします。すべて私の体験にもあるパターンです。これらの考え方を批判ししっかり克服することが必要だと思います。

 

 ①「部落分散論・“丑松主義”」

 

 最初に打ち明けたときのことです。友人は、最初、じっくり話を聞いてくれました。そして最初に一言友人が言ったことは、「部落という、そこに住んでるということで差別をされるのなら、何故そこに住んでいるのか。そこから出ていったらええねん。何でわざわざ差別されるところに住んでるのや。見てわかるような差別(黒人差別のような差別)じゃないのだから、出て行ったらすむことやん」というものでした。みんな地域から出て行ったらいいじゃないかというこの考え方を、部落分散論といいます。そして、要するに、隠せば差別されることもない、それで解決だという考えです。故郷の部落のことを隠し、分からないように生きればよい、そうした考え方を、島崎藤村の小説『破戒』の主人公の名前からとって「丑松主義」と呼んで、私たちの解放運動の先輩たちは批判してきました。

 この部落分散論、丑松主義は、自分の故郷を隠さなければならない。生まれて今まで自分を育んでくれた豊かな自然や人間関係を、すべて捨てるということです。隠し通すには、徹底的に捨てなければいけないんですよ。中途半端ではわかりますよ。自分の親、親戚、兄弟姉妹にも故郷から出て行ってもらわなくてはなりません。そのようなことは現実的に不可能です。「そもそも何で逃げなければあかんのや?」と僕は友人に言ったことを覚えています。それに、出て行っても調べる行為が存在していると。差別をする側、差別身元調査すらする社会の側を問題にしないで、差別をされる側が身を隠して、がんばってわからない姿にするのが差別の解決方法だというのか。僕は友人にムキになって訴えかけた時のことを今も忘れません。

 

 ②「寝た子を起こすな論」

 

 もう一つは、部落問題について学習や啓発するようなことをせず、そっとしておく方がよい、とりあげたら逆効果だ。差別は自然になくなっていくという考え方です。「寝た子を起こすな論」です。この論は、大阪府の府民意識調査でもいまだに、きわめて有力な意見として出てきます。

 一八七一年(明治四年)に賎民廃止令(いわゆる解放令)が出た後、五〇年を経て、全国水平社は一九二二(大正11)年に生まれています。耐えてそっとしていても、差別がだんだん無くなったりするどころか、どんどん厳しい状態があるものだから、水平社は立ち上がったのです。このように、放置しておけば自然に徐々に忘れられてなくなっていくというのは机上の空論であって、歴史的事実はそうじゃないことをすでに証明しているわけです。これが、寝た子を起こすな論に対する第一批判です。

 第二に、調査によると、部落のことを多くの人が子どもの頃からすでに知ったというのが事実だし、部落について全く知らない人がいたとして、その先も一生部落について絶対に出会わないのかということです。家族や、知り合い、職場での会話の中で、一生部落問題に出会わないということはありえない。「寝た子を起こすな論」の、知らない人は知らずに生きていくという前提がそもそもありえないということです。

 大阪は府民意識調査を五年毎に行っているのですが、学校や研修で習った・教わったと答えている人たちと、親・友人・知人・近所などから聞いて知ったと答えている人たちの間で、被差別部落に対する忌避意識の強さについて、はっきりとした違いがありました。明らかに後者の人たちのほうが強い忌避意識をもっている。後者の場合、多くが部落に対して非常にマイナスイメージをもたされているという結果が出ています。仮に「寝た子を起こすな」というこの論を進めていくと、学校や社会教育などの公教育の場での部落問題学習をやめることとなりますが、他方で職場や家族や友人、マスコミなどの情報で知ることは、制限できません。私たちの知識は社会生活を送る中で、さまざまな媒体を通して形成されます。公の取り組みをストップしてしまっても寝た子は起こされてしまう。結果として、部落に対する人びとのマイナスイメ-ジや忌避意識は減少するどころか、高まっていくということになる、このような問題もあります。

 もう一つ、「寝た子を起こすな論」の批判をいっておくと、この考え方は、部落の人びとが差別に抗議することや、差別からの解放を求めて訴えることを否定することになっているということです。この考え方でいくなら、差別を受けても黙って堪え忍べということになります。つまり、自分の身の上を明かしたり、差別されたとしても抗議したら逆に差別されるよと脅されているとしたら、これほど酷い考え方はありません。

 私は先ほどカミングアウトについて話しましたが、このカミングアウトには二つの意味があると思っています。

 まずは、第一は、安心してありのままの自分でいたい、元気になりたいという意味です。つまり、社会に部落差別がある、そういう外的抑圧によって、差別を受けないために、差別に反発しながらも隠したいとかそういう気持ちになる。そういう、自分の中に自分を抑圧する内的抑圧を発生させてしまうことがある。これは非常に苦しい姿で、これこそが被差別の姿なのです。多くの不安を抱きながらも、自己の立場を語ることは、差別と闘おうとする自己変革です。自分自身を内的抑圧から解放する営み、エンパワーメントです。カミングアウトには、何よりそういう意味がある。

 もう一つの意味は、そうしたとき、それに応え、つながってくれる人が必ずいる。そういう仲間を発見し、反差別の集団をつくりだしていけるのだという希望を抱いた行動だということです。以前私がある会社に研修に行ったとき、そこの人権担当の方が、ある社員が自分が当事者であると明かしてきた際に、「それは、私だけに留める。他の社員には言わないほうがいいよ」と返答をしてしまった、後悔しているということを私に話されまし

た。担当者の方は、自分の対応が、カミングアウトのこの二つの意味を理解せず、カミングアウトした人の気持ちに寄り添えず、逆に突き放す言葉になっていたことに気づいたからです。

 

 ③「被差別当事者責任論」

 

 もう一つは、「被差別者責任論」という考え方です。ずいぶん昔のことですが、あるPTAの会合で同和問題の研修をしたときのことです。研修後に私にある方が「差別をなくしたり、訴える取り組みをすることはいいと思います。しかし、一方で差別される側にも何らかの差別される原因があるのじゃないでしょうか」「差別されないようにする研修はしていないのでしょうか」という質問をしてきました。その人が何故そういうことを言うのか、いろいろ聞いてみると、被差別者に対する、部落に対するマイナスイメ-ジが強く、不当な一般化、つまり、部落(被差別者)に対しては、否定的な現象を一般化する傾向が強いと思いました。差別の歴史や科学的な認識、差別の全体像が見えていない場合に、このような、被差別者責任論の考え方に陥りやすいです。何か不祥事や事件が起こり否定的現象が起きたときはもっと陥りやすい。部落全体の人びととにまで、そのマイナスイメージをかぶせていく、社会に存在する差別の責任まで被差別者にかぶせてしまうような考えに同調していってしまう。注意しなくてはなりません。女性差別や民族差別など他の差別の場合にも起こることです。もともと差別的な偏見をもっているところに、否定的な現象を聞いたときに、すぐに一般化する。このような不当な一般化が、被差別当事者責任論には非常に色濃く影響していると思います。

 

 ④「宿命論」

 

 最後は、「宿命論」です。差別というものは人間の社会である限り無くなることはない、差別は宿命だとする考え方です。この考え方のおかしい点は、差別を自然法則のごとく、最初からあったかのように言うことです。女性として生まれてきたから、部落に生まれてきたから、宿命的に差別を受けても仕方ないのでしょうか。たまたま女性に、ある地区のある親の下に生まれてきたといった自然法則により、差別は運命づけられているのでしょうか。人間の意志によらないのが自然法則です。そのようなことが差別の原因ではないと思います。それは、区別です。差別は、人間の意志が働いている社会法則だと思うのです。差別は、人間の意志によってつくられたもの。さすれば、人間の意志と力でなくすことができるという確信をもちたいと思います。

 

 

2 いま、あらためて「部落問題」とは何かを考える

 

①部落問題とは何か? 一九六五年同和対策審議会答申の指摘

 一九六五(昭和40)年に出された内閣同和対策審議会答申に、同和問題とはいったい何かということが、簡潔に書かれています。

 「いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が…基本的人権を侵害され、とくに、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重要な社会問題である。その特徴は、…一定地域に共同体的集落を形成して…その伝統的集落の出身なるがゆえに陰に陽に身分的差別のあつかいを受けている。…現在でも「未解放部落」または「部落」などとよばれ、明らかな差別の対象となっているのである」このように述べられています。

 部落差別というのは、日本の社会の歴史的発展の過程で形成されていった身分差別の特徴を持ち、長い歴史を持つ差別なんだと言っているわけです。伝統的集落の出身者であるということによって差別を受けるということが、現代社会においても残っている。するとまさにこの部落差別のことをしっかりと知ろうと思ったら、どういうふうに日本の歴史の中で被差別部落は形成され、何故差別が今日まで残ってきたのか、また、その差別を克服するための取り組みはどのように展開されてきたのかといったような歴史的認識が重要です。今日はその話は残念ながらくわしくはできませんけれども、日本の歴史の中で「部落」は中世からの起源をもち、非常に長い間排除という形の差別を受けてきた。江戸時代から制度化されたこの差別は、制度としては廃止された明治以降も差別慣行は残された結果、近代から現代にかけて新しく発生した家制度、資本主義、市民社会における差別と結びついて、解決が一層困難となり残されてきてしまった。戦後新憲法の下に問題解決への展望は開け、大きな前進をみてきたことは確かですが、なお今日に至っても課題を残しており、差別慣行の解消に至っていない。そういう問題だということだけは述べておきたいと思います。

 

 

②被差別部落(同和地区)とは? 部落民とは?

 被差別部落については、部落解放同盟の改正綱領(二〇一一年第六八回全国大会で改正)の中でも明確にのべています。「被差別部落とは、身分・職業・居住が固定された前近代に穢多・非人などと呼称されたあらゆる被差別民の居住集落に歴史的根拠と関連をもつ現在の被差別地域である」と、自ら、当事者の団体がのべているわけです。政府の統計調査の、過去行われてきた中で、一番多い記録として、五六〇〇か所におよぶ被差別部落が報告されております(一九三五〈昭和10〉年調査)。

 部落民については、同じく部落解放同盟の新綱領で、「部落民とは、歴史的・社会的に形成された被差別部落に現在居住しているかあるいは過去に居住していたという事実などによって、部落差別をうける可能性をもつ人の総称である」と定義しています。現在およそ五〇〇万から六〇〇万人と言われています。

 このように新綱領は「部落差別をうける可能性をもつ人」という言い方をしています。なぜこんな言い方になるのかといいますと、当初は部落民が何を指すか、ある意味明白であったけれども、今日では、部落民とそうでない人との境界線が非常に曖昧になってきています。その原因は大きくは三つぐらい考えられます。

 一つは、部落外との結婚がすすんできたことです。そうした連続の経過の中で世代が変わっていくことによって、被差別者としての自覚、アイデンティティの意識も薄れていきます。

 もう一つは、部落外への転出者が増大したことです。かつて部落の人たちは部落の中で生活をし部落産業といわれたものなど地域の職業に多く就いていましたが、そういう姿の時代から、自分の部落を出ていって働き暮らす人が増大していきました。祖父母の代に出て行ったその孫、またその子といった、今の若者が、どういうアイデンティティをもつでしょうか。

 そして、被差別部落コミュニティの混住の進行です。大阪でも調査しましたけれども、半分近く、特に都市の部落では、混住化がすすんでいる。転出入が非常に激しいということがあります。

 そういうことで、父方母方ともに歴史的なかつての被差別身分に連なり、かつ代々部落に居住してきたという、そんな人は、実際の話、少なくなってきます。部落に居住しているけれども系譜的には無関係な人、部落外へ転出した人の子や孫で本人自身部落民としての認識がない人、さまざまなバリエーションが生まれてきます。そうした意味で、部落民というものの実態は確固たるものでなくなって流動的になってきた。つまり最近では「部落民」とは一体何を指すのかということが、改めて問われるようになってきているのです。

 そもそも、部落の血縁をどこまでさかのぼれるか、という形の系譜論は、明確な誤りです。血縁を言うなら、全ての人に共通な「サル」にまでたどり着くしかありません。そこまでいかなくても、誰にも二人の親がいる、その親にはまた二人の親がいるというふうに先祖をたどっていくと、たとえば部落の起源の時代ぐらいまで遡ったらものすごい数です。そんな時代の人口を考えたら、みんな先祖が重なってきます。それこそ、「人類みなきょうだい」です。

 今、部落民という概念は、実は、社会的関係の中で定義されてきています。絶対的部落民という定義があってこれを部落民というのではない。現代の個人の先祖が身分差別を受けていたと差別調査をするようなことは、いま可能なわけがなく、ナンセンスです。そもそも差別の本質はそういうものではないのです。差別の本質は、対象にあるのではなく、「関係」にこそあります。部落史研究の中で、賤民身分の本質が「関係」の問題であるということも見えはじめています。市民が市民の目線を感じ取りながら部落を忌避し差別をするというような、人びとを互いに縛りあう「差別の世間」の変革こそが求められているのだと思います。

 

 

③日本史における二種類の差別

 なぜ部落差別が現在に至るまで、こんなに長く日本の歴史の中で続いているのか。部落史の研究者が明らかにしてくれている成果として注目すべきことが多々あります。その中で私があらためて注目すべきと思うことがあります。これまで身分制度を縦にだけ考えて、一番下が部落差別に関する身分というふうに捉えてきましたが、しかし、部落は「下」ではなく、社会の「外」であった(された)ということ。部落というのは、その時代の一般社会(“市民社会”)から排除された「社会外の社会」として扱われた、それが部落差別だということことです。

 差別には、大きく言うと、二種類の形態が日本史のなかにはあった。一つは「所有・支配」の形態。自分の意志で自分の行動を決定したいという自由を奪われ、他人に支配される。この典型的なのが奴隷です。もう一つが、「排除」の形態。人間は人と人との関係を以てはじめて生きていける。人間というまさに人の間と書きますね。その関係からあなただけは排除すると言われたら、ものすごい困難な人生になります。いじめでも、仲間外れ、「シカト」というのがある。部落差別は基本的に「排除」の差別です。私たちは、身分制の一番下が部落だと教えられてきたけれど、研究者によると、実は下という言葉は部落史の古文書にまずでてこない。よくでてくるのは「外」。まさに排除の差別を一番日本史の中で長く受け続けてきたのが部落で、部落差別は、そういう観点から見ることが、あらためて重要となっていると思います。

  「下」ということだけで認識していると、下から上に上がれば解決なんだということになる。でも、環境がよくなるとか、経済的に力を持っても、差別を受ける。つまり、土地の差別とか土地の忌避はまさに「排除」の差別です。あそこに関わらん方がええ、あるいは、自分らが間違われたらあかんという排除の差別です。

 ですから、差別をうけていることによって非常に困難な格差が生まれたので、格差をうめれば部落問題解決するかというと、しない。同和地区と地区外の人が、その排除の歴史に終止符を打ち、どれだけ豊かな関係を築けるのか、協働を築けるのか。「人権のまちづくり」という方針を運動団体はだしていますけれども、まさに、排除の差別がなくなるには、排除をなくしいく豊かな関係をつくる仕組みを発展させなければいけません。

 

 

3部落差別が現実社会の中でどのように立ち現れているか

 

 部落差別は、被差別部落内外のさまざまな領域において、多種多様の形態で存在しています。

 一つは差別事件です。もう一つは差別意識です。同対審答申は、この差別事件と差別意識を合わせて「心理的差別」と呼びました。それから、被差別当事者がおかれる厳しい生活実態です。これは「累積的差別の結果」と言うべきものです。

 答申は、心理的差別が実態的差別をもたらし、その部落の厳しい実態を見てまた差別意識を持つという、悪循環を繰り返していると指摘しています。この悪循環を絶つために、差別意識には教育啓発活動を、差別事件には、国としての人権侵犯処理規定に基づく救済措置と、当事者の運動団体は差別糾弾をします。実態的差別には、特別措置法で同和対策事業によって部落の生活実態の改善に取り組んでいくことになりました。

 でも、それだけの捉え方では不十分です。

 さきほどカミングアウトのお話で申し上げましたように、差別は、生活環境の実態だけではなくて、差別を受けていることで被差別当事者の心を深く傷つけています。

 東日本大震災も、阪神淡路大震災も、建物だけがなおって復興になったとは言えません。震災で非常に大きなショックを受けている人たちの心的外傷などの回復がいります。そういう、被差別当事者の力を回復するというエンパワメントが必要です。差別と貧困の生い立ちの中で文字を奪われて、識字教室で文字を奪い返す取り組みがおこなわれていますが、こういう取り組みなど、当事者のエンパワメントは、これからますます重要です。

 また、被差別部落外にこそ根強く実態的差別が存在している。部落外では、個人の偏見や差別意識という心理的な面にしか問題はないのか?そうじゃないと思う。部落地名総鑑事件、身元調査、土地差別調査事件が起こっています。就職採用時についても、今は統一応募用紙に部落解放運動の指摘の中でなりましたが、それまでは企業が、基本的人権を侵すような、能力適性以外のことで採用を判断するようなことを平気でやっていたわけです。日本の社会の在り方の中に、差別がシステムとして社会的な形で存在していたのです。差別を助長するシステムが存在していないかというところまで、症状への対処だけでなく原因に迫って治療しないと部落差別はなくせません。

 さらに、それ自体は、直接的に部落差別とはいえないまでも、部落差別の現実と密接にかかわり、それを支える役割を果たす社会の意識や実態もあります。部落差別とは、社会が抱える矛盾や人権侵害の反映であり、それがよりひどく集中的にもたらされている現実です。差別の現実にたいするたたかいは、部落解放運動は、このような観点から、被差別部落にとどまらず、日本の社会にも大きな成果(変革)をもたらしてきました。

 

 

4 部落差別撤廃にむけての取り組み

 

 では、部落差別をなくすために、今、特にどのような点に注目した取り組みが重要なのか。

 まず第一は、いまも述べたように、差別が現実の社会の中でどのように立ち現われているか、「差別の全体像」をしっかり捉えることです。取り組みの出発は、現実です。その現実の実態が、部分的にしか捉えられていないようでは駄目です。差別克服のゴールに至る取り組みの為には、このスタ-トは大切です。

 第二は、これもすでに触れましたが、部落差別とは何か、その核心をあらためて認識することだと思います。すまわち、部落差別を捉える本質ともいえる「排除」という問題の視点にたって、これからの取り組みの方向性や具体的な実践の在り方を究明し、徹底的に行っていくということです。

 第三は、被差別部落(同和地区)に対する忌避意識を解体していくことです。

 そのために、①部落問題についての科学的認識を獲得することです。特に、被差別部落に対するマイナスイメ-ジを払拭するとともに差別撤廃への展望を共有できるようにすること、差別を助長・合理化する被差別者責任論に取り込まれない(克服する)ことです。

  また、②差別解消への社会動向認識の形成が重要です。「差別の世間」を克服する圧倒的な「反差別の世間」を形成していくことです。そのためには、差別の禁止や被害者の実効的救済のための法的整備や、人権啓発のリ-ダ-が網の目のように存在しているような状態をつくりあげていくことなどが重要だと思います。近年の職場での人権研修機会の増加など、研修会への参加は、忌避意識の克服に効果があることが明らかになっていることを踏まえて、企業や行政、宗教界など、社会的な影響力の大きいセクタ-の取り組みの一層の推進は重要です。にもかかわらず、最近部落問題の研修機会が減少してきているのではないか、反省すべきことです。

 さらに、③連帯性をはぐくむ部落内外の協働を推進していくことが非常に重要です。表層どまりでない、連帯性をはぐくむ目標への協働的精進は、人が偏見や忌避意識を乗り越えていくために大変効果のあることです。部落差別の特徴は「排除の差別」です。「福祉や子どもの教育・子育てのことなどで、地域の取り組みを一緒にしている」「NPO法人などをつくって一緒に日々汗をかいている」「同じ職場で働いている」など、共通の利害や共通の人間性などについての知覚を呼び起こす、「協働」というキ-ワ-ド、「関係」というキ-ワ-ドで考えていくことが特にこれから大切となっています。

 第四は、部落差別撤廃行政(同和問題解決行政)について、きっちりと理解し、新しい

政策・施策の方向性を確認することです。「部落差別が現存する限り、その撤廃のために積極的に推進する」「差別事象に対する法的規制が不十分であるため、差別それ自体が重大な社会悪であることを看過する結果となっており、差別に関する法的規制や保護立法を講じ、司法的救済の道を拡大する」「同和問題は過去の問題ではない。この問題の解決に向けた今後の取り組みを人権にかかわるあらゆる問題の解決につなげていくという、広がりをもった現実の課題である」「特別対策の終了、すなわち一般対策への移行が、同和問題の早期解決を目指す取り組みの放棄を意味するものではないことは言うまでもない」「今後の施策ニーズには必要な各般の一般対策によって的確に対応していくということであり、国及び地方公共団体は一致協力して、残された課題の解決に向けて積極的に取り組んでいく必要がある」「国民一人ひとりが、自分自身の課題として、同和問題を人権問題という本質から捉え、解決に向けて努力する必要がある」

 これらは、国の同和対策審議会や地域改善対策協議会の意見具申が述べたことです。ないがしろにしてはいけません。

 第五に、複合差別の視点です。いくつかの差別が結びついて起きる差別の現実があります。一つ(片方)の差別だけに着目すると他の差別が見えなくなり、被害が解決しにくくなることがあります。加害と被害の立場は固定的ではなく、特定の事由に基づくものでは被害者の立場にある個人が、他の事由による差別では加害者になることも少なくありません。複数の差別が、ねじれたり、葛藤したり、一つの差別が他の差別を強化したり、補償したり、という複雑な関係にあります。すべての被差別者の連帯を掲げるだけの理想主義が、集団内の差別を隠ぺいする効果を生む場合もあり、複合差別の視点に立って、さまざまな差別の絡み合いを解きほぐしていくことこそ重要だということを、認識することが大切となっていると思います。

 

三つの変革に挑戦しよう

 最後に、「三つの変革に挑戦しよう」というふうにお話しさせていただきます。

 一つは「社会変革」。これは、日本の社会に残っている差別的な構造を打ち破って、創造的に人権を基軸にした社会システム・法律をつくっていこうということです。二つめは「人間関係の変革」。差別は人間と人間との関係で起こってきます。差別、被差別の関係性を断ち切り乗り越えて、人間尊重の価値にもとづく豊かな新しい人間関係を創造していこう。三つめは「自己変革」。人間の尊厳にもとづいて、生きがいと誇りを大切にして、一人ひとりの自己実現を追求する、ということです。

 例えば部落出身者の場合なら、自分が部落出身者であるということを隠したり逃げたりすることで本当の誇りというのはでてきません。差別する側が間違っているのだ、自分は逃げたり隠れたりする必要はないと胸を張って、自分の故郷に誇りを持って、自分のアイデンティティを大切にする。そうゆうところに自分の本当の正しい生き方があると思います。差別の現実というのは人間の尊厳が傷つけられているありさまです。差別からの解放は一人ひとりが生きがいと誇りを持って生きる姿の中にあります。一人ひとりが自分の生き方を自分で選択して、自分らしく生き続ける自己実現の追及。そういう意味で私は自立という言葉を使っています。自立を目指すのは被差別部落の側だけではないとおもいます。差別している人は本当に誇りをもっているんでしょうか。差別的な価値観に支配されることによってなお多くの市民も自立を果たせていないんじゃないんでしょうか。

(2012年8月 高野山にて)